今、サッカーは大人気です。W杯での日本代表の試合は軒並み、視聴率50%を超えています。これまで日本のスポーツで最大のキラーコンテンツは、プロ野球の巨人戦でした。平均視聴率が25%を超えていました。視聴率25%を半年間にわたって超えるわけですから、これはもうお化け番組だったわけですが、ご存知のように昨年の平均視聴率は10%でした。今は4%台、5%台もよくあるようです。一方のサッカーは大人気です。サッカーがプロ化したのは1993年ですから、わずか13年、言ってみればサッカーは新興企業のようなものでしょう。プロ野球は70年を超える歴史を持っています。なぜ、逆転現象が起きたのか。これには理由がたくさんあります。一言では語れませんが、敢えて申し上げるなら、私は、これはリーダーの差だったのではないだろうか、こう思いました。日本サッカー協会会長川淵三郎さん、現在、「キャプテン」と名乗っていらっしゃいますが、私はこの方の手腕が大きかった、この人の手腕がなかったら、サッカーがこれだけの繁栄を築くことはなかったと考えています。(中略)
この川淵三郎さんは本当にすばらしいキャプテンシーの持ち主でした。
1980年代に入って、サッカーをプロ化しようという機運がみなぎってきました。そして、その後、プロリーグ準備検討委員会というものが設立されました。私も、何度かその会議に参加させていただきました。このサッカーのプロ化というのは、単にプロのスポーツリーグを1つつくろうということではなく、言ってみれば国策であり、Jリーグをつくるに当たり、「Jリーグ 100年構想」※という、目的規定宣言のようなものが策定されていました。(中略)
そうして始まったわけでありますが、物事はうまくいきません。何かありますと、必ず、反対勢力、抵抗勢力が出現します。川淵三郎執行部に対しても、山のように反対勢力、そして抵抗勢力が出現いたしました。
1990年代に入ってのある会議でのことです。サッカー協会のある幹部が言いました。 「サッカーのプロ化? ちょっと待て。景気も悪くなってきた。どこの企業がサッカーなんかにカネを出すんだ。時期尚早じゃないか」
すると、もう1人の幹部が立ち上がって、こう言いました。「そうだよ。日本にはプロ野球がある。サッカーのプロ化で成功した例なんてない。前例がないことをやって失敗したらどうするんだ。誰が責任を取るんだ」
「時期尚早」、「前例がない」。私はこの2つの言葉を耳にして、「これでもうサッカーのプロ化は難しくなった。今まであれほど議論してきたことは一体何だったんだろう」、非常にむなしい気持ちにとらわれました。
と、そのときです。いきなり立ち上がったのが川淵三郎さんでした。川淵三郎さんがきっぱりと、こう言ったんです。
「時期尚早と言う人間は、 100年経っても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は、 200年経っても前例がないと言う」
私は隣で聞いていて、心の中で拍手をしました。よくぞ言ってくれた。しかし同時に、こんなことを言って、大丈夫かなと、少々不安に思ったのも事実です。
しかし、川淵三郎さんは委細構わず続けました。
「そもそも時期尚早と言う人間は、やる気がないということなんだ。でも、私にはやる気がありませんとは情けなくて言えないから、時期尚早という言葉でごまかそうとする。前例がないと言う人間は、私にはアイデアがないということなんだ。でも、私にはアイデアがありませんとは恥ずかしくて言えないから、前例がないという言葉で逃げようとする。大体仕事のできない者を見てみろ。自らの仕事に誇りと責任を持てない人間を見てみろ。次から次へと、できない理由ばっかり探し出してくるだろう。仕事というものは、できないことにチャレンジをして、できるようにしてみせることを言うんだ」と、こうおっしゃったんです。
その一言がきっかけになって、「よし、じゃあもう1回、サッカーのプロ化に向かって頑張ってみようじゃないか」という機運が再びみなぎってきました。そして1992年の秋にJリーグの公式戦、カップ戦がスタートし、93年の春にはレギュラーシーズンがスタートしたわけです。
歴史にif、もしという言葉は禁句です。時計の針を元に戻すことはできません。でも、もし川淵三郎さんがあの会議で、あの名演説で抵抗勢力を喝破しなかったら、間違いなくサッカーはプロ化できていません。
サッカーがプロ化できていないということは当然、Jリーグは誕生していないということです。Jリーグが誕生していないということは、日本代表はこんなに強くなることはなかったということです。日本代表がこんなに強くならなかったら当然、2002年のワールドカップの誘致に成功することもありませんでした。(中略)
電通総研の調べでは、ワールドカップの経済効果は3兆5000億円だったと言われています。もし川淵三郎のあの一言がなかったら、これだけのマーケットが生まれることもなかった、サッカーが文化として成立することもなかった、何も生まれなかった。これが真実なのです。

※日本にプロのサッカーリーグ・組織を誕生させる基礎となったのは『地域に根差したスポーツクラブができることで、人々がともにスポーツに親しみ、世代を超えた交流を広げ、豊かな人生を過ごしていけるもの』と考える理念。Jリーグでは「Jリーグ百年構想~スポーツで、もっと、幸せな国へ~」をスローガンに掲げている。

21世紀のリーダーシップ
3つの資質

 私は、このときの体験をもとに、何冊かリーダー論を書かせていただきました。
これまで私は、プロジェクトというものは、意見がボトムアップ式に集約されていって、その意見がブラッシュアップされ、コンセンサスを得て、最後はトップが判子をついて、「さぁ、みんなで頑張りましょう」と。これが私、理想だと思っていました。今に至るも、その考えに変わりはありません。これが理想です。
しかし、今私が申し上げたことは、単なる理想です。現実ではありません。机上の空論です。地上の正論ではありません。では、机上の空論を地上の正論足らしめるためには何が必要か。私は、これは、四の五の言っても、最後はトップの決断だろう。あるいはその部署の責任者が、退路を断ってでも、少々のリスクを取ってでも、勝負できるかどうか。人間は、最後は理屈や理念では動かない、度胸と覚悟だなと。これがないと物事は前に向いて進まないんだ、ということを勉強させていただきました。
なぜ、そういうことを申し上げるかと言うと、私も幾つか諮問委員みたいな仕事をやらせていただきましたが、物事がうまくいかなくなるときはパターンが決まっています。「総論賛成・各論反対」。総論では全員が賛成しているのに、各論で意見が集約できない。利害がぶつかったら、「先送りしよう。次回の会議で決めましょう」と、どんどんどんどん後手後手に回っていく。この国には「小異を捨てて大同につく」というすばらしい言葉があるにもかかわらず、大同が見失われて、小異ばかりがクローズアップされていく。そして「もう今日は何のための会議だったかわけがわからない」、何度もこういう経験をしました。
ですから、私は、物事を前に向けて進めるためにはリーダーシップだろうと、こういう結論に至ったわけですが、では21世紀のリーダーシップとは一体何なんだろう。私は、物事はなるべくシンプルに考えるべきだという意見ですが、21世紀のリーダーシップはもうこの3つだという確信に至りました。
ではその3 つとは何か。私は、まず第1に、パッションだと思ったんです。情熱といいますか、熱意といいますか、川淵三郎さんにはやけどをするような熱い情熱がありました。「時期尚早と言う人間は、 100年経っても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は、 200年経っても前例がないと言う」。ほとんどの人が、トップがここまで言うのだったら、この人についていこうじゃないかという気持ちになったと思います。これはやはり理屈じゃなかった。情熱のない人間に人はついていきません。
そして第2に、私はミッションだと思いました。使命感、あるいは理念、それに基づく計画性まで含まれてのことでしょうか。川淵三郎さんには、高邁なる理念と崇高なる使命がありました。「スポーツが変われば地域が変わる。地域が変わったらチームも変わっていく。スポーツは教育の一環だけではない。スポーツは産業なんだ」。そして「地域経済に対する貢献度も非常に高い。やろうじゃないか、日本を変えるんだったら、スポーツを先に変えてみせよう」とやったわけです。
「できるわけがないだろう。夢みたいなことばっかり言うな。あなたが失敗したら、誰が責任取るんだ」
こう言う人もいました。しかし、川淵三郎さんはやり遂げた。これが3点目でした。アクションです。行動力です。まさに率先垂範、陣頭指揮。トップが動いたら、周りも動きます。動かざるを得ないと言うほうが正しいかもしれません。パッション、ミッション、アクション。別に語呂合わせじゃありませんが、私は21世紀のリーダーシップはこの3つではないだろうか。これからは、女性であるとか男性であるとか、関係ないんじゃないか。「私、後輩。あなた、先輩。どうぞお先にあなたから」なんていう組織は潰れるだろうと。この3つの資質を持つ者こそが、閉塞状況を打開することができる。そして、逞しくて、やりがいのある組織をつくることのできるリーダーではないだろうか。私は、川淵三郎とそして日本のサッカーの成功から、このことを学んだわけです。

小手先の技術より明確な意思
スキルではない、ウイル

 もう1つ付け加えるなら、私はあまり好きではない言葉なんですが、「スキル」という言葉があります。技術、技能といった言葉でしょうか。スキル――もちろんスキルも大切ですが、私はそれよりももっと大切な言葉がある、そう思っています。「ウイル」です。意志。スキルよりもウイル。近年、こういうことを口にする評論家が増えていますが、これは私が言い出しっぺです。スポーツの取材をしていて、「スキルも大切だけれども、それよりもウイルだよな。技術よりも、意志の力、志だ」と、痛感しました。
そのことを私に教えてくれた選手が、サッカーの元日本代表のゴン中山です。あの元気そうな奴だろうと、皆さんもすぐ、顔と名前が一致するんではないでしょうか。彼は本当にここ一番で、この国を救いました。大事なときに、彼は点を取りました。
では彼はうまいか。はっきり言います。下手です。自分で下手くそだと言っています。(中略)
忘れられないのが、アメリカ・ワールドカップを目指す闘いです。残念ながら、最後はドーハの悲劇、日本はイラクと引き分けました。ワールドカップの本大会には行けませんでした。
2戦目のイラン戦。日本は2対0で負けていました。時計を見たらもうロスタイム、ほとんど時間はありません。やっと中山が1点取りました。2対1。ほかの選手は何をしてるか。諦めて歩いていたんです。「もう時間もない。どうせ今日は負けだろう」、こういうことでしょう。中山だけがダッと走って、相手のゴールキーパーからボールを奪って、センターサークルまで走った。皆さんもご記憶のシーンだと思います。このとき、中山は何と言ったか。
「おまえら、諦めるのか。死にたくないのか」こう言ったんです。これによってチームに喝が入り、死に馬が走りました。
残念ながら、このゲームは2対1で敗れはしましたが、次の韓国戦に勝った。そして次の北朝鮮戦にも勝った。そして最後のイラク戦で、ドーハの悲劇、引き分けて、本大会には行けなかったんですが、まさしくあの死に馬を走らせたのは、ゴン中山のスキル、技術ではありません、ウイルです。意志の力です。「おまえら、諦めるな。死にたくないのか」。
これまで日本のサッカーは傷をなめ合う弱い組織でした。味方同士はなるべく怒鳴らないようにとか、訳の分からない不文律があったんです。だから弱かったんです。だから情けない組織だったんです。中山が初めて怒鳴ったんです。「諦めるな。死にたくないのか」、この一言でチームに喝が入った。まさに、スキルよりもウイルです。(中略)
ワールドカップの初得点もゴン中山です。フランス大会、対ジャマイカ戦。彼が日本人で初めて点を取ったわけです。この試合の後に、中山選手の骨折が判明しました。ということは、彼は骨を折って走っていたということです。これがフォワードです。骨を折ってでも点を取ってくる。頭から飛び込んでいっても点を取ってくる。これがフォワードの使命です。少々な技術は通用しません。
ワールドカップのピッチは、あまりいいたとえではありませんが、戦場と言われます。サッカーは武器なき戦争です。なまじっかな技術は、あんなターミネーターみたいなディフェンダーが世界には揃っているんですから、ひょいっと放り投げられておしまいです。「骨折ってでも点取ってやる」というぐらいのウイルがなければ、大きな仕事はできません。まさに、スキルよりもウイルです。
しかし、これはスポーツの世界のみならず言えることかもしれません。近年思うに、これは教育の現場もそうかもしれません。職場もそうかもしれません。スキルばかりがもてはやされる。それ以前に、何のためにこの職場にいるのか、何のためにこのポジションに就いているのか。このウイルが明確でないと、大きな仕事はできません。小手先の技術よりも、やっぱり明確なる意志。スキルよりもウイル。私は、これはスポーツのみならず、すべての世界で言えることではないだろうか、そう考えています。

(講演内容から一部抜粋して掲載いたしました)