はじめに

 皆様、こんにちは。私は愛媛県八幡浜市の出身です。子どもの頃から、高知や中村によく遊びに行き、四万十川で泳いだり、魚を捕ったりして遊びました。高知にプロ野球のキャンプを取材に来ると、八幡浜に帰るのですが、その途中、四万十川の上の鉄橋を通ります。2月頃は雪が降り、水墨画のような風景が広がっています。山と川があって、さらに白い雪が風景にアクセントをつけています。このような素晴らしい風景がある郷土を、誇りに思っています。

四国アイランドリーグの意義

 昨年、石毛宏典氏が日本初の野球の独立リーグ「四国アイランドリーグ」を創設されました。
私はこのときに「よくぞやってくれました」という気持ちになりました。
実は、石毛さんが独立リーグを立ち上げた時に、私は四国の経済界や行政の方々から「アイランドリーグは大丈夫だろうか。」という質問をいくつも受けました。その問いに私はいつも、「これが失敗したら四国は大変なことになりますよ」と答えました。3%経済と揶揄される四国において、独立リーグまで失敗したら、「四国は野球の独立リーグすら満足に成功できないのか」という風評被害によるイメージダウンは避けられないからです。
四国の皆さんには様々な意見があり、不安もあるとは思いますが、四国としては、独立リーグを成功させて、四国にもこうした新しいスポーツ文化ができたことを誇りにすべきなのです。石毛さんのミッション(使命)を、われわれが育てなければいけないという心構えを持つべきです。石毛さんが作った花壇に水をやり、肥料をやるなどして、大輪の花を咲かせるのが四国の人たちの仕事だろうと思います。私は四国アイランドリーグを作った石毛さんに感謝するとともに、これを育てようとされている大西会長、梅原会長をはじめとする四国の経済人の方にも、敬意を表したいと思います。

トリノ大会の結果から見る日本人の特徴

 スポーツによる地域活性化にも関係がございますから、トリノオリンピックのお話からいたします。
今回のトリノオリンピックは残念ながら惨敗と言っていいと思います。120人近い選手団を送って、金メダル1つしか取ることができませんでした。韓国は40人ぐらいの選手団で二桁のメダルを取っています。
ではなぜ負けたのでしょうか。これは日本人の病、燃え尽き症候群に起因しているのでしはないかと思います。長野オリンピックでは、金メダル5つを含む10個のメダルを獲得しました。ところが、その後のソルトレイク大会はわずか2つです。長野オリンピックの時は、JOC、各競技団体、支援企業が「長野では勝つ」という気概を持っていました。長野オリンピックに向けての育成強化プログラムを組んだ結果、その前のアルベールビル、リレハンメルと、メダル獲得数を増やしてきたのです。ところが、長野オリンピックで燃え尽きてしまいました。これがまさに日本人の病だと思います。日本人は何か目的を達成するまでは頑張ります。志望する学校や会社に入るまで全力で頑張って、入った後、必ずといっていいほど5月病になります。
今回のトリノオリンピックの結果は、長い5月病の中でもたらされた結果だと思います。長野オリンピックで目的を達成した結果、次に何をやるべきかを見失ったのです。オリンピックは4年に1回、必ず開かれます。勝つためには、継続的な中長期的育成強化プログラムが必要であるにもかかわらず、燃え尽きてしまったのです。
第2の理由は、日本人のルールに対する順応性の弱さであると思います。典型的なのがジャンプ競技です。長野オリンピックのジャンプ競技は、原田選手や船木選手の活躍もあり、1972年の札幌オリンピック以来のメダルラッシュに沸き、ラージヒルや団体で金メダルを取りました。しかし、長野大会後に「身長の146%までの長さのスキー板しか使用することができない」というルール変更が行われました。日本人は欧米の選手に比べて背が低いため、スキー板を短くすると、風を受ける面積が少なくなり、揚力が落ちて飛距離も伸びません。日本人からすれば「日本人いじめだ」となりますが、ヨーロッパの人間からすると、長野までは日本人に花を持たせてあげたという考えなのです。つまり、彼らには「元々ノルディック系のスポーツは、ヨーロッパのスポーツであり、いつも日本人が勝ったら面白くなく、観客も入らない。スポーツといえどもビジネスである」という考え方があるのです。
このような考え方は日本人にもあると思います。例えば、相撲において外国人力士ばかり勝つと、日本人として面白くないと感じる方も多いと思います。ですから、ヨーロッパ人が悪いと一概に否定することはできないのです。
ルール改定後のソルトレイク大会では、身長172cm、日本人とさほど体格が変わらないシモン・アマン選手(スイス)が優勝しました。これにより、ルール改定が単に日本人いじめであるという意見が成り立たなくなってしまいました。ではなぜアマン選手は優勝できたのか。私は彼らのルールに対する順応性の高さに起因するのではないかと思います。さらに言えば、その根幹には幼少期からの教育の違いがあると思っています。日本人の場合、ルールを守る教育をしても、ルールを作るという教育はあまりしません。そもそも、人間、あるいは人間の暮らしが主で、ルールは従であるべきなのですが、日本の場合には、憲法から学校の校則まで、ありとあらゆるルールが主になっています。ルールだから守れという教育が施され、作れとは教わらない。だから、ルールを変えられたときに戸惑って、後手に回ってしまうのです。

日本のスポーツ観とスポーツ事情

 これまで日本のスポーツは、学校と企業を中心に運営されてきました。スポーツの語源には様々な説がありますが、元々は余暇、遊び、娯楽といった意味でした。ところが、日本では、スポーツを体育と訳しました。アメリカにも、体育という表現はありますが、フィジカルエデュケーションと言います。日本でなぜスポーツを体育と訳したのかと言いますと、富国強兵の時代背景の中で、遊ぶとか愉しむとかいう訳はそぐわなかったので、明治期の役人が、わざとこう訳したのではないかと思います。
実際、学校の体育は、未だに軍事教練の名残が残っています。例えば、鉄棒を導入した意図は、銃を持ったときにぶれない鋼の様な腕をつくることにありました。そしてマット運動は塹壕にいて銃弾が来たときに避ける訓練でした。私は体育のあり方に反対しているのではありませんが、体育とスポーツは似て否なるものだということは指摘しておかざるをえません。
現在、学校でスポーツができなくなる一番の理由が少子化です。この傾向は全国的なもので、最新(2004年)の出生率は1.29とされています。特に地方では、少子化と過疎化が相まって、学校で部活ができない状況にあります。野球で9人、サッカーで11人、ラグビーともなると15人のメンバーを集めるのが大変な時代になっています。この打開策として、学校の枠を超えて、地域にクラブをつくるべきという意見が出ています。私も基本的には賛成です。
これまで、企業が日本のスポーツを支えてきました。そこには、企業にとって3つのメリットがあったからです。社威高揚、福利厚生、広告宣伝、この3つです。しかし、この3つをほとんどの企業が達成し終え、バブル崩壊以降、リストラを推し進める中で、企業スポーツは衰退の一途を辿っております。
私が、いま一番やらなければならないと思うことは、“スポーツにおける大政奉還”です。元来、スポーツは地域の文化でした。それを、企業と学校に一時的に貸していたのです、もう一度、スポーツを地域に取り戻すべきなのです。

スポーツと文化

 日本にはお祭りという文化があります。お祭りは老若男女みんなが参加します。神輿を担ぐ人は若い人であっても、たとえばハッピを縫うのはおばあさんであったり、料理を作るのはお母さんであったりと、全員参加型です。スポーツの原点というのは、祭り、全員参加型の文化なのです。私がそのことを確認したのは、オリンピックやサッカーのワールドカップにおいてです。「これがスポーツの原点なんだ」ということが分かったのです。
例えば、イタリアで開催された90年のサッカーワールドカップ。一番盛り上がったのはオペラでした。カラカラ浴場で開催された三大テノールのコンサートをはじめ、小さな街角でもオペラを上演していたのです。「オペラは自分たちの文化です」と主張しているようでした。98年のフランス大会では、決勝戦の前にイブ・サンローランのファッションショーが開かれました。即ち「ファッションは自分たちの文化です」ということです。さらに、フランスでも街の至る所で、ミニファッションショーが開かれていました。オリンピックやW杯はスポーツの祭典と言われていますが、実は同時に絵画展やミニ万博といった文化祭が必ず行われています。日本では、文化系、体育会系と区別されます。しかし、本当はその2つに垣根があってはいけないのです。

スポーツによるコミュニティー再生

 私は今、全国各地で総合型のスポーツクラブをつくろう、育てようという運動を展開しています。この運動をやっていると、年配の方から、「私はもう体が動かない。スポーツは見るのは好きだけど、やるのは無理」という意見が聞かれます。そこで私は、「そういう方こそご参加下さい」と申し上げています。ユニフォーム作りや選手達の食事の用意等、参加には様々な方法があります。文化の集合体、これがスポーツクラブなのです。
ではクラブとはどういったものなのでしょうか。クラブとチームの違いを考えれば、よく分かると思います。チームは一つの目的を達成するために集まった集団、目的を達成すれば解散しても良い、これがチームです。一方、クラブは家庭です。基本的に家庭に解散はありません。日本には、これまでチームはあってもクラブはありませんでした。私はチームからクラブへの移行が大切だと思っています。
また、スポーツには「ファン」という存在があります。これはお金を払って見に行く、一過性の関係です。例えば、巨人ファンだったが、もう巨人は弱いから、阪神のファンになるというのも、ファンであれば良いのです。一方、Jリーグが発足して、「サポーター」という概念が生まれました。サポーターとは自らの意志で、自分の地域のクラブを支持する人々のことです。だから、サポーターが支持クラブを変えることは基本的にはありません。でも、サポーターでは、まだ不満足です。私は、これからは自分たちがお金を出して、クラブを創っていくべきだと思っています。これは、自分たちが意見を言い、施設も使いますという受益者負担に基づいたものです。クラブが家庭なら、クラブメンバーは家族です。今日本で一番大切な事はクラブやクラブメンバーを作る、即ち、家庭をつくる、コミュニティーを復活させるということなのです。
現在、日本は多くの問題を抱えています。なかでも、一番の問題は、家庭と地域の崩壊だと思います。今の日本には、家庭と地域の一体感がほとんどありません。各地で起こる事件を全て家庭と地域の崩壊に結び付けることはできませんが、それに起因する事件は、かなりの件数であると思います。私が小さい頃、子供同士でよく喧嘩しましたが、それを見た近所の方は叱ってくれました。地域全体で子供を育てる意志、地域力を感じました。何か事件が起きると自分たちで解決しようという、地域の免疫みたいなものが働きました。ところが、今はそうした免疫力のようなものが薄れてしまっています。私は、スポーツクラブを作ることで、かなりの部分を解決できるのではないかと思っています。まさにクラブは地域再生の切り札なのです。
私が98年サッカーワールドカップのフランス大会を取材に行った時、私の従兄弟から、「ラグビーの試合があるから見に来ないか」と誘われ、そこを訪れました。パリから電車に乗って2時間、そこから車で1時間のノルマンディー地方の小さな町でした。そこのクラブでは、お年寄りから子供まで、親子三世代が一つのクラブに入って競技していました。10代から70代、それぞれの世代から2~3人ずつが途中で交代しながら試合を行います。試合では12、13歳の子供がボールを持って走り、トライという瞬間に、世の中そんなに甘くないぞとばかりに、20代の人たちが優しくタックルします。また、70代のボールを持つおじいさんには、若者が愛情を込めてタックルしていました。違う街のクラブ同士が試合を行い、試合が終わったら自慢のワインを持ち寄っての宴会です。宴会では「お宅のお孫さんはすごい。私のタックルを振りほどいて走ったぞ」、「いや、あなたのおじいさんはもっとすごい。まだまだ長生きするよ」といった具合に、親子三世代が一つのボールを追いかけることで、会話に花が咲くのです。こうして自然に地域のコミュニケーションが広がり、地域に一体感も出てきます。
残念なことに、日本でこういったクラブは見たことがありません。子供同士、大人同士が世代毎に行うスポーツにとどまっています。お招きいただいたスポーツのシンポジウムでよく耳にするのが、10代、20代の若い人は「親父と一緒にやりたくない」、ご年配からは「私は茶髪の連中はよくわからないので、彼らと一緒にやりたくない」という言葉です。日本ほど世代間のギャップが大きい国はないと感じています。まず、クラブをつくり、家庭と家族を再生させ、ひいては地域を復活させなければなりません。スポーツは地域再生の大きな武器になりえる力を秘めています。

スポーツによる地域活性化

 もう一つのスポーツが持つ意義、それは地域活性化です。スポーツは地域が主役なのです。例えば、四国は野球王国と称されます。私の地元、愛媛県では松山商業、ご当地高知県では高知商業や土佐高、あるいは高知高でしょうか。私は四国の学校を当然応援しますが、いずれの高校も四国の地名が付いた高校名で、地元の選手が中心になっている、つまり地域密着型、地域が主役となっているのです。
また、プロスポーツは人を動かします。例えばヨーロッパの場合、基本的にホームアンドアウェーで試合が行われます。観客は大きなチームで数万人、小さなクラブでも数千人が、自分たちのチームがある街を訪れたり、他チームの街に行ったりします。人が動けば、交通機関のみならず、宿泊関連、おみやげ、飲食店など様々な分野に経済的な波及効果が生まれます。このようにスポーツは非常にすそ野が広い産業ということができます。
これまで日本のスポーツは教育の一環に固執してきました。しかし、Jリーグの理念では、これからはスポーツを産業としてとらえよう、スポーツは地域に与える経済効果は大きいという考え方が根底にあると思っています。さらに、町のクラブを創ることは、この町に住んで良かった、この町に生まれてよかったという心の財産づくり、心のインフラ整備なのです。地方分権への流れの中、これからの都市間競争に打ち勝つためにも、このような整備が不可欠です。

都市の規模とスポーツの関係

 このようなクラブづくりは、都市規模に縛られません。例えば世界で一番時価総額の大きいサッカークラブ、マンチェスターユナイテッドのホームタウンは人口約42万人、イチロー選手のいるシアトルマリナーズのホームタウンでも約57万人です。いずれも決して大都市ではありません。先日、サッカーJ1のアルビレックス新潟の池田会長にその話をしましたら、「新潟市と人口は変わらないですね。では、うちが世界一になることもできますね」とおっしゃっていました。サッカーの場合、世界クラブ選手権という大会があり、Jリーグの優勝クラブも参加できます。ですから、仮に新潟がJリーグチャンピオンになり、その大会に参加して優勝すれば世界一になることができるのです。
いまや、Jリーグ一の観客動員を誇るアルビレックス新潟は最初、アルビレオというクラブ名で発足し、河川敷で練習する草サッカーみたいなクラブでした。当時、このクラブをJリーグにしたいということで講演やシンポジウムが開かれ、私も何度か参加させていただきました。ある時、私と元ドイツプロサッカー選手の奥寺康彦氏で対談させていただきました。その時のお客さんは僅か数人でしたが、それでも私達は説明をしました。最後に参加者から何を言われたかというと「二宮さんのお話はよくわかりますが、理想論ではないのでしょうか。元来、新潟県はスポーツファンが少ないのです。」それほど関心が薄かった新潟でしたが、いまや毎試合4万人のサポーターが詰めかけています。また、ワールドカップの時に、アルビレックス新潟のホームグラウンド「ビッグスワン」というスタジアムができました。新潟の鳥尾野に建設することになり、そのシンポジウムにも参加したのですが、地域住民の「こんなところに造っても観客は来ないのでは」という反対意見がありました。しかし、結果はビッグスワンとアルビレックス新潟が、まさに相乗効果を発揮し、新潟はサッカー王国になりました。
地元の第四銀行の試算によると、アルビレックス新潟の経済効果はどう低く見積もっても500億円は下らないとの事でした。
アルビレックス新潟が地域にもたらした効果は経済効果だけではありません。以前の新潟県は、若者が首都圏等に流出していました。ところがこのクラブが出来たことで、アルビレックス新潟を応援したいと、若者が新潟県にとどまるようになりました。また、逆に関東甲信越地方の若者がアルビレックスを応援するため、新潟に流入し始めたというのです。これまで若者がいなかった街に、若者の姿が見られるようになったのです。これは明らかにアルビレックス効果です。さらに、アルビレックスによって地域の絆が深まる効果も生まれました。家族でアルビレックス新潟を応援することで、家族に会話が生まれ、家族の絆が強まったというのです。
もう1つ、甲府の事例をご紹介します。2000年につぶれかけたヴァンフォーレ甲府は、今年J1に昇格しました。ホームタウンの甲府市の人口は、わずか19万人、山梨県全体でも約89万人です。そんな小さな街のチームがJ1に昇格したことで、甲府は非常に活気づいています。年間運営費6億円のヴァンフォーレ甲府が、運営費25~30億円の柏レイソルに勝利して昇格したことが、大変自信になったとおっしゃっています。お金ではなく、知恵と愛情、そして郷土愛なのです。決して強いとは言えないクラブの成長を見守り応援する喜びが、サポーターにはあると私は思います。 スポーツクラブは家庭です。貧しくても楽しく生活できる家庭なのです。食卓には毎晩焼肉や寿司といった高価な食事は必要ありません。イワシやアジを使った美味しい手料理で十分なのです。まさに手作りの家庭とも言えるクラブをつくる実験が全国で始まっているのです。

四国アイランドリーグの課題

 最後に、また独立リーグの話をさせていただきます。アイランドリーグは、今年が勝負だと思います。今年はチャンピオンシップも行われ、四県同士の対抗意識もより強くなるのではないでしょうか。石毛代表にも提案しているのですが、野球と四国の文化、あるいは観光資源等を組み合わせ、どのように相乗効果を得ていくかが重要だと思います。例えば、四国には全国的なお祭りがあります。ご当地高知のよさこい祭りをはじめ、徳島には阿波踊りがあります。これらの四国の文化をどう繋げていくか。さらに、文化だけでなく、自然景観や食文化といった観光資源とどのように結びつけていくかが重要なのです。先ほど申し上げましたように、スポーツは、単に体を動かすだけの運動ではなく、文化の集合体です。例えば、野球が好きな人なら独立リーグだけを見にいっても良いですし、あまり野球に興味のない方でも、美味しい食事が食べられる、阿波踊りやよさこい祭りが見られるということになれば、行ってみようかとなるかもしれません。
このように、これからは四国の様々な文化的資源、観光資源や食文化をどう結びつけていくかという手腕が問われているのです。そのためには、行政、経済界、そして地域住民すべてが、力を結集しなければなりません。四国にスポーツ文化をつくる第一歩が、いまスタートしているのです。そして、この大輪の花を咲かせて、やはり四国は底力があるなと他の地方に知らしめていただきたいと思います。私も四国のために微力ながら尽力させていただきたいと思っております。

お時間が参りました。きょうはいろいろな実例、実名も引かせていただきながら、スポーツと地域活性化についての話をご紹介させていただきました。ご清聴ありがとうございました。