松本整が“中年の星”と騒がれたのは一昨年のことだ。
 7月の寛仁親王牌に続き、9月のオールスター競輪をも制覇した。自らが打ち立てた最年長G1制覇の記録を再び自らの手で塗りかえた。
 この時、松本は43歳だった。
 この快挙を目のあたりにした“ミスター競輪”中野浩一は言った。
「驚くべきことだ。あの年になってまだ気持ちが切れないなんて……」
 競輪における最高峰のレースがG1である。松本は92年9月名古屋オールスターを制し、初めてG1タイトルを手に入れた。この時が33歳だった。既に若くはない。
「初タイトルとしては近代競輪では一番遅いくらい」と本人。しかし、2度目の戴冠までは10年もかかるとは、まさか思ってもみなかったはずだ。逆に言えば10年後にG1を獲ることも想像の範囲を超えたものだったはずだ。

 誰にも人生には転機がある。松本にとっての転機は中野浩一との“共同生活”だった。
 振り返って松本は語る。
「あれは27歳の時のことです。ちょうど母が他界して一人暮らしになったので、競輪学校での中野さんの合宿に参加させてもらった。
 中野さんと一緒に生活し、練習させてもらうまで僕はそこそこの成績も残してるし、才能も素質もあると思っていた。ところが違うんですよ。練習をスタートする時にはそんなに差がなくても一週間もすると、ものすごく差がついている。いったいこの差は何なんだろう。
 じゃあ中野さんが早く寝て体のことを気遣っているのかというと、まったくそうじゃない。夜遅くまでマージャンしたりビールをガンガン飲んだり、時にはゴルフもやっている。
 要するに集中力や、自分の精神と肉体のピークへの持っていき方、そして、自転車に自分の力を伝える技術……これらがまるで違うということなんです。
 ひとつ例をあげると、スプリントのタイムトライアルの予選。普通、200メートルくらいの距離では走り終わって倒れるほどの力は出せない。ところが中野さんは体調が悪かろうが練習をしてなかろうがタイムを出してしまう。いや、出し切れるんです。心理的限界のスイッチが生理的限界に近いところに設定されている。だから、あの人は天才なんです」

 持っている力を最大限、出し切れるか、出し切れないか――それがプロとアマの差だと松本は言う。一流と二流の差だと換言することもできる。
「アマからプロになりたいという選手がいる。1000メートルのタイムを計ると大抵のヤツは終わっても平気な顔をしている。だが、見所のあるヤツは倒れるくらいにやる。持っている力を全部出し切る。使い果たす。そこの差なんです」

 松本は“マーク屋”である。競輪には出身地を単位にしたラインがあり、チームプレーの側面もある。マーク屋は先行選手の後位につけ、虎視眈々とチャンスを窺う。自らのラインの先行選手を守るためにはタフな肉体とクールな頭脳が要求される。京都の松本は近畿ラインのボス的な存在でもある。
「やり甲斐のあるポジションですよ。先行選手とはまた違うプライドが必要になる。絶えず危険にさらされているので、肉体的な強さも要求される。
 強い選手の当たりは、やはりキツいですよ。重い、と言った方がいいかな。当たった時のダメージが普通の選手とはまるで違う。ガッと自転車が止まるようになりますから。全盛期の滝沢正光さんなんて、本当に重かった。
 その一方で、ものすごく神経を使わなきゃいけない。全体の流れの把握はもちろん、相手の力量を読んだり、いろんなシミュレーションを瞬時に行わなければならない。そんな中で勝ちにいくのが僕達の仕事。競輪の面白さは他のスポーツと比べても決して引けを取らない。僕は誇りを持ってこの仕事をやっています」

 そして、こう続ける。
「僕は今、年齢が15も20も下のヤツと勝負している。年齢を負けの理由にしたり、大人のフリをしておとなしくしているのは卑怯だと僕は思う。人生に対して逃げいている。
 本当の意味での“いい男”は、勝負は勝負として一生懸命戦い、後輩に教えることはちゃんと教える。言わなきゃならんことは損になっても口にする。何もやらないで、ただ“いい人”になっているのはズルイ。それが僕の考えです」

 現在、松本はピッチの外でも戦っている。昨年、6度の失格を受けたことで、日本自転車振興会から9、10、11月とあっ旋停止処分を受けた。
 そればかりか日本競輪選手会からも自粛欠場を勧告された。裁定に納得のいかない松本は、日競選の綱紀審議委員会に異議申し立てを行い、前橋FI、GI小倉競輪祭に出場した。自粛勧告処分に従わない松本に対し「除名だ」との声も上がった。
「僕は危険な行為をしたと思っていない。審判の“誤審”を見逃し、選手だけに制裁を加える今のシステムはおかしい」

 そう前置きし、松本は語気を強めた。
「競輪は全員が1着を目指して走るのが大原則。ところが落車防止の名目で制裁ばかり強化していくと、1着を目指せなくなる。何もしない方が制裁を受けないわけですから。
 落車を減らすのは賛成ですが、ただ力で押さえ込むだけでは逆効果。何が原因かをきちんと議論しなくては。本来、競輪はお客さんに喜んでもらうためにあるんです。意地と意地、力と力、技と技のぶつかりを見たくてお客さんは競輪場に足を運んでくれる。
 ただ制裁を強化する今のやり方では、競輪の魅力が失われるだけ。後は自分が損をしてでも、競輪界のために問題喚起をしていきたい。飛んでくる“火の粉”から逃げたくはないんです」

 やむにやまれぬ“競技者魂”が44歳をレジスタンスに駆り立てる。己の尊厳を守るための戦いでもある。

<この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)2004年4月5日号に掲載されたものです>
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