「もし日本シリーズがなくなるようなことがあれば、日本プロ野球のレベルは確実に低下する」
 プロ野球再編騒動の折、選手会会長の古田敦也は、1リーグ制への流れをこのような言葉で牽制してみせた。
 思い出すのは1995年の日本シリーズだ。野村克也監督率いるスワローズは、仰木彬監督率いるブルーウェーブを4勝1敗で下し、3度目の戴冠に成功した
 シリーズのテーマはイチローvs.古田――。史上最高の安打製造機を、頭脳派古田はどう封じるのか。
 結論から述べれば、古田はイチローを24回バッターボックスに迎え、19打数5安打、1本塁打、打点2、三振4、四死球4。軍配は古田の「頭脳」に上がった。イチローを封じたことがスワローズの完勝につながった。

 日本シリーズ終了後、しばらくして古田に会った。次の言葉にイチロー封じの実感がこもっていた。
「ホントは130試合すべてに、これくらいの気持ちでやらんといかんのでしょうけど、それじゃ体がもたんですよ(笑)。シリーズが終わった後は、身も心もクタクタでした」

 初戦、スワローズは先発にチーム一のスピードを誇るテリー・ブロスを立てた。
 イチローへの初球、古田はインハイにミットを構えた。サインはストレート。
「ブロスに細かいコントロールを要求しても無理ですからね。それに、もしブロスの高めのストレートが簡単に打たれるようだったら、ちょっと抑えようがないと考えました」

 シリーズ前、イチローに対しては「対角線で攻める」ことをバッテリー間で確認していた。アウトコースを活かすためには、まずもってインハイを意識させなければならない。
 3球目、インハイのストレート。フラフラッと上がった打球はライト稲葉篤紀のグラブにすっぽりと収まった。

 イチローの2打席目は3回2死無走者の場面。古田はブロスに2球目以降すべて高めのストレートを要求した。カウント2−3。
 仕上げはアウトハイのボール球。ブロスの制球難が吉と出た。イチローはボール球を振り、あえなく三振。
 結果的に初戦は4打数1安打。最後の打席でセンター前にヒットを1本放ったが、バッテリーにすれば「打ち取った打球」だった。
 ゲームは5−2でスワローズ。

「おそらく『ブロスのボールは思ったよりも速い』というのがイチロー君の感覚だったんじゃないかな。フライでアウトを取るというのは最初から考えていたこと。低めのボールを叩きつけられての内野安打は、打たれたピッチャーが一番がっくりくる。それだけは避けたかった」
 このゲーム、ブロスがイチローに投じた13球のうち、実に11球がストレート。しかも、そのうちの10球が高め。内野安打封じの手本のようなピッチングだった。

 続く第2戦の先発はサウスポーの石井一久。
 初戦同様、リードオフマンのイチローに対し、初球に古田はストレートを要求した。
「ピッチャーに『逃げるな』と言っている手前、こちらも思い切った攻めをするしかない。それにイチロー君のような好打者の場合、かわしながら抑えようとするパターンには慣れているでしょうから……」

 4球目、古田は「外の真っ直ぐ」を要求した。だが、すっぽ抜けてデッドボールに。イチローは憮然とした表情で一塁に歩いた。
 第2打席、イチローは甘いストレートを引っかけて捕邪飛に倒れた。1打席目のデッドボールが“伏線”となっていた。

 第4打席の攻防は見応えがあった。ピッチャーは技巧派の伊東昭光に替わっていた。ブロスや石井ほどのスピードはない。よってパワーゲームはできない。
 古田はイチローをどう攻めたか。アウトコースに2球、インコースに5球。両サイドを巧みに使い分けることで、イチローから三振を奪ってみせた。

「遠めを意識させて懐をつく。あるいは懐を意識させて遠めを使う。彼くらいのバッターを抑えるには、目をあっちこっちにやらせないといけない。そうしないとタイミングを外すことはできない」
 このゲーム、3−2でスワローズ。
 振り子に狂いが生じ始めた。

 続く3戦目の先発は吉井理人。このシーズンは野茂英雄直伝のフォークが冴え渡り、10勝7敗の成績を残していた。
 圧巻だったのは第1打席。シュート、ストレート、そして最後はフォーク。吉井−古田のバッテリーは、溜め息の出るような配球でイチローを3球三振に切ってとった。
 近鉄時代、吉井はフォークをまだマスターしていなかった。イチローの記憶のストックには刻まれていないボールだった。
「あれは“初物効果”でしたね」
 会心の笑みを浮かべて、古田は語った。

 実はシリーズが始まる前、私は古田に「イチローは完全無欠か?」と訊ねた。
「パ・リーグの錚々たるピッチャーが抑えられないんだから、僕がキャッチャーをやっても結果は同じでしょう」
 自嘲気味にそう言った。
 もちろん、それが本音であるわけがない。

「打つ手はゼロではないでしょう?」
「ウーン、分かっているのはストライクゾーンでは勝負できないということ。理想を言えば、イチロー君にはストライクに見えるけど実はボールだったという球で勝負できれば一番いい。それくらいしか思いつかない。
 それ以上にややこしいのが彼の足。どんなに怖くても足の遅いバッターだったら、最終的には歩かせればいい。カウントが悪くなればね。ところがイチロー君の場合、塁に出せば盗塁がある。それが困る。つまり、歩かせるという選択ができないんです。
 だからピッチャーはカウントを悪くしても、ストライクを投げなあかん。おそらく彼はそれを待ってましたとばかりに打ち返すでしょう。もうヒットやったら儲けものといった気持ちでやるしかないでしょうね」

 ストライクゾーンでは勝負しない。高めのボールで内野安打を防ぐ、不利なカウントになっても容易には歩かせない――古田の狙いどおりに事は進行した。
 このゲームも7−4でスワローズ。
 3連勝でスワローズは一気に王手を掛けた。

 第4戦、スワローズは故障が癒えたばかりの川崎憲次郎をマウンドに送った。
 このゲームのハイライトは2回表、2死満塁の場面。川崎は2−0のカウントから142kmのストレートをインハイに配し、イチローをセカンドゴロに打ち取った。内角にスライドした分だけ、打球が詰まった。

「大きく曲がるボールでイチロー君を打ち取るのは無理。ボールの軌道にきれいにバットを合わせますから。しかし、ナチュラル気味の小さな変化には、予測がつきにくいため、ほんの少しバットの芯をはずすことができる。力んだ分だけ、ボールに変化が加わった」
 4戦目は2−1でブルーウェーブ。
 かろうじて一矢を報いた。

 第5戦、このシリーズで初めてイチローが輝いた。第1打席で先発ブロスの高めのストレートを、ものの見事に神宮球場のライトスタンドに運び去ったのだ。
 このボールこそは初戦の第2打席であえなく三振に切ってとられた外角高めのストレートだった。初戦では力負けしたブロスのストレートを完璧なスイングで弾き返した。
「さすがにイチロー君、同じ失敗は繰り返さない。やはりただ者じゃなかったですね」
 5戦目は3−1でスワローズ。

 全身全霊を傾けた93球の戦いは、8人のピッチャーを自在に操縦した古田敦也に軍配が上がった。

<この原稿は『Number』(文藝春秋)2005年5月5日号に掲載されたものです>
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