44日間に渡ってオーストラリアで行われた第5回ラグビーW杯はルーツ国イングランドの優勝で幕を閉じた。5回目のW杯にして初めて、エリス杯が北半球にもたらされた。
 決勝の対オーストラリア戦は劇的な幕切れとなった。延長残り1分のところでイングランドSOのウィルキンソンが芸術的なDG(ドロップ・ゴール)を決めた。穏やかな楕円球の軌道が2本のポールの間を通過した瞬間、全ては終わった。歴史に残る100分間の死闘だった。
 アタックの進化を競う大会と言われながら、決勝にコマを進めたイングランドとオーストラリアは、ともに堅固なディフェンスを誇るチームだった。加えて楕円球を意のままに操れる“魔法の杖”ならぬ“魔法の足”を持つキッカーがいた。

 自陣での反則は即、失点を意味した。水も濡らさぬタイトな攻防は観る側にまで緊張を強いた。進化したアタックを食い止めるには、それ以上に進化したディフェンスとそれを可能にする戦術が要る。そして、その防御網を突破するには、より洗練されたスキルと高度に発達したタクティクスが求められる。

 ピッチという名の戦場のリアリズムは、机上のロマンティシズムを粉々に打ち砕いた。私たちが03年の秋に目のあたりにしたのはピッチの養分まで吸い取って、貪欲なまでに進化を続けるラグビー・フットボールという名の生命体だった。

 そして我が日本代表――。4戦全敗で予選リーグ敗退。「善戦虚しく」という見出しが判で押したように紙面を飾った。
「個人的には楽しめた。しかし、もっとやれたのでは……との思いもある。複雑な気持ちですね」
 日本代表キャプテン箕内拓郎は朴訥な人柄をしのばせる口振りでこう言った。

 箕内がキャプテンに就任したのは昨年3月のことだ。向井昭吾監督が直々に箕内の元を訪ねてきた。
「キャプテンをやってほしい」
「え? なぜ僕なんですか? 僕は代表入りも初めてだし、皆の前でしゃべるのも得意ではない。他に適任がいるはずです」
「いや箕内、オマエしかいないんだ。外国人とやっても当たり負けしない。オマエには体でチームを引っ張っていってもらいたいんだ」
 体でチームを引っ張る――。その言葉が寡黙な男のハートを射止めた。

 学生(関東学院大)、社会人(NEC)時代にキャプテンの経験があるとはいえ、ジャパンのキャプテンの重責はその比ではない。
 この春、結果が出ない時にはチーム内の不協和音がメディアで取りざたされた。
「ああ、ここはこういう世界なんだな、と。初めて経験することでした」
 選手を代表して向井監督に直談判したこともある。

「たとえば練習のスケジュール。“今は選手が疲れているから軽くやりましょう”とか、試合で選手を入れ替えた時には“その理由を(替えられた)選手に説明してください”とか、できるだけコミュニケーションをとるようにしてきました。
 監督は元々は頑固なんですけど、聞き入れるときには素直に聞いてくれた。結果が出ない時もあらかじめ“今は結果は問わない”と監督が明言していたので僕たちはそれを信じていた。周りが言うような動揺はチームにはありませんでした」

 そして迎えたW杯、向井ジャパンは初戦のスコットランド戦に照準を合わせていた。結論から言えば、敗れはしたものの、健闘した日本代表は諸外国からも高い評価を得た。敵のレッドパス主将は「日本のタックルは素晴らしく、我々はただパニックに陥ってしまった」と肩を落として言った。

 圧巻は後半15分だった。日本はラインアウトからの連続攻撃でスコットランドDF網を打ち破り、ウイングの小野澤宏時がゴール左隅に飛び込んだ。
 11対15。わずか4点差。ワントライで逆転だ。
 しかし、ここからが続かない。目の色を変えて逆襲に転じたスコットランドに立て続けにトライを奪われ、結局11対32でスコットランドの軍門に降った。

 振り返って箕内は語る。
「周りを見ていて、僕自身感心した。“こいつら、いつからこんなにタックルがよくなったんだ”って。あらためてラグビーは気持ちが占める部分が大きいスポーツだということがわかりました。
 しかし(後半15分の)あのトライで、相手は本気になった。こちらも“行ける!”という気にはなったのですが、さてここからどうするんだ……という気持ちになったことも事実です。
 結局、最後は経験の差が出ました。スコットランドは常にそうしたゲームを戦っている。こちらにはその経験がなかった。これが“世界との差”なのでしょう」

 日本代表は続くフランス戦でも、ベスト4にまで進出した強国を相手に29対51と“善戦”を演じた。3戦目のフィジー代表には13対41、4戦目のアメリカ代表には26対39.スコアが示すように“世界”の背中に手が届きかけたW杯だった。

 日本ラグビーにとって今年は勝負の年である。12チームによるトップリーグが開幕した。
 箕内が所属するNECは02年の日本選手権で創部19年目にして初優勝を飾った。もちろん目指すはトップリーグの初代チャンピオンだ。

「日本選手権は(リーグ戦)7位からの勝ちあがりでした。落ちるところまで落ちたことで逆に危機意識が芽生えてきた。負けたら終わり、一戦一戦、目の前の試合を勝っていくしかない……。この危機感が全員に浸透した。まさかこのチームがこれほど強くなるとは……」

 箕内はすでに4年先を見据えている。
「4年後、もう一回W杯に挑戦したい。若い選手も多いので、経験さえ積めば強くなります。今回は相手を“本気”にはさせましたが、結果を出すことはできなかった。だから次こそは……」
 寡黙な男の目が南半球の夜空を照らす南十字星のようにキラリと輝いた。

<この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)2003年1月5日号に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから