「老大はたいした奴だった」
「天をたたきかえしたよな」
「でも、勝ったのは誰だよ」
「老大にとっちゃそんなこと、もう問題じゃない。やることはやったんだから」
――「柿たち」より
 イーユン・リー『千年の祈り』(篠森ゆりこ訳、新潮社)に収められている佳編である。アメリカに移住した、まだ30代の中国人女性が英語で書いたというこの短編集は、本当に素晴らしい。歴史と人間の本質が、さりげない日常の描写の中に、鮮烈に刻み込まれていて、読む者を静かな感動にいざなう。
「柿たち」とはふぬけな仲間たちを指すらしい。老大は殺人者だが、彼らにとっては英雄でもある。まあ、これ以上、内容にふれるのは控えます。

 実は、小説とは全く関係ない出来事に思いをいたしながら、この一節を引用をした。今年の夏の甲子園の決勝戦である。広陵−佐賀北は、広陵が4−0でリードという圧倒的優勢のまま8回裏を迎える。広陵のエース・野村祐輔は一死から2連打を浴び、四球を出して、満塁のピンチを招く。

 ここからのシーンは、みなさんよくご存知でしょう。スタンドはもちろん、日本中が佐賀北の応援にまわった。広陵は野球エリートの学校だ。佐賀北はごく普通の子が集まった普通の県立高校だ。話題になった特待制度もない。高校野球の原点・佐賀北がんばれーというわけだ。それまで野村に小憎らしいくらいに完璧に抑えられていた分、佐賀北に2連打が出たところで、日本中の判官びいきのエネルギーが、過剰な熱波となって甲子園のマウンドを襲った。
 
 一死満塁で迎えた2番・井手和馬に対して、カウント1−3。次の1球は、左打者のアウトローいっぱいに決まったかに見えた。しかし、桂等球審の右手は上がらず、痛恨の押し出し。野村は続く副島浩史に満塁ホームランを打たれて一気に4−5とする大逆転劇が完成したのでした。佐賀北をひいきする気分で見ていた日本中のファンにとって、これほど気持ちのいい結末はあるまい。
 
 事件は試合後に起きた。広陵の中井哲之監督が、審判の判定を批判したのである。
「あれはないだろう、というのが何球もあった。少しひどすぎる。あれでは野村もガクッとくる。真ん中にしか放れない。あの一球は完璧にストライク。審判の権限が強すぎる。高野連は考えてほしい。これで辞めろといわれたら監督を辞める」

 要するに低めギリギリに入っているのを全部ボールに判定され、野村は甘いところへ投げるしかなくなって打たれた。審判の判定ミスによって負けたというのだ。
 私はたまたまこの日、広島に帰っていた。そりゃみんな口々に言っていましたよ、「ありゃ、絶対ストライクじゃ、のう」。
 
 しかしながら、もちろん野球というスポーツは人間がストライク、ボールを判定することになっている。機械ではない。従って、問題の1球はあくまでもボールである。
 ちなみに、あとから何度もビデオで確認してみた。ビデオを観ただけの私見を述べるならば、8回に、特におかしな判定が連発されていたわけではない。ただし、微妙なボールはある。

 始まりは一死一、二塁で迎えた1番・辻尭人の2球目である。左打者のインローのギリギリに投げたスライダーがボールになる。低いという判定である。ここで捕手の小林誠司はミットを振り、ベンチを見ている。明らかに不満を表明したわけだ。低めの判定に対して、投手、捕手、球審の間に横たわる感覚のズレが表面化した瞬間である。

 カウント0−2。3球目は意識的にストライクゾーンを上げたスライダーを投げてストライク。1−2。次にストレートを見せるのだが、さすがに高くは投げられず、低めに外れてボール。1−3。ここから、決め球インローのスライダーを連投するもファウルで逃げられ、最後はスライダーがはっきり外れて四球。満塁となった。

 続く2番・井手の打席で、前打者・辻の2球目であらわになったバッテリーと球審のズレをさらに大きな亀裂に拡大する1球が現れる。カウント0−1からの2球目である。結局は押し出しになる5球目と同じ、左打者の外に沈んで逃げるストレート系のボール。これも低めいっぱい。穏当な解説者ならば、「どっちともとれる非常にいいボール」とでも言って逃げるだろう。バッテリーは入ったと思った。球審は低いと見た。捕手が捕球のときに少しミットを上げるのが気になる。もっといえば、さっきからミットを振っては不満を表情に出している。ミットの動きが気になる……。球審の手は上がらなかった。

 再び小林はミットを振って、ベンチを見る。野村は苦笑いというよりも、もっと大きな笑いを浮かべている。目を見開いて、歯を見せて、驚きの笑いである。もちろん、その笑みの真正面に球審は立っている。

 試合後、広陵OBの阪神・金本知憲は「あの判定なあ。ストライクだったろう。あの1球とその前、2球で決まってしまったな」(日刊スポーツ、8月23日付)とコメントしている。「あの1球」とは、もちろん押し出しになった1球を指す。「その前」というのは、この2球目を指している。外角低めいっぱいに逃げて沈むボールに対して、この日、この回、球審の手は上がらない。

 カウント0−2。3球目は同じ球種を仕方なく高めに入れてストライク。1−2。4球目も同じく高めに入れてカウントを整えようとしたが、高めにはずれるボール。こうして試合は運命の瞬間に突き進む。

 試合後の中井監督の言い分も、広陵側から見れば理の通ったものであることはわかる。外角低めいっぱいにコーナーをよぎるボール。左打者対策として、必死に練習して積み上げてきた、しかも体感としてはストライクに見える球をボールと判定され、高めでカウントを整えるしかなくなった。しかし最後は、野村という投手の存在証明である低めに投げ込むしかない。1−3。5球目は同じ球種を再び低目へ。そしてバッテリーと球審の間に大きく開いた裂け目が、その口を閉じることはついになかった。

 試合後、桂球審は、「捕手のミットが下から上に動いた。あれは低かった」と明言している。確かに、小林のミットは下から上に動いている。ただ、それはボールを受けた地点の動作であって、ベース上ではない。まさにストライクとボールの境界を問うようなボールだった。バッテリーは境界線をかすめたと確信した。球審はわずかに境界線の下を通過したと判定した。ここで、機械だったらどっちだったか、という想像には意味がない。野球においては、あの一球はボールである。
 
 ストライクか否かということから離れて言えば、あの1球はすばらしいボールだった。ストレート系で左打者の外角低めにやや沈みながら逃げていくボールだからである。メジャーではチェンジアップが全盛だが、日本では相変わらず、スライダー、フォークが全盛である。ただ、おそらくはメジャーの影響で、高校生でも左打者の外角へ逃げていくボールを投げる投手が散見されるようになった。野村も自分の生命線であるスライダーと対をなすボールとして、主に左打者に対してこのボールを使っていた。ところで、今大会にはひとりだけ、メジャーのチェンジアップに匹敵するような、見事に逃げて落ちるシンカーを武器にした投手がいた。
 
 新潟明訓の永井剛である。彼の場合、フォークの握りでシュートさせて落としていた。素晴らしいボールだったが、悲劇は3回戦の大垣日大戦で起きた。立ち上がり、どうしてもシンカーをストライクにとってもらえないのである。この試合も、まず、捕手がいらつくしぐさを見せた。永井も何球か不思議そうな表情を浮かべたが、結局、ストライクにはならなかった。大垣日大は、この永井の動揺を鋭く突いて攻略した。

 同じようなことは、もちろんプロ野球でも、よく起きる。最近で印象深いのは松坂大輔が14勝目をあげた、9月4日のレッドソックス対ブルージェイズ戦である。この試合、松坂は初回に1点を失ったものの、2回以降、無失点に抑えるまずまずのピッチングだった。異変が起きたのは、10−1の大量リードで迎えた6回表である。

 先頭に四球を出した後、不運なヒットが2本続いて失点し、なお一、二塁で5番トロイ・グラースの場面。崩れるか、もちこたえるかの正念場で、松坂はカウント2−0から、野村同様、自らの生命線である右打者の外角低めへのスライダーを投げた。これがタテに鋭く曲がり落ちて、ストライク!……に見えた。が、球審の手は上がらなかったのである。

 ここから松坂は「崩れる」ほうのコースに足を踏み入れてしまう。カウント2−3になって、最後に選んだのはアウトローのストレートだった。いいコースに行ったと思ったが、グラースがこれを思いきり叩くと、大きな3ランとなって右中間スタンドに消えていった。松坂は続くライル・オーバーベイにもヒットを打たれ、アーロン・ヒルでかろうじて一死をとったものグレグ・ゾーンにもヒットを打たれたところで降板。もはや、簡単にはアウトが取れない状態に陥っていた。しかし、あのスライダーさえストライクになっていれば、おそらくこの回もしのぐことはできただろう。8回くらいまで投げられたのではないか。
 他の球審なら手が上がったかもしれない。あるいは、他の日だったら、他の回だったら、投げたのが別の投手なら……しかし、すべての仮定はむなしい。

 話を広陵に戻そう。今年の広陵は本当に強かった。投手が安定していたのがその第一要因だが、もうひとつの強さの要因として、攻撃の鋭さをあげたい。
 一回戦の駒大苫小牧戦を除けば、すべて先制し、中押しし、ダメ押し点を奪って勝ち上がった。特に印象に残るのは、櫟浦大亮、上本崇司の1、2番である。必ず打って、走る。すかさずタイムリーが出る。その疾きこと、まさに風のごとし、である。

 佐賀北と延長13回の死闘を演じた帝京の前田三夫監督は試合後、敗因に「結局、相手に対して先んじられなかったこと」をあげた。今年の帝京は相当強いチームだったが、あえて広陵と比べれば、確実に先制する力がある分、わずかに広陵のほうが強いと見る。

 前田監督が敗戦の弁を述べている頃、その向かい側では、佐賀北の百崎敏克監督がお立ち台に立っていた。
「開幕試合をやって、引き分け再試合もやって、ナイターもやった。次はサヨナラ行こうやと選手には言っていました。でも、まさか帝京相手に本当になるとは思わなかった」
 佐賀北が日本中の高校野球ファンの心をつかんだのは、この瞬間だと言っていい。百戦錬磨の前田監督に対して、いわば田舎侍の百崎監督の朴訥さは、「普通の県立校の快進撃」という物語を実現させるに充分だった。

 そして決勝は序盤の劣勢をはねかえして、絵に描いたような逆転優勝。開会式直後の第一試合から最後の試合までやりとおした「普通の子」たちの奇跡! いかにも受けのよいこの物語を用意し、あの決勝戦8回裏のドラマを作り出したのは、間違いなく百崎監督の言葉であった。

 一方の中井監督。高校野球ではタブーの審判批判をやり、一転、悪役に回ることになった。冒頭の引用で私が勝手に老大に重ねたのは中井監督である。しかし、逆に野村の投げたあの押し出しの1球は、中井監督の異例の発言のせいで、大きくクローズアップされることとなり、甲子園の歴史に深く刻み込まれた。その意味では、中井監督も、「やることはやった」のである。百崎監督のもっとも高校野球ファンにアピールする言葉の力に対抗したのもまた、その「天をたたきかえした」中井監督の言葉の力であった。(ちなみに、ここに書いたことは、イーユン・リーの小説とは、直接には一切、何の関係もありません。念のため)

 広陵の強さを証明するシーンは、実は大逆転劇の起きた次の回、9回表の攻撃で起きた。
 先頭の林竜希がこの試合3本目のヒットで出塁すると、続く7番・岡田淳希はバントの構えから、まず、エンドランを仕掛ける。ファウルになったが、単純に送るのではなく、一気に再逆転を狙って攻めているのは明らかだ。

 そして、次のボール。岡田がバントの構えにはいると、サード副島が前進してくる。岡田は一塁側にきっちりとバント。なあんだ、送ったかと思った次の瞬間である。1塁ランナー林はまったく躊躇なく2塁を蹴って3塁に向かった。前進した三塁手・副島が懸命に戻る。林滑り込んで、……タッチアウト!

 おそらく、この走塁を暴走だと批判する人はいないだろう。むしろ、8回裏の大逆転というもっともショッキングなリードの奪われ方をした次の最終回で、こんな「秘中の秘」とでも言うべき作戦を敢行し、間一髪アウトのタイミングまでもっていったことの驚きが心地よい。
 この攻撃のスピード感、鋭さ。これだけのチームはそうはできない。ぜひ、広島カープにも真似していただきたい。聞いてるか、梵よ、東出よ!

 審判がストライクとコールしたボールがストライクなのであり、ストライクだから審判がそうコールするのではない。そこにこそ、野球というスポーツの持つ深淵がある。彼のキャリアで最強のチームを作りあげた好漢・中井哲之は、その深淵にはまって涙をのんだ。この深淵は、これまでも、そしてこれからも、数限りない選手、監督とファンをのみこんでいくだろう。最後に、そのすべての人々にこんな詩を捧げたい。

しきりに欄干にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
――「大渡橋」萩原朔太郎『純情小曲集』より


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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