先日、米国の或る雑誌からインタビュー取材を受けた。
 テーマは、「人気が低迷し始めた日本の総合格闘技を、どう見るか?」――。
 私の元を訪れたインタビュアーは結構、格闘技に詳しく、いくつかのマニアックな質問もしてきたが、こんな風にも問うてきた。
「これまでに日本でも、アマチュアの格闘技で実績を残した選手が総合格闘技に参戦している。柔道の吉田秀彦、滝本誠、レスリングの永田克彦……。彼らは、総合格闘技のリングに上がることで高額なファイトマネーが手に入る点が魅力だったのだろう。でも、いまやPRIDEも消滅状態にある。これからは、そんな選手もいなくなるのではないかと私は思う。あなたはどう見るか?」
 まぁ、どうでもいいことだが、言われてみれば、そうだろうなと思ったので、その通りに答えておいた。今後、日本の総合格闘技のリングは、これまでに比せば、「金の稼げる場所」では無くなるのかもしれない。でも、本質的なことを言えば、それは大した問題ではないだろう。

 一体、何時から格闘技を観る者が「プロモーター気分」を供うようになってしまったのだろうか。人気があるとか無いとか、お金が稼げるとか稼げないとか、そんなことは好きで格闘技を見続けている私にとって問題でも何でもない。おそらく、高額なファイトマネーを求めて参戦した者は、それが手にできないとなれば日本のリングを去るだろう。片や、好きで闘っていた者は、これからも戦場を求め続けるだろう。私は好きだから人気があろうとなかろうと格闘技を見続ける、それだけのことだ。

 思い起こせば、私が『ゴング格闘技』の編集長を務めていた約20年前は、いまほどに格闘技の人気は無かったけれど、リングにロマンが溢れていた。まだ、バーリ・トゥードも日本ではほとんど知られていなかった頃のことだ。
 当時、格闘技雑誌に登場するのはキックボクシングであり、極真カラテであり、シューティング(現修斗)だった。
『マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟』のリングでは、向山鉄也、斉藤京二、甲斐栄二、長浜勇、飛鳥信也、三島真一……といったファイターたちが闘っていた。プロではないけれども極真カラテの人気は高く、松井章圭、増田章、黒澤浩樹、緑健児といったスターファイターたちが存在した。彼らは現在のK-1、PRIDEのトップファイターたちほどには世間に名を知られてはいなかったけれども、戦場において十二分な輝きを放っていた。<入場の際にパフォーマンスをしてファンに媚びを売ろうとはしない><高額なファイトマネーを手にするわけでもない><己の存在のために闘う>それが20年前のファイターの姿だった。

 最近は、インタビューをすると、多くの選手が口にする言葉がある。
「勝ち負けよりも、お客さんに感動を与える試合をしたい」
 正直なところ、私は、その言葉を聞いてガッカリする。
「感動を与える」とは何なのだろう。
 感動は「感動を与えようとするファイター」によって我々にもたらされるものなのだろうか。否、ファイターが必死に勝利を掴もうとする姿を観る中で、我々の中に生じるものではないのか。勘違いも過ぎるのではないかと思う。プロのファイターとはいえ、「プロ」である前に「ファイター」だろう。プロモーターやファンに媚びてどうするのか。そんな真摯さを欠いた姿勢で闘う選手を見て感動できるはずもない。
 総合格闘技の人気の低迷……それは嘆くものでも無いだろう。真のファイターだけがリングに残る……格闘技は現在、正常な姿に立ち返ろうとしているのかもしれない。


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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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