小学生の頃、少年野球で初めて付けた背番号が「6」だ。本当は長嶋茂雄の「3」を付けたかったが、この番号は競争が激し過ぎた。当時、小柄でやせっぽちだった私に与えられたポジションはセカンド。V9巨人の名二塁手・土井正三の背番号「6」だった。

 珍しくファインプレーをすると監督から「土井みたいだな」と褒められた。打席に立つとグリップエンドを高く保ち、内角球を上からブッ叩いた。すると打球は意に反してライト方向に飛んでいった。「これが土井式ライト打ちだ」と仲間に自慢すると「高田繁のように三塁線をライナーで破る方がカッコイイ」と言い返された。もう40年近く前の話だ。

 さる6月8日、クラシックな巨人のユニホームに身を包んで東京ドームに現れた土井さんは痩せ細っていた。やっとの思いで車イスから立ち上がり、ファンにあいさつした。病魔(すい臓がん)と闘っているとは聞いていたが、ここまで重症だったとは…。「3月5日に手術して、意識が戻ったのは2カ月後の5月の連休明け。最初に思ったことは“生きていて良かった”」。

 過日、都内の自宅に土井さんを訪ねた。頬はこけていたが、眼光は鋭く、言葉もしっかりしていた。巨人に話が及ぶと語気が鋭くなった。「この前の“隠し球”(8月15日の対広島戦で広島の二塁手・山崎浩司が二塁走者の阿部慎之助をアウトにした)あれはコーチより、まずは選手の責任ですよ。だってボールと守備位置の確認は誰がやるのか。それも全部コーチがやるというのは過剰サービス。僕らの時は1日、2打席しかテレビに映らない。それを女房がメシを作りながら、ビデオに収めていた。昔の巨人は家族ぐるみで戦っていた。だから強かったんですよ」。

 家族ぐるみという言葉が妙に新鮮だった。闘病生活を支えたのも伴侶だった。
「今まで僕は好き放題やってきた。これからは女房、家族を大事にせなあかんなぁと思いましたよ」。心なしか目が潤んでいた。

 V9時代の師である川上哲治さんからは2度、直筆の手紙が届いた。<あの小さな体で試合に出て9連覇に貢献した君のことだ。きっと病気にも打ち勝ってくれるだろう>。そう、したためられていた。背番号「6」の雄姿よ、今一度。

<この原稿は07年9月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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