もし新渡戸稲造が今の時代に生きていて、スタンドからこのプレーを目撃したら、どんな反応を示したことだろう。やはりダメなものはダメというだろうか。

 後に国際連盟事務次長にまでなった新渡戸稲造といえば、1911年に東京朝日新聞が論陣を張った「野球害毒論」の急先鋒でもあった。次の言葉を残している。「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」

 先週の水曜日、広島市民球場で「巾着切りの遊戯」を目のあたりにした。広島の二塁手・山崎浩司が巨人の二塁走者・阿部慎之助を隠し球という名の「ペテンに掛け」たのだ。
 7回表、1−1の同点の場面。巨人は代打・清水隆行の送りバントが決まり、一死二、三塁。三塁ベースコーチの伊原春樹は三塁走者の李承に「敬遠もあるぞ」と告げた。一塁ベースコーチの西岡良洋もボールから目を切っていた。

 山崎は白昼ならぬカクテル光線の中に生じた死角の中で深海魚のように息を潜めていた。投手の長谷川昌幸はプレートをはずしたまま、右手で首をかく仕草などをして時間を稼いだ。手詰まりとなった長谷川がロージンバックに手を伸ばした瞬間、阿部がベースを離れた。その一瞬を山崎は見逃さなかった。

 試合後、原辰徳監督は「ジャイアンツのユニホームを着ている全員がわからなかったわけだから、フィールドにいる人間だけを責めることはできない」と阿部やコーチをかばった。「フィールドにいる人間」どころか、おそらくは2万人近い観衆の誰ひとりとして気付かなかったわけだから、これはもう“真夏の夜の完全犯罪”である。「日頃から(隠し球を)狙っている」と顔色ひとつ変えずに言い切った山崎。そのシニカルな“巾着切り魂”に触れて背筋がゾクリとした。

 野球のグラウンドとはスキあらばペテンに掛けようと策謀を巡らせる魑魅魍魎たちが棲む恐ろしい場所である。だから面白い。最後に山崎の名誉のために言っておくが、あの隠し球は「賤技」ではない。プロの見事な「鮮技」である。

<この原稿は07年8月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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