「親方」という言葉の響きにはえも言われぬ威厳と迫力がある。たとえ白いものでも親方が黒と言えば黒。理不尽で非民主的といわれればそれまでだが、アナクロニズムの存在価値はもっと深いところにある。


 理不尽で非民主的な組織が「伝統」という美名の下に保護される条件は何かと考えたら、行きつくところ、それは統治者、すなわち親方の「徳」以外にはありえない。道徳、美徳、そして人徳。親方は弟子に対し、それを伝承させる義務がある。

「徳」の総体の連続性こそが実は「伝統」の正体であり、それが断絶するようであれば、もはや「国技」は使命を失ったも同然だ。利益だけを目的とするなら相撲部屋はさっさと解散し、プロダクションと名乗った方がいい。夏巡業はサマーイベントと改称すべきだ。

 繰り返し述べるが日本相撲協会が公益法人(財団法人)として税制面で優遇されているのは営利のみを追求しない公益事業や公益活動を地道に行っていると認定されているからに他ならない。

 地方巡業は言うまでもなく大切な公益事業のひとつだ。そのいわば大相撲の根幹を揺るがしかねない今回の朝青龍問題に対する高砂親方や北の湖理事長の見解、行動はあまりにも手ぬるい。あまりにも虚しい。13日にはCNNも国技館に取材に来たというが、世界中に恥をさらしているようなものだ。

 元横綱・双羽黒が立浪親方とトラブルを起こし、廃業に追い込まれたのは20年前のことだ。この一件について、当時現役を引退したばかりの高砂親方は自著でこう述べている。
 師匠と弟子は<お互いのことを思いやり、理解し合う点が大事なんだ。相撲部屋でも、弟子は師匠を慕い、師匠は弟子を理解しなくちゃならない。><確かに双羽黒は自分の思うようにならないことが多かったのだろうが、いちばん間違えていたのは、双羽黒がいて立浪部屋があったんじゃなく、立浪部屋があったから双羽黒も生まれたってこと。ここを双羽黒は誤解していたんじゃないのかね。><たとえ横綱という最高の地位を占めても、そのいちばんの基本は分かっていなければならない。>(『大ちゃんの大相撲ここだけの話』)
 一刀両断だ。親方とはかくあるべし。なぜ弟子の朝青龍に同じことが言えないのか。名門の看板が泣いている。

<この原稿は07年8月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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