スタートはまずまずだった前期シーズン、終わってみれば12勝29敗4分。3位・高知に7ゲーム差をつけられての最下位でした。開幕前、「昨年のような成績はありえない」と宣言しておきながら、その勝ち星を上回れず、申し訳なく思っています。

 他チームとの差は何なのか。簡潔に言ってしまえば“初球”の入り方にあったとみています。攻撃でいえば序盤でチャンスを作りながら、初球の甘いボールを見逃したり、打ち損じたり……。これで相手投手を随分、助けてしまいました。逆に投げるほうでは初球に不用意なボールを投げたり、意味もなくボールから入ったり……。自らピッチングを苦しくする場面が多々ありました。

 先に点を失えば試合は厳しい展開になるのは目にみえています。負けが込めば、チームの流れも良い方向になりません。すべてが後手後手の悪循環に陥ったまま、前期は終わってしまいました。

 ただ、開幕当初に結果が出たのはキャンプからの練習の成果であることは間違いありません。早出、居残りで選手たちも意欲的にトレーニングをしてくれました。技術や体力面はもちろん、練習で芽生えた自信がいい形でプレーに出ていました。

 今から思えば、そこに落とし穴があったのです。僕も含めて、良い時こそ気を引き締めなくてはいけませんでした。ちょうど同時期にトレーニング環境が変わった影響もあったとはいえ、もう一歩、練習に力を入れる必要があったと反省しています。

 後期も同じような結果を出すわけにはいきません。残り試合、腹をくくって戦うつもりです。まず選手の役割は固定しようと考えています。たとえば抑えの小林憲幸。前期は調子が上がらず、先発で使ったこともありました。しかし、結果は出ませんでした。何かを変えてみようと試したのですが、僕がバタバタ動きすぎたのかもしれません。 

 抑えを任せるには不安定な部分もありますが、やはり持ち味を生かせるところで起用するのが一番なのでしょう。フォームを微調整する中で、ボール自体も良くなってきました。彼が最後をきちんと締めくくれば、勝ち星は確実に増えます。最終回、僕は小林にすべてを賭けるつもりです。

 先発では過去2年、軸だった角野雅俊を柱に据えます。精神的に波があるのが彼の欠点でしたが、前回、紹介したようにたいぶ改善されてきました。彼を投手陣の中心と決めることで、もう一皮むけてほしい。そんな願いもあります。

 もちろんサイドスローの片山正弘、若手の益田陽介も引き続き先発で経験を積ませる方針です。後期はスタートが雨で3試合流れ、夏場以降、日程がきつくなることが予想されます。戦力的には前期と変わりませんが、選手がそれぞれの役割をこなす中でレベルを上げる45試合にしてほしいものです。たとえ失敗しても、それを次回の成功の種にしなくてはいけません。

 育てながら勝つ。難しいテーマですが、これが前期のような失敗を繰り返さないための1つの方法だと思っています。

小林憲幸(こばやし・のりゆき)
 1985年2月9日、埼玉県出身。05年、アイランドリーグの創設とともに徳島に入団。クローザーとして1年目は38試合に登板して3勝11セーブ、06年は42試合で2勝2敗11セーブ(リーグ1位)の成績を残す。MAX147キロの速球で押すピッチングが持ち味だが、今季は出遅れ、前期は12試合に投げて1勝3敗、防御率9.00に終わった。

白石静生(しらいし・しずお)プロフィール>:徳島インディゴソックス監督
 1944年5月22日、徳島県出身。鳴門高から四国鉄道管理局(現JR四国)を経て、66年、ドラフト2位で広島に入団。左の本格派投手として69年に11勝、70年には13勝をマークした。当時、外木場義郎、安仁屋宗八、大石弥太郎とともに先発の4本柱を形成していた。75年に阪急に移籍。77年、78年の日本シリーズで1勝ずつを挙げている。81年限りで引退。16年間の通算成績は394試合、93勝111敗、防御率3.81。引退後は徳島に戻り、全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の徳島県代表幹事や徳島中央シニアの監督を務め、野球の底辺拡大に力を注いでいた。06年10月より徳島インディゴソックスの監督に就任。

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