富山サンダーバーズのプレーイングコーチに就任して約7カ月が経ちました。開幕前のキャンプでは、それこそ選手に教えることがあり過ぎて8割以上をコーチ業に費やさなければならず、自分の練習はNPB時代の10分の1に減りました。しかし、今では選手たちも格段にレベルアップし、僕も少しずつ自分の練習量を増やすことができています。
 僕が富山に行こうと決心した最大の理由は、選手としてプレーができる場を与えてもらったからです。
 昨年オフ、福岡ソフトバンクから戦力外通告を受けた僕は12球団合同トライアウトを受けました。現役選手として肉体的にも精神的にもまだやれる自信があったからです。その2回目のトライアウトに鈴木康友監督が来ていました。
 その日のテストが終了するや否や、鈴木監督から「北信越に独立リーグができるんだ。オレはそこの監督をやることになった。コーチとして手を貸してくれないか」という誘いを受けました。そしてその数日後、今度は信濃グランセローズの三沢今朝治球団社長からも「コーチをやってくれないか」という電話がありました。

 現役にこだわっていた僕は、ひとまず返事を待ってもらいました。しかし、いくら待っても12球団から声はかからない。もう現役を諦め、コーチ業の道を進むか……。数日間、悩みました。
 そんなときでした。鈴木監督から再び電話がかかってきたのです。
「宮地、プレーイングコーチでやってみないか?」
 この言葉で僕の気持ちは固まりました。もちろん、NPBから創設したばかりの独立リーグに行くことに不安がなかったわけではありません。でも、どこであっても野球をやることに変わりはない、と思ったのです。

 値千金のホームラン

 今、富山はリーグの首位を走っています。その一番の要因は、一つの勝ち負けに一喜一憂していないということでしょう。高校までのようなトーナメントとは違い、リーグ戦では負けたからといってそれで終わりではありません。目先のことだけを見ていては、リーグ優勝などできないのです。最後の最後に首位に立つために、今何をすべきかを考えること。それが重要なのです。そうした考え方が、富山の選手たちには浸透してきた。それがチームの好調につながっているのだと思います。

 とはいえ、ベンチが重苦しい雰囲気になることもあります。
 6月29日の信濃戦。僕たちは初めて完封負けを喫しました。そして翌日の石川戦、初回は三者凡退に終わり、ベンチは前日の試合をひきずっているような重い空気に包まれていました。
 迎えた2回。1死後、5番・井野口祐介(平成国際大出身)が四球で出塁し、僕に打順が回ってきました。できれば長打が欲しいところ。2塁打でも打てば、1死2、3塁となり得点しやすい場面をつくり出すことができます。

 ところが、結果は先制の2ラン。一番ビックリしたのは僕でした。「こりゃ、エライことやったな」と。ダイヤモンドを一周しながら「なかなか見れない自分のホームランを目の当たりにするなんて、今日のお客さんはラッキーやな」なんて考えてました(笑)。
 序盤で得点できたことで、チームにとっても価値のあるホームランだったと思います。でも、僕個人にとっても嬉しい一発でした。
 実は、完封負けを喫した前日の試合後、僕は選手たちにこう言ったのです。「この負けは、きっと神様が首位攻防戦の石川戦を前に、『お前ら、初心に戻って気を引き締めなさいよ』と言ってくれてるんだ。だから、明日は気持ちを切り換えて頑張ろう」と。つまり、それを自ら有言実行できたわけです。

 技術よりも意識改革

 僕がコーチとして選手に一番伝えたいことは、プロとしての心構え。だから、技術の向上以上に選手たちの意識改革を最大のテーマとして指導にあたっています。僕は、長い2軍生活から一度は戦力外通告を受け、テスト上がりでレギュラーの座を掴むという苦労をしてきました。その中で「意識さえ変えることができれば、人は変わる」ということを学んだのです。取り組む姿勢が変われば、技術は自然と伸びてくるものだということを身をもって知ることができました。

 独立リーグとはいえ、プロ野球です。お金を支給されて野球をやっているわけで、選手はそれに見合うだけのプレーを観客に見せなければなりません。
 しかし、彼らにはまだそこまでのハイレベルな技術はないのが現状です。では、彼らにできることは何か。それは野球に取り組む姿勢です。全力疾走、礼儀正しさ、ハツラツさ……。そうした一生懸命に野球をやっている姿を見てもらうことしかないのです。

 そのことを僕はキャンプの時から選手たちに口を酸っぱくして言い続けてきました。今では、選手たちも少しずつプロ意識を持つようになってきたように感じられます。目に見えて技術が向上しているのも、こうした意識改革の賜物だと思います。

 僕は富山だけでなく、このリーグ全選手に野球をやり尽くしてほしいと思っています。僕が独立リーグに来てまで野球をやり続けているのは、やり尽くしたという達成感が得られていないからです。
 それは、決して結果で得られるものではありません。自分の力を出し切るということです。もし、それで結果が出なくても全力を出し尽くしたのなら「ここまでやったんだから、もういいや」という清々しい気持ちになるはずです。そして、納得して次の道へ進むことができるはずです。

 さて、僕自身はNPBの復帰を第一の目標にしています。そのために一番こだわっているのは、自分を貫くこと。レベルが違っても、決して奢らずにNPBでやってきたバッティングスタイルを大事にしています。どの選手よりもバットを短く持ち、ヒットを狙う。これが僕のスタイルです。これまでやってきたことを崩さずに継続することで、NPB復帰への道が切り開けるのだと信じています。
 10月にはチームがリーグ優勝を果たし、僕自身も最低でも3割以上の打率を残してMVPと首位打者を獲得したいと思っています。


宮地克彦(みやじ・かつひこ)プロフィール>:富山サンダーバーズプレーイングコーチ
1971年8月28日、大阪府出身。尽誠学園(香川)時代、エースとしてチームを夏の選手権大会ベスト4に導いた。90年、ドラフト4位で西武に入団。94年にバッティングセンスと強肩をいかすために外野手に転向する。02年には100試合に出場し、リーグ優勝に貢献するも、03年オフに戦力外通告を受ける。しかし、福岡ダイエー(現ソフトバンク)の入団テストに合格し、05年には開幕からスタメン入り。打率3割1分1厘を記録し、初のベストナインに選出された。06年オフにソフトバンクから戦力外通告を受け、今季より富山サンダーバーズのプレーイングコーチに就任。175センチ、82キロ、左投左打。






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 今回は富山・宮地克彦プレーイングコーチのコラムです。「NPBへの可能性を秘めた小園」。ぜひ携帯サイトもあわせてお楽しみください。
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