第3回ワールドリーグ戦には、カール・クラウザーやミスターXに混じって、もうひとり実力派のアイク・アーキンスも参加していた。当時を知る関係者によるとアーキンスは本物のギャングであり、気心の知れた日本人レスラーには、ハリウッドのトップ女優であるバージニア・メイヨとのツーショット写真を見せびらかしていたという。当時、ギャングでも、ハリウッドの女優と付き合える者は、幹部クラスに限られていた。
「このアーキンスには、力道山でさえもが一目置いていた。ある時、間違って力道山の空手チョップがアーキンスの喉元に入ってしまった。さっと顔色のかわったアーキンスは、場外に出るやカメラマンのフラッシュ・キューブを拾い上げ、それを鉄柱に叩きつけてとからせた。それを仕返しとばかりに力道山の顔にズブリ、ズブリと刺し込んだ。それでも力道山はじっと我慢して耐えていた。空手チョップが喉に入ったという引け目もあったのかもしれないけど、それ以上にアーキンスのことが怖かったんじゃないかな」(前出・菊池氏)

 アーキンスはしばしばコーナーから客席に向かってマシンガンをぶっ放す格好を見せた。マシンガンを腰だめにした構えは、あまりにも決まり過ぎていたため「ギャングのアーキンスは、きっとああやって本物のマシンガンをぶっ放していたんだろうな。ひょっとすると何人か殺しているかもしれない」と関係者はアーキンスに聞こえないようにささやき合ったという。

 クラウザーにミラーにアーキンス。強い上に、いざとなったらシュートも辞さない一匹狼たち。シリーズ中、力道山は一日として気が休まらなかったのではないだろうか。
 リングスでいえば、アーキンスの役どころはレンティングだ。“レッドゾーンを超える遺伝子”のニックネームが示すとおり、向こう意気の強いファイトには定評がある。だが、残念なことに(?)アーキンスが力道山の額にフラッシュ・キューブを突き立てたような蛮行には未だお目にかかれない。

 いや、手がつけられないというこおにおいては、むしろレンティングよりもフレドリック・ハマカー(‘90年、新生UWFマットに出場)の方が一枚上。あるオランダ格闘技界の事情痛は「親分のドールマンが唯一、日本に連れてこないのがハマカー。あのドールマンが“責任を持てない”と言っているんですから相当なものです」と内幕を明かす。

 事情通氏によれば、とりわけハマカーはバート・コップスと仲が悪く、控室でオノを振り上げ、殺そうとしたこともあったという。ハマカーの仲間はそのほとんどが用心棒崩れで、ドールマンですら手を焼いているというのが実情のようだ。

 レンティングが“レッドゾーンを超える遺伝子”なら、ハマカーは“レッドカード(退場処分)を超える遺伝子”だ。ぜひともリングスのリングで、持ち前の狂暴性を発揮して欲しい楽しみなキャラクターである。元ストリート・ファイターの前田が「危険人物はリングスに上げない」と言ってしまったのではシャレにならない。私たちはヴォルク・ハンの対極に位置する「むき出しの野性」にも興味を持っていないわけではない。何よりも血沸き肉躍る闘いが見たいのだ。

 リングスはルール、コミッション体制、選手の健康管理など、あらゆる面において未整備である。少なくともボクシング、相撲、柔道に代表される競技性の高いスポーツ格闘技とは一線を画す。観客へのサービスが多分に含まれており、いい意味でプロレスの名残りを随所に残している。しかし、それは決して卑下することではない。それがリングスの個性であり、生き延びる道でもある。ボクシングのようにストイックな方向を目指すなら向こう50年はかかるだろうし、ショー性だけを追求するならそれに徹するFMWにかなうわけはない。

 リングスは今のままノンセクト・ラジカルの、つまりは定義付けの困難なファジーな格闘技団体として柔軟に振るまった方がいい。若い層からの熱烈な支持は、この団体の何よりの財産となろう。
 もちろん、前田日明にその才能がないというわけではないが、観客との駆け引きにおいて、力道山ほど才覚を発揮したレスラーはいない。一に力道山、二にアントニオ猪木、三四がなくて五に大仁田厚といったところか。

 第1回ワールドリーグ戦。力道山は既に市民権を得ていたプロボクシングにならい、リング上のファイトにリアリティをもたらせるために8分3ラウンド制(インタバルは2分)という新ルールを採用した。なぜラウンド制なのか? というある記者の質問に対し、力道山は得意気に「公式戦じみていいだろう」と答えたという。一般世間を視野に入れた、興行師・力道山の用意周到な知略を垣間見ることができる。

 昭和30年代、既にプロレス=八百長とする空気は世間一般に充満していたが、力道山はまずルールというハードを整備することによって、一般世間とプロレスを分かつ堀を埋め、次に「スポーツ」という耳によく馴染む言葉を駆使して橋を渡し、新装開店のイメージを強調することによって、足の遠のいていたかつてのプロレスファンに、再びプロレスに向かう橋を渡らせたのである。力道山は中味ではなく外装をかえることによって、団体のリニューアルに成功したのである。

 一方の前田日明率いるリングスも、試合のソフト自体はUWF時代とそう大きく変わっているわけではない。にもかかわらず、UWFインターナショナルや先頃、解散宣言を行なった藤原組に比べて革進的なイメージが強いのは、ネットワーク化構想やランキング制の導入など、次々と新機軸を打ち出してきたからである。

 翻ってUWFインターや藤原組は、ファンの期待を先取りするような近未来戦略を何も打ち出すことができなかった。ルー・テーズを引っ張り出してのUWFインターの“先祖返り作戦”も悪くはないのだが、下手をすると高田はアントニオ猪木のエピゴーネンで終わってしまいかねない。元・横綱の北尾を悪玉に据えたり、元ボクシングヘビー級王者のトレバー・バービックをリングに閉じ込めるといった小さな戦術は随所に見られるのだが、向こう何年か先をゴールに定めての大局的見地に立った戦略が少し見えてこない。勢い一発勝負の自転車操業に活路を見いだしか他に方法がなくなってしまう。迷路の先は行き止まりが待っているだけだ。

 もちろん、リングスに全く不安材料がないというわけではない。ランキング制の導入は、近代化への一里塚でもあり、大いに評価できる。だが、どういう理由からかランキングの頂点に王座が設定されていない。前田はどうやらランキングを先につくり、機が熟したところで王座を設けようという腹づもりのようだが、これは逆なのだ。格闘家の究極の目的は何か。それはチャンピオン、つまり一番強い男(女)になることであり、ランキングの推移を株価の変動のように楽しむことではないのだ。王座を設けないなら、ランキングそのものが無意味であるといわざるをえない。蛇足だが、人材不足の日本ボクシングのミドル級は、現在5人しかランカーがいない。だからといって王座が空位ということはない。会社の人事同様、ランキングは上(王座)から順に決めていくのが大原則である。

 さすがに大相撲出身の力道山は、その点においてもいかんなく才覚を発揮した。<ワールドリーグ戦>終了後、上位進出者による選抜シリーズを開催した。これにより<ワールドリーグ戦>は点ではなく線として機能し始めた。これは興行収益の面でも大きなプラスをもたらしたといわれる。

 力道山と前田日明。プロレスの創始者と改革者の間には、あまりにも共通点が多い。晩年、力道山は肉体の衰えが原因で自らがイメージする力道山を演じ切れなくなり、非業の死をとげる。前田日明もまたリングスの一枚看板、後継者はいない。

 誤解を恐れずに言えば、前田日明は自らを必要としない組織を一日も早くつくり上げねばならない。反面教師の側面も含めて、力道山の生き様から学ぶべき点はたくさんあるはずである。
(おわり)

<この原稿は1993年2月20日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
◎バックナンバーはこちらから