6月2日にロスアンジェルスへは行かなかった。1984年の五輪メイン会場であり、かつてはNFL(ナショナル・フットボールリーグ)LAレイダースの本拠地であったメモリアル・コロシアムで開催された『Dynamite!! USA』を私はテレビで観戦した。他の取材スケジュールが入っていたため行けなかったのだが、大会の直前になっても「どうしても現地で観なければ…」とは思えなかったからだ。昨年の5月、LAのステイプルズ・センターでホイス・グレイシーがマット・ヒューズと闘った(UFC60)。この時も別の予定が入っていたのだが直前になり、どうしても現地で観て取材しておきたいと思った。無理を言って、あるイベントの出演をキャンセルし飛行機に乗った。だが今回は違った、「どうしても…」という衝動は最後まで湧き上がってはこなかった。どうしてだろう?

 

 4日の月曜日、缶詰状態で原稿を書き続けていたある出版社の応接室でテレビのチャンネルをTBSに合わせた。
 テレビ画面を見つめながら、何故、観に行きたいと思わなかったのかが、やっと解った。試合を観ながら、緊張感が持てないのだ。ホイス・グレイシー×桜庭和志、7年前の東京ドームでは手に汗を握らずにはいられなかった。両者の、勝利へのあくなき執着心がヒシヒシと伝わってきた。90分に及ぶ死闘、最後はホイスの兄ホリオンがタオルを投入し闘いは終わる。正直なところ、「グレイシーのためなら死ねる」と話していたホイスが途中で試合を放棄したことにはガッカリもしたが、格闘史を辿る上で歴史に残る一戦であったことは間違いない。

 それに比すれば今回のリマッチは凡戦だった。5分3ラウンドの闘いは両者ともに相手に決定的なダメージを与えることができぬまま終了のゴングを迎える。判定でホイスが勝者となるも内容的にはドロー。かつては時間無制限での闘いでなければリングに上がらないと話していたホイスが勝利を喜ぶ姿は滑稽でさえあった。

 いや、緊張感を私が持てなかったのは、試合内容や結果云々のためでは無かっただろう。そもそも、二人は、この時点で再戦する必要があったのだろうか? 7年前とは総合格闘技界の状況も、二人が置かれた立場も、まったく異なる。既に無敗ではなく一年前にヒューズに敗れ、現在の実力を晒してしまったホイスと、ヴァンダレイ・シウバに3度敗れ、ヒカルド・アローナ、ミルコ・クロコップに叩きのめされ、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラの軍門にも下り、輝きを失ってしまっている桜庭。ともに過去に輝いたビッグネームであっても現在のトップファイターでは無い。懐かしさだけでリングを見つめるには忍耐力が必要だ。組んでもらいたくないリマッチだった。

 そろそろ、やめた方がいいと思う。ビッグアリーナでの大会開催をぶち上げてから、その箱を埋めるカードを決めようとすることは。意義のある対戦カードの下に、その試合に見合った会場を設定すべきなのだ。
 振り返れば、10年前の97年10月11日に開催された『PRIDE.1』。この時はヒクソン・グレーシーvs高田延彦というスーパーカードを決めた後に舞台を東京ドームに設定していた。これが本来あるべき格闘技イベントの姿だろう。テレビのソフトとして利用され続けていることを猛省すべき時期にきている。TBSによる『Dynamite!! USA』2時間中継…その中で最も心を動かされた試合が、既に5年前に行われたものの再放送、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvsボブ・サップでは、あまりにも寂し過ぎる。


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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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