「オガサワラひとりにやられた」
 オリックスのテリー・コリンズ監督はそう言って、唇を噛んだ。
 5月28日、交流戦のオリックス戦で自身初となる1試合3本塁打。開幕から巨人の3番に座り、5月30日現在、打率3割3分5厘、14本塁打、36打点――期待にたがわない活躍ぶりだ。

 本拠地はかって知ったる東京ドームである。開幕15戦目からの連続試合安打「23」は、張本勲の30、王貞治の25に次ぐものだった。
 外様ながらチームを引っ張る小笠原道大にイメージが重なるのが、日本ハムから巨人移籍の先輩にあたる張本勲だ。
 張本は巨人が史上初の最下位となった翌年、トレードで入団し、安打製造機ぶりを発揮した。首位打者の座こそ谷沢健一(中日)に譲ったものの、打率3割5分5厘はリーグ2位。王貞治とOH砲を形成してV奪回に貢献した。

 気の早い話だが、もし今季、巨人が5年ぶりにV奪回を果たせば、小笠原は入団当初から将来を嘱望されていたわけではない。
 社会人野球を経て24歳での入団。「一年一年が勝負」という気持ちを胸に刻んでいたが、社会人時代の金属バット使用の弊害か、ボールが前へ飛ばない。外野手はおろか内野手の頭すら越えない日々が続いた。

 そんな小笠原に救いの手を差し伸べたのが、打撃コーチの加藤英司である。
 華奢な体ながら、フルスイングで常勝・阪急の3番を担い、三度の日本一に貢献した加藤の教えはいたってシンプルだった。
「詰まろうがバットの先に当たろうが、とにかく最後まで降り抜こうやないか。トップの位置からポイントまで、最短の距離を振り抜こう。仮に空振りしても尻もちついたとしても、それでええやないか」

 小笠原のトレードマークといえばフルスイングだが、その原点は加藤との出会いだった。
 フルスイングと聞けば、力任せにバットを振り回しているような印象を受けるが、そう単純ではない。バットを振り切るだけの体力、すなわち下半身が強くなければ豪快なスイングは生み出せない。
 小笠原は一心不乱にバットを振ることで、球界屈指のスイングスピードとブレのない回転軸をつくりあげた。まさに“努力の人”である。

 巨人・清武英利球団代表はFA宣言した小笠原を獲得するにあたり、グラウンド整備まで手伝う熱心さに目をつけ、「背中でウチの選手を引っ張ってほしい」と口説いた。
 FA選手は実績だけで評価されるものではない。野球に取り組む姿勢やチームに与える影響をも考慮しなければならない。
 身長178センチと小柄だが、その背中は原寸よりもずっと大きく見える。

<この原稿は07年6月17日号『サンデー毎日』に掲載されています>

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