リングス初のトーナメント戦である<メガバトルトーナメント>はリングス・オランダのボスであるクリス・ドールマンが子分のディック・レオン・フライをレッグロックで破り初代の覇者となった。ドールマンをして“泣く子も黙る赤鬼”とはよく言ったもので、その武骨な面構えからは、いかにもアムステルダムの夜の暗がりを取りしきる用心棒の元締めの威厳がにじみ出ていた。加えて溶岩が冷却してできたような体付きも、相手を威嚇するには充分だった。
 ボス相手になす術なく敗れ去ったとはいえ、フライの風貌もメインイベントのスポットライトによく映えた。ドールマンが“泣く子も黙る赤鬼”なら、こちらは“冷血獅子”。「実際に会って話せば、なかなかいいヤツだよ」とフライを知る人は語っていたが、繁華街の裏道では間違っても見たくない顔だ。余談だが筆者はフライを見るたびに、ひとりのスポーツ選手を思い出す。サッカー、オランダ代表のリベロ、ロナルド・クーマン(FCバルセロナ所属)だ。眉毛がなく、唇が薄く、耳がとがっている(ように見える)。そのためか、どうにも残忍なイメージがぬぐえない。そういえば、クーマンの代名詞は“牛を殺すキック力”である。昨年5月に行われたヨーロッパ・チャンピオンカップでのフリーキックによる決勝ゴールの初速スピードは、ゆうに時速140kmを超えていた。

 前田日明と3位決定戦を行なったヘルマン・レンティングの外連味のないファイトにも好感を覚えた。“飾り窓”の近くにあるカジノの用心棒を生業とする彼のニックネームは“レッドゾーンを超える遺伝子を持つ男”。前田戦では自制心が働いたのか、遺伝子の針はイエローゾーンの中で徐行運転を繰り返すのみだったが、何かの拍子で針が一旦、振り切れてしまったが最後、リング上の闘いが“仁義なき抗争”に発展するだろうことは、その負けん気の強そうな横っ面から充分に想像することができた。トーナメントに危険な色を添えるにはもってこいのキャラクターだ。彼のファイトには、ほのかに揮発油の匂いがした。

 個性派といえば、忘れてならないのがリングス・ロシアのヴォルク・ハンである。相手の手首を掴んで瞬時のうちに投げ捨て、どのような体勢からでも関節をきわめてしまう魔術師的なテクニックは“身体の無形文化財”といっても過言ではあるまい。相手の足や腕を思うがままに蹂躙し、綾取りの糸のようにヒョイとひねり上げる。そのバリエーションの豊富さを目のあたりにした私たちは、ただただ驚嘆し、息をのむしかなかった。
 彼ら民族色豊かな個性派たちの活躍により<メガバトルトーナメント>は大成功を収めた。決勝戦を完全生中継した日本衛星放送も高視聴率をマークし、リングス人気の根強さを証明した。現場の担当記者の報告によると、設立当初には点在した会場の空席も、トーナメント期間中はほとんど見られなかったという。前田が目論んだリングス・マットの格闘磁場化は、確実に若い層を中心としたプロレスファンの支持を獲得しつつあると考えていいだろう。

 さてお立ち合い。話は34年前に遡る。今のリングス・マットを彷彿とさせる民族色豊かな格闘磁場は日本における“プロレスの創始者”力道山の手によって出現した。それはプロレス第2期黄金時代の幕開けでもあった。
 1959年5月、斜陽のプロレスを救う起死回生のプランとして力道山は<ワールドリーグ戦>を開催する。力道山の意図したものはプロレスのオリンピック化であり、何と企画の段階では興行名の中にオリンピックの6文字を刻み込もうとしたという。このアイデアは残念ながらIOC関係者の横ヤリが入って頓挫してしまうが、スポーツ界最大のブランドであるオリンピックの6文字を強引に導入しようとしたところに力道山らしさを感じる。それにしても、なぜ力道山はプロレスとは似ても似つかぬ、いわば“高嶺の花”であるオリンピックに目を向けたのか。

「プロレスを創設した当初は、日本人の中に外国人コンプレックスがあり“鬼畜米英”の発想でもよかった。ところが、1957年にクリーンファイトのルー・テーズが来日し、日本人=善玉、外国人=悪玉という図式が成立しなくなってきた。おまけに1954年の木村政彦との日本選手権があまりにも凄惨だったという理由で、朝日、毎日、読売がプロレス報道から撤退してしまった。それらの理由から低迷を余儀なくされ始めたプロレスを救うには、世間に通じるようなスポーツとしてアピールしていくしかない。力道山はそう考えたんじゃないかな。そこで浮かびあがったのがオリンピック。ワールドリーグ戦も、最初の計画では<プロレス・オリンピック>になっていたようです」(プロレス評論家・菊池孝氏)

 力道山が<ワールドリーグ戦>を開催するにあたってつけたキャッチフレーズは<世界チャンピオンが揃う、世界で最強の男を決める大会>。このフレーズを短縮したもの、それが<世界最強の男はリングスが決める>である、と断じたら前田日明は怒るだろうか。偶然とはいえ、このキャッチフレーズの一致は興味深い。前田日明の遺伝子を顕微鏡でのぞくと、案外、力道山の遺伝子のコピーであることが判明するかもしれない。

 第1回ワールドリーグ戦の参加外国人レスラーは、ダニー・プレチェス(アメリカ)、ミスター・アトミック(覆面代表)、ジェス・オルテガ(メキシコ)、エンリキ・トーレス(メキシコ)、キング・コング(東欧)、ターロック・シン(インド)、ロード・ブレアース(イギリス)の7人。正体不明という触れ込みのミスター・アトミック(正体はドイツ系アメリカ人のクライド・スティーブンス)を覆面代表にしたのはご愛敬だが、肩に名前入りのたすきをかけ、腰に各々の保持するチャンピオン・ベルトを巻いての開会式は、一般世間受けを狙った、俗にいうあざといセレモニーだったとはいえ、ワールドリーグ戦の格付けに一役買ったことだけは確かだったようだ。

(つづく)

<この原稿は1993年2月20日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
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