昨年10月1日、大阪・梅田ステラホールで開催された総合格闘技イベント「パンクラス2006 BLOW TOUR」。メインには、パンクラスのライトヘビー級タイトルを持つ同団体のエース・近藤有己が登場したこの大会、第2試合「パンクラスアテナ(女子部門)」で、柔道出身、当時19歳の中井りん(現所属・修斗道場四国)が、伊藤あすか(パンクラス稲垣組)戦でプロデビューを果たした。


 柔道では高校時代に国体3位になるなど全国トップクラスの実績を持つが、本格的に総合格闘技に取り組むようになってこの時点でわずか1カ月あまり。対する伊藤は、総合格闘技のキャリア5年以上のベテラン選手だ。
 試合は打撃戦となった。中井のパンチが相手の顔面に入り、1R1分25秒、相手の鼻骨損傷でドクターストップ。
 経験の浅い中井が勝つことは難しいだろうという大方の予想を覆し、TKO勝利でデビュー戦を飾った。
 試合後、中井はリング上でバック宙を披露するパフォーマンスを見せ、会場を埋めた約800人の観客を沸かせた。

 現在、20歳。近年、人気が高まっている女子格闘技界において、今後の活躍が楽しみな期待の新星だ。

 部屋の中でバック転をするおてんば娘

 3歳上の兄がやっていた影響で、地元の安達道場で柔道を習い始めたのは3歳のときだ。小学1年生からは体操教室にも通い始め、選手コースに在籍していた。
 当時から運動神経抜群のスポーツ少女だった。運動会ではいつもリレーの選手として活躍。「とにかく身体を動かすのが好きで、常に生傷が絶えなかった」(中井)。近所でも有名なおてんば娘だった。
 小学生低学年の頃のこんな“武勇伝”がある。
 柔道の道場と体操教室に通っていたが、それでも体力が有り余っていた中井は、母の注意も聞かず、家の中でも体操教室で習得した大技に挑戦するなど、激しく動き回って遊んでいた。
 ある日、部屋の中でバック転に挑んだときのことだ。「ガンッ」と鈍い音をたて、中井の顎がテーブルにぶつかった。その拍子で舌を深く切ってしまう。
「お母さんに怒られる…」
 そう思った中井は、口からあふれ出る血をティッシュで押さえながら、母に報告することもできず、黙って泣いていた。
「血はけっこう出ましたね。血だらけのティッシュを片手に泣いていたら、お母さんに見つかって『あんた、どうしたん!?』って。口の中を切っているから何も言えないじゃないですか。『おとなしくせんけん!』って、怪我してるのに怒られて、そのまま病院に連れて行かれました」
 病院では、舌を数針縫った。幸いにも、今はもう傷の痕は残っていないというが、何とも痛そうな話である。
 当の本人は「舌を縫った人なんて、あまり聞いたことないですよね(笑)」とあっけらかんと振り返る。中井のやんちゃぶりを示すエピソードだ。

  体操競技か柔道か…

 最初の転機は、中学に入学するときに訪れた。
「中学に入る前、柔道と体操、両方の先生から『どちらかに絞りなさい』と言われたんです。体操の方が女の子らしいし、バック転とかできたらカッコイイじゃないですか。身体がゴツくなる柔道をわざわざ選ぶことはない、と思って、その時、私は迷わず体操を選んだんです」
 だが、いつのまにか母が体操教室に退会届を出していた。体操競技の場合、平均台などから落下することもある。一歩間違えれば、大きな怪我につながる恐れがある。柔道も決して安全な競技とはいえないが、母としては、少しでも大きな怪我の危険性が少ない競技をさせたかったのだろう。
「それで泣く泣く、柔道を選びました(笑)」
 こうして中井は、現在の礎ともいえるヤワラの道を歩み始めた。

(第2回へ続く)

中井りん(なかい・りん)プロフィール
1986年10月22日、愛媛県松山市出身。3歳のころから柔道を始める。中学時代は全国5位。高校時代は国体3位。06年9月から本格的に総合格闘技に取り組む。主な獲得タイトルは『スマックガール グラップリングクイーン トーナメント2006』4位。06年10月1日、プロデビュー戦となったパンクラス梅田大会、伊藤あすか戦でTKO勝利をおさめる。所属は修斗道場四国。155センチ、56キロ。




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