野球のマイナーリーグを舞台にしたケビン・コスナー主演の映画がある。
 題名も『マイナーリーグ』。
 ハンバーガーをかじりながら街から街へとバスで移動し、球場に着いても観客はパラパラ。実力次第でメジャーリーグに昇格できるものの、結果を残せなかったものには「クビ」の宣告が待ち受ける。この作品は、そうしたマイナーリーガーの悲哀を描いた秀作である。
「本当に映画そのままの世界なんですよ。この映画の監督さん自身、元マイナーリーガーだったらしいんです」
 サンフランシスコ・ジャイアンツの傘下サンノゼ・ジャイアンツに籍を置く日本人マイナーリーガー清野真志は、表情を和ませながら言った。

 マイナーリーグは、3A・2A・1A・ルーキーリーグに分かれているが、サンノゼは下から二つ目のクラスの1A。メジャーに昇格するには、さらに二つの関門をくぐらなければならない。まさに弱肉強食の世界である。

「給料は750ドル(日本円にして約8万8千円)。月に二度、半分ずつ支払われるのですが、使うヒマもないのが実情です。僕も含めチームメイトのほとんどがホームステイ。僕は82歳のお婆さんの家で、仲間たちと暮らしています。
 移動はバス。8時間かけてビジターの球場にたどりつくことも珍しくありません。二人がけのシートが与えられるのは3年目の選手から。アメリカにも年功序列ってあるんですよ。横になりたい時は、通路にそのまま寝転びます。座っていてお尻が痛くなるよりは、ずっといいですから。
 食事はハンバーガーやポテトが中心。ドライブスルーで買ってきて、そのままバスの中に持ち込みます。で、長旅を終えてホームに戻ってくると、バス・ストップに彼女が待っている。まあ、これは彼女のいるヤツの場合ですけど。何から何まで、映画の『マイナーリーグ』にそっくりでした」

 清野はサンノゼで13試合に登板し、2勝5敗。防御率5.94の成績を残した。入団1年目の選手とすれば、まずまず、といったところか。
「それでも後半はヒヤヒヤでした。8月の終わりごろから体力がガクッと落ちてきて、先発で4連敗。監督と目を合わせたくなかったですよ。監督室に呼ばれたが最後、待っているのはクビの通告ですから……」

 清野が海を渡ったのは、ほんの偶然だった。
 一昨年の冬、川崎球場でサンフランシスコ・ジャイアンツの入団テストが行われた。140人の参加者の中から、ただひとり合格が言い渡され、その場で契約を結んだ。支度金として1万ドルが支給された。

 入団テストを受けるまで、清野は女子高の講師(体育、保健体育)をしていた。“いずれ教員免許をとって、教師になるんだろうなァ……”と、清野も母・千枝さんも漠然と考えていた。しかし、清野の胸の中には満たされぬ思いがくすぶっていた。“野球を続けたい……”。このまま教師の道を選び、用意されたレールの上を走ることに、言い知れぬ抵抗を覚えていた。

 振り返って、清野は言う。
「少年の頃の夢はプロ野球選手になること。しかし、高校(神奈川県立西湘高)時代は無名の一回戦ボーイ。スピードも120キロそこそこ。どこにでもいる普通のピッチャーでした。
 大学は一般入試で日体大へ。高校時代、実績が全然ない僕は3軍からスタート。同期に、昨年秋にロッテからドラフト1位指名を受けた小林雅英がいましたが、スピードもコントロールも全てが違って見えました」
 
 ところが、である。2年生の春、何気なく入った本屋で清野は一冊の本にめぐり会う。
 メジャーリーグ7度のノーヒットノーランを含む324勝をマークしたノーラン・ライアンが著した『ピッチャーズ・バイブル』。清野は隅から隅まで読み、ライアンが推薦するウエイト・トレーニングを実践した。
 その結果、120キロそこそこだったスピードは、144キロにまでアップした。3年生の秋には城西大を相手に、首都大学リーグで初勝利もマークした。素質の開花を予感させた。

 しかし、4年生時に1勝もできなかったこともあり、プロはもとより、社会人野球からも声がかからなかった。まだまだこれからという時期に、未来への扉がピシャリと閉ざされてしまったのである。だが、このまま野球を辞めたくはない……女子高の講師になってからも、彼は黙々とトレーニングを続けた。スポーツ新聞の片隅に、サンフランシスコ・ジャイアンツの入団テストの案内を見つけたのは、ちょうどそんな時だった。

――英語は大丈夫?
「大変。毎日が勉強です。大学時代、授業で寝てばかりいたのがよくなかったのかなァ」
 苦笑を浮かべる清野。
 スピードには自信がある。もっと体ができれば150キロ出すこともできる、と考えている。メジャーに昇格すれば、ジャイアンツでは、あの日本人初の大リーガー、マッシー村上に次いで2人目ということになる。
「課題は制球力でしょうか。こちらのコーチは口を酸っぱくして“低めに投げろ”と言います。どれだけ速いボールを投げても、高めだと持っていかれてしまう。こちらでは、豪快に三振をとるより、丁寧に低目をつき、ゴロをとることがいい投球だとみなされているんです」

 マイナーリーグとメジャーリーグでは、待遇に天と地ほどの差がある。メジャーリーガーはロッカールームでユニホームを脱ぎ散らかしても誰にも文句は言われないが、マイナーリーガーは自らの手でカゴに入れ、ランドリーにまで持っていかなければいけない。こうしてハングリー精神が育まれるのである。
 
 野心を潜ませ、清野は言った。
「1Aだとクラブハウスで働く方へのチップは1ドル、2Aは2ドル、3Aは3ドル。メジャーだと、10ドルくらいかなァ。早く自分もそうなれたら……」

(この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)1999年2月5日号に掲載されたものです)
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