あの秋の惜敗が天野の胸の奥に秘められた情熱に火をつけた。
「甲子園といっても、最初は遠い存在でした。あの試合がなかったら、きっと本気で目指すことはなかったと思いますね」


 天野が高校1年の香川県秋季大会準決勝、高松東は高松商業と対戦し、8回まで6対1とリードを奪っていた。そのまま勝てば、決勝進出となり、その先の四国大会が見えてくる。そして、翌春の選抜大会につながっていく。手の届かない存在だと思っていた甲子園は、確かに近くに見えていた。

 だが、8回、味方の思いもよらぬミスから試合の流れが変わった。
「(8回の)1アウトでランナーなしという状況だったと記憶しています。外野がエラーをして、ポトンと落としてしまった。そこからウチのリズムが崩れて、1点差に詰め寄られた。最終回も味方がエラーをして、同点に追いつかれました。延長戦に入っても、流れを取り戻すことはできず、結果的に6対13で負けてしまった」
 あと2回を抑えれば、勝つことができた。惜しいところまで迫っていたからこそ、敗れた悔しさは半端なものではなかった。さらに、自分たちを負かした高松商がそのまま四国大会に進み、翌春の選抜大会出場を果たしたことが、悔しさをより強くした。「自分たちが勝っていたら、甲子園に行けたかもしれない……」。後悔の念が頭から離れなかった。

 高校2年の夏の県大会では、ベスト8で高松商にまたしても屈して、甲子園への道は絶たれた。夏が終わり、一つ上の学年が引退して、2年生の天野たちの代になった。主将に満場一致で選出された天野は、自らを、そしてチームを変える決意をした。
「それまではどこかに先輩への遠慮がありました。主将に選ばれてからは『自分がやらなくてはいけない』と考えるようになった」

 監督が部の練習を見ることができない日は、主将の天野が練習メニューを考えた。その時は、部員を引き連れて学校の裏にある急勾配の山を登った。大会が近づくと、天野が考える練習メニューの量はどんどん増えていった。
「監督からは『ちょっと練習量が多すぎるんじゃないか』と言われたこともあります。でも、僕は逆に足りないと思っていた。『もっとやらないと甲子園には行けない』と。僕は結構、厳しいキャプテンだったと今になって思いますね」
 
 言うべきことは、包み隠さず他の部員に伝えた。
「同学年の部員にも遠慮なく言っていました。『言いたいことがあれば、陰でコソコソしないで、俺に直接言ってきてくれ』とね」
 いわゆるウルサ型のキャプテンだったが、他の部員から不満の声は出なかった。なぜか? 天野自身が誰よりも努力していたからだ。

「僕は練習の初めのウォームアップには参加していなかったんです。どういうことかいえば、僕は練習前に、既にアップをすまして長距離のランニングに行っていた。その間は副キャプテンにチームのことを任せてね。他のメンバーがアップを終える時間にちょうど帰ってきた。全体練習後の個人練習もずいぶんやりましたね。チームの練習は3時半から始まって、9時までやっていたのですが、それが終わると、食事をとる。それから、一人で長距離のランニングにいくか、ティーバッティングをやっていた。時には他の部員を誘ったりしましたね。あまりに夜遅くまで練習しすぎて、グラウンドの管理人に『照明が消せない』とよく怒られたこともありました。日付が回っても、練習していることもありましたね」
 誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで練習した。当時は、高校卒業後の進路は全く頭になかった。全ては、甲子園に行きたい一心で野球に打ち込んでいた。

 結果的に、3年生の夏も県大会で3回戦敗退に終わり、甲子園の土を踏むことはかなわかった。だが、当時の経験は天野にとって大きな財産となったに違いない。日付が回るまで練習に打ち込んでいたからこそ、四国六大学で初のプロ指名を受けて、広島で中継ぎのエースとして活躍することができたのだろう。

 四国アイランドリーグは当初、年齢制限を設けていたため、香川オリーブガイナーズでは天野が最年長である。唯一のNPB経験者として、チームを牽引する役割が求められる。天野自身、そのことはよくわかっている。
「グラウンドの中では態度として、僕の背中を見せていければと思っています。特に試合の中では色々なことを見せられると思う」

 今季のキャンプが始まって間もない頃、香川オリーブガイナーズの西田真二監督は天野について次のように語っていた。
「NPB経験者の天野でも必ず打たれることはある。その打たれた時の顔を他の投手は見てほしい。打たれても、どれだけ気持ちを切りかえることができるか。苦しくても外に出さないのが本物のピッチャーなんですよ」
 この言葉をそのまま天野に伝えると、落ち着いた表情が一瞬キリッと引き締まった。
「打たれた時に僕は絶対に(悔しさを)出さない。広島での5年間で一度も出していない。それが当たり前のことだと思って、やってきました。今までは『悔しかったら、表に出せ』という指導者の方もいました。でも、僕はそれではダメだと思う。外に出してしまったら、負けですよ」
 四国の地で天野の背中は何を語るのだろうか。

(最終回に続く)

<天野浩一(あまの・こういち)プロフィール> 1979年4月12日生まれ。香川県高松市出身。高松東高校から四国学院大へ進学。2001年、ドラフト10巡目で広島東洋カープに入団した。主に中継ぎとして5年間で121試合に登板。通算成績は5勝6敗で防御率4・45。06年10月に戦力外通告を受けて、四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズに入団した。投手。右投右打。177センチ、72キロ。 






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