「バレーボールをやっていても、おかしくはなかったですね」
 天野はそう言って、さわやかに笑った。
「中学に入学して、部活を見て回る時期があるでしょう。その時は、まず初めにバレー部の練習を見に行ったんです。その頃はバレーをやろうと思っていたんですよ」


 天野は小学校の頃はソフトボール部に入っていた。そのソフト部の仲間が、中学の部活ではバレーボール部に進んだ。「じゃあ俺もやろうかな」。天野もバレーをやることを真剣に考えた。だが、思いもよらぬ形で野球部に入部することになった。
「ある日、同じ小学校で野球をやっていた友達に『野球部の練習を見に行きたいから一緒に行って欲しい』と言われたんです。行ってみると、その日のうちに『仮入部だ』と野球部に入れられてしまった。僕としては『えっ?』と(笑)。でも、野球部の2軍がソフト部という形になっていたので、『まあ、ソフトができるならいいかな』と思ったんです」

 入部当初は、1軍に上がって野球をやろうとはほとんど考えなかった。「最初は『ソフトでいい』という気持ちでした」。小学校2年生の頃に始めたソフトボールに関しても、ソフト自体に興味があったわけではなく、体を鍛えることが目的だった。「子供の頃は本当に運動音痴だったんですよ。走ってはクラスでビリ。ソフトボールではライト前にヒットを打っても、一塁でアウトになっていたんです。そんな自分で本当に野球ができるのかなと」

 その不安とは裏腹に2年生の時には1軍に昇格した。ソフトボールで鍛えた肩を評価され、キャッチャーを任された。「当時の野球部はとにかく厳しかった。ロードワークをサボっていないか、監督が草陰に隠されて見張っているんです。僕は一度もなかったのですが、歩いて休んでいると見つかって怒られた」と話すように、中学時代はとにかくロードワークで足腰を鍛えた。ソフトボール時代に鍛えた肩、そして中学時代の走りこみで培った足腰――投手・天野の下地はこうしてつくられていった。

<捕手から投手へ>

 捕手から投手へ――天野に転機が訪れたのは高松東高校2年生の夏だった。県予選のあるゲーム、9回、高松東は1点のリードを許していた。天野は捕手として出場。エースがケガで欠場していたため、1人しかいない控え投手がピッチャーだった。最終回2アウト、絶体絶命の場面で監督はその投手を下げて、代打を送った。この判断が図に当たる。その打者が振り逃げをして、3塁ランナーが還って同点に追いついた。だが、延長戦で投げるピッチャーがいない。

「そこで監督に『オマエしかいない。行け!』と言われたんです。驚きましたね。当時の高松東高では1年生がバッティングピッチャーをやっていた。僕の投げるボールはある程度ストライクゾーンにいくし、先輩から打ちやすいと言われていた。練習試合で投げたこともありました。でも、公式戦では一度も登板したことがなかったんです」

 当然、心の準備はしていなかった。球種は直球しか持っていない。だが、マウンドに上がった天野は延長戦を抑えきった。結局、チームはサヨナラ勝ちを収めた。
「延長戦のことは、ほとんど覚えていません。負けたら3年生の先輩の夏が終わってしまう。絶対に負けられないと思って投げていたのは覚えています」
 当時のピッチングは新聞でも取り上げられたという。
「それまで僕はキャッチャーが一番好きだった。クロスプレーの見せ場が一番かっこいいと思っていた。でも、この試合でピッチャーの面白さを知りましたね」
 こうして、天野は投手の道を進むことになる。

<チャンスは逃さない>

 先のエピソードは天野の大舞台での強さを表わしている。同じような例が広島時代にある。プロ初登板となった02年8月7日の阪神戦(広島市民球場)。2万人の観衆が見つめる中、8回にマウンドに上がると1回を無失点、2三振で抑えた。

 天野は当時をこう振り返る。
「やっぱり登板前後の記憶はないんですよ。序盤は競った展開で『今日の登板はないだろう』とタカをくくっていた。でも、ウチが途中で点を奪い、リードを広げた。すると先輩に『点差が開いたな。そろそろオマエが投げるんじゃないか』と言われた。実際、そうなったんです。中継ぎだったので、いきなり呼ばれました」
 そして続けた。
「その時のピッチングには満足しています」

 与えられたチャンスを逃さずモノにする。これも一つの才能と呼べるのではないだろうか。高松東高の夏、プロ初登板――天野はいずれの大舞台でもキッチリと結果を残してきた。今度はアイランドリーグの舞台で輝き、NPBへの切符をつかみとる姿が見たい。

(第3回に続く)

<天野浩一(あまの・こういち)プロフィール> 1979年4月12日生まれ。香川県高松市出身。高松東高校から四国学院大へ進学。2001年、ドラフト10巡目で広島東洋カープに入団した。主に中継ぎとして5年間で121試合に登板。通算成績は5勝6敗で防御率4・45。06年10月に戦力外通告を受けて、四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズに入団した。投手。右投右打。177センチ、72キロ。 






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