読売巨人軍のファンの皆様には心から「おめでとう」と言いたい。なにも、思いがけず下位に低迷している巨大戦力に対して、意地の悪い皮肉を弄しようというのではない。坂本勇人、亀井義行の1、2番、いいじゃないですか。きわめて魅力的である。
 何がいいかと言うと、この2人は“金満巨人”の影をひきずっていないことである。現在の主力を見てごらんなさい。小笠原道大、高橋由伸、ラミレス、谷佳知、グライシンガー……と名前を挙げ出すとキリがないが、要するにFAや、ドラフト逆指名、希望入団枠等々で入団した選手たちである。かつて存在した「根っからのジャイアンツファン」なる人々にめっきりお目にかかれなくなったことと、近年のあからさまな金満主義は、決して無関係ではない。巨人人気の凋落は、松井秀喜の移籍とともに始まったのである。
 しかし、今季はその巨人の投打の柱である高橋由と上原浩治が精彩を欠き、かわりに躍動しているのが坂本と亀井である。一言で言えば、世代交代の予感。この流れが加速すれば、たとえ下位に低迷しても、巨人人気は復活するかもしれない。

 坂本と楽天の“マー君”こと田中将大が小・中学校の同級生で兵庫県の少年野球チームでバッテリーを組んでいたというのは、今や有名なエピソードである。しかも、坂本が投手で、田中が捕手だったという。それから中学時代のボーイズリーグ、シニアリーグを経て、田中は北海道の駒大苫小牧に行き、坂本は青森の光星学院に進んだ。関西の少年野球チームからいったん全国各地の野球名門校に散って甲子園を目指し、その上でプロになる。今や日本一の大エースに成長したダルビッシュ有もそうだが、これが現代の日本野球のエリートコースということでしょう。彼らの野球の基礎は名門高校の時代にではなく、むしろ少年野球で培われたのである。

 そのようなエリートコースの最終到達点としてイメージされるのは、おそらくメジャーリーグだろう。その象徴的な存在が、レッドソックスの松坂大輔である。
 松坂は今季、4月だけで4勝を挙げ、順調に2年目を滑り出したかに見える。インフルエンザで登板回避した直後の4月30日のブルージェイズ戦も7回2安打無失点というのだから、たいしたものだ。
 ただ、どうもひっかかる。ここでは4勝目を挙げた4月18日のレンジャーズ戦を振り返ってみたい。

 この試合、松坂は5回1/3を投げて3失点。レッドソックスは5回までに9点を挙げる猛攻で圧勝した。一見、何の問題もないように思える。しかし、松坂の投球は、少なくともあまり魅力的なものではなかった。
 あるいはこの日が特別に調子が悪かったのかもしれない。しかしながら、見る限り、ほとんどストレートを投げないのである。投球の大半は、右打者でいえば内角に切れ込むツーシーム(シュート?)と外角へのスライダー。で、ベンチはもちろん、中継のアナウンサーまでやたらに球数を勘定している。

 5回を終わって95球、6回表に入って4番の左打者ブラドリーに例によってツーシーム。これを鮮やかにライト線に二塁打されて、1死二塁。迎えるのは5番ブレイロック(左打者)。投球はこんな具合である。
 ?外角高目 ツーシーム(ストレート?) ファウル
 ?内角低目 スライダー ボール
 ?外角高目 ツーシーム ファウル
 ?外角低目 ツーシーム 2ランホームラン
 ここでフランコナ監督が登場して交代。球数は101。

 メジャーでは、たとえストレートでもボールを動かして、バットの芯を外すのが常道とされる。そうやって、できるだけ球数を少なく凡打に打ち取り、先発は100球が目途。その代わり、中4日でローテーションを守るのが仕事である。
 もはや、耳にタコができるほど聞かされた考え方ですね。それに従えば、この日の松坂は不調ながらも先発として、きっちり仕事をしたと評価されるのかもしれない。

 しかし、松坂と言われて何を思い浮かべますか? あのうなるようなストレートとハードスライダー。そして三振でしょう。郷に入れば郷に従えとはいうけれども、140キロそこそこのシュート系のボールで抑えたり打たれたりする投手というのは、少なくとも見ていてそんなに楽しいものではない。
 そりゃメジャーの打者相手にストレートばかり投げていれば、打たれるでしょう。打たれて先発投手の地位を奪われたのでは元も子もない。しかし、松坂のストレート(いわゆるフォーシーム)は、配球次第ではメジャーでも有効なはずだ。何よりも縫い目にきっちり指をかけて、ボールに縦回転を与え、打者の手元で伸びるストレートというのは、日本野球の華である。それを松坂から奪い取ったのが、かの地の「球数」という思想であるとすれば、これは残念なことである。

 考えても見てほしい。かつて野茂英雄がドジャースに入団した時、今ほど「100球」が話題になっただろうか。テレビ画面や球場に逐一球数を表示する文化が、日本野球にあっただろうか。
 もちろん、先発投手の肩の消耗を考慮することは重要である。球数は気にしなくてはならない。しかしそれは、あくまでも目安であり、ベンチの仕事であって、強迫観念ではないはずだ。

 ここでもう1人のスーパーエース、ダルビッシュを思い起こしてみよう。
 ダルビッシュは東北高時代、横浜高の松坂ほどは球速にこだわっていなかった。彼は150キロを出そうと思えば出せる変化球投手であった。しかも、「バットの芯を外す投球」を目標にすると公言し、当時としてはまだ投げる高校生の少なかったチェンジアップを多投した。要するに、高校の時からメジャーリーグ的な考え方の投手であった。
 ただ、単にメジャーリーグ的だっただけではないところが、実は重要なのではないか。甲子園で敗退して球場を去る時、彼は甲子園の砂を持ち帰らなかった。その時のコメントが、忘れられない。

「僕の人生には必要ないものなので」
 当時の報道によれば、そう言ったという。つまり、彼はその他大勢の人と同じことをやらないのだ。自分の流儀を貫くのである。
 それは、日本一の投手に上り詰めた今でも変わっていない。むしろアメリカ流の考え方がテレビ局のアナウンサーにまで広まった今こそ、非メジャーリーグ的な形で発揮されている。

 もちろん、基本線は変わらず「本当は150キロを投げられる変化球投手」である。しかし、勝敗に直接関わるようなピンチになると、いきなり150キロを超えるストレートを投げこんでくる。あるいは、9回まできて100球を超えて、さあ完投(完封)かという時になると、やおら、ストレート勝負に出始める。
 それは、低目から糸を引いたように伸びてくる、鮮やかなストレートである。人々はその球道に魅了され、ダル様とか何とか騒ぐのである。

 ダルビッシュとて、球数は気にして投げているだろう。松坂同様、1年間ローテーションを守ることを重視しているに違いない。ただ、松坂ほどアメリカ式にどっぷり漬かっているように見えないのは、もちろん彼が現に日本で投げているからだろう。ただ、もう一つ、他人と同じ考え方はしない、という反骨精神も作用しているのではないだろうか。

 今季、パ・リーグにはダルビッシュの他にも、楽天の岩隈久志、ロッテの成瀬善久などスーパーエースが君臨している。いずれも、ストレート、変化球ともいわゆるキレのある球質である。一方、セ・リーグには、コルビー・ルイス(広島)という新外国人投手が登場した。彼も145キロを超えるストレートと鋭いスライダーを投げる。いまや、実力はセ・リーグ1といっても過言ではあるまい。

 ただし、面白いのはストレートの質である。ルイスのストレートはじつに力強い。速くて強いが、しかし、ダルビッシュのようなキレは感じない。これは、日米どちらが正しいかという問題ではない。どちらのやり方もありうる。要は、彼らをはぐくんだ野球文化の違いである。だから、あえていえば、松坂のストレートがルイスのようにはならないほうがいいのだ。ただし、ルイス流でメジャーに君臨する大投手もまた、たくさんいる。 
 話を冒頭に戻そう。坂本の最大の魅力は何か。それは、スイングの軌道である。いわば、ボールを面でとらえるとでもいうのだろうか。バットの軌道の描く扇形が実に美しい。

 古来、野球においては、なぜか美しい右打者は少ない。長嶋茂雄や野村克也や落合博満や山本浩二のフォームが、技術として優れていたことは十二分に実証されているが、とびきり美しかったわけではない。その点、例えば、王貞治や前田智徳のフォームには、美がある。坂本は、もしかしたら、最も美しい右打者になるかもしれない(メジャーで最も美しい右打者はレッドソックスのマニー・ラミレスだと思うが、そこには当然、パワーも宿る。現在の坂本はパワーがない分、美しさだけが印象に残る)。

 坂本も田中も、そして松坂もダルビッシュも、日本野球という文化が生み出した逸材であることに、目を向け直したい。日本野球が世界に伍していくためには、やはり独自の武器を磨かねばならない。
 もっとフォーシームのストレートを。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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