オリンピックイヤーはスポーツに関する話題が多いものだが、今年の水泳界は選考よりも水着問題で持ちきりとなった。
 選手のパフォーマンスそっちのけで盛り上がる世論に、北島康介選手は「I am the swimmer 泳ぐのは僕だ!」というTシャツで登場しての抗議。結局、スピード社製などの日本水泳連盟が契約を結んでいる3社以外の水着の着用を認めることで落ち着きを見せた。
(写真:6月10日、日本水泳連盟の会見で五輪での水着着用は選手の自由選択となることが発表された)
「道具によって左右されるのでなく公平な競技を」とか、「選手は選ぶ権利がある」という世論が大多数を占めていて、水連と既存メーカー3社は我慢するしかないような風潮になっているがそれって正しいのか?
 私は今回の問題に関して、水泳連盟や北島選手などの対応には疑問を持っている。

 そもそも、競技の公平性とはなにか。「一定のルールにしたがって、各自が切磋琢磨努力し、競うこと」だと思う。つまりルールの範囲内では、競技力向上出来ると思うことをすべてにチャレンジするのが当然だ。食事からトレーニング方法、睡眠の取り方まで。スポーツ選手なら普通のことだろう。そして、競技に使う道具にも工夫を凝らして当然だ。より強く、より速くなるために選手は工夫をこらす。もちろんそれがメーカーの技術競争にもつながり、販売に結びついてくることは言うまでもない。この競争論理があるからこそ技術は発展し、世の中の道具は便利になっていく。すこしでも競技力向上につながる道具が欲しい選手と、革新的なものを生み出してビジネスにしたい企業。お互いのギブアンドテイクは上手く成り立っているのである。
 つまりメーカー間で開発競争があるのは当然の理論であり、それを否定するなら、ルールとして道具の進化など止めてしまえばいい。ただ、それでは面白みがないので、そのスポーツの本来の意義を脱しない範囲でルールを決め、開発競争を行うという現在のスタイルになっているのである。
 これはスキーやモータースポーツなど道具の占める割合が高いスポーツであろうと、陸上競技などの割合が少ないスポーツであろうと同じ事であり、そのどれを使うかは選手の考え方である。

 確かに今回は道具によって顕著な差が出たようだ。しかし一定のルールの解釈内である(この解釈に差があったようだが、それは別の問題なのでここでは省く)。つまり自由競争の範囲内で、開発できなかったメーカーが遅れただけ。なのに今さら、「道具は公平であるべきだ」などいうのは、勝ちすぎた人を叩きたがる習性にしかみえない。まさに「出た釘は打たれる」という発想だ。ここではメーカーの開発競争があり、今回はスピード社が勝った。それだけのことで、格差を訴える必要など何もない。道具は選手が選べばいいのだから。

 そこで次の問題は、その道具を「選手が自由に選べない」ということになる。
 ここでは資本主義経済の基本である、「価値をお金で買う」という基本的な概念が関係してくる。わかりやすく言うと、競技団体は「オリンピックなどの競技会で○○社のウェアを選手に着せるから金をくれ」、メーカーは「大きなイベントで選手が着てくれると宣伝になるので、着てくれるなら金を出します」ということ。そのお金で競技団体は運営されているのであれば、これはお互いの要望がかみ合っているWin-Winな関係だ。その為に「契約」という行為で、大人の約束をしていた。これは一部の選手も同様で、「御社の水着を着て宣伝しますからお金ちょうだい」、「よっしゃ、これだけ出すから1年間ウチの水着を着る約束ね」という契約を結んでいるわけである。これもお互いの利益が共存するいい関係と言えよう。

 ところが、今回その水着で思った以上に差が付いてしまった。しかし、契約してしまっている以上は他社を使うことは許されない。「契約」という大人の約束をし、その対価を受け取っているのだから当然だ。その契約メーカーに協力し、他社に負けない商品開発の一端を担う事ことこそ、契約選手としての役目であり、それが出来なければ、契約先を間違えた自分を責めるしかない。他のスポーツでもこれに近いことは多々あり、他社製品を外側だけ加工して使用したり、マークを消したりしながら使っている例や、選手が我慢を強いられているケースも少なくない。それは契約という約束をしてしまっているプロ選手の運命でもあるのだ。
 もちろん、メーカーとの契約のない選手はこの例はあてはまらず、競技団体の流れに巻き込まれた訳だが……。

 過去はどのメーカーもほぼ同じレベルのものが出来ていたから甘く考えられていたのかもしれないが、商品開発は平等ではない。無論、どのメーカーもベストは尽くすが、自由競争の市場では絶対なんていうものはない。これを認識できていないとしたらそれは認識が甘いと言われても仕方がないだろう。今回、「着用しますよ」とメーカー側と約束をしていた選手や競技団体は、この約束を履行できない訳だから、大人として約束不履行でそれなりのペナルティーを払うのが当然だ。お金をもらっておきながら、自分が不利な立場におかれたら世論に隠れて、自分がメーカーを選んだ責任から逃げるのは社会的にもおかしい。水連と選手によく考えてもらいたい。

「(他社水着を着ることを)メーカーは認めた」という意見もあるだろう。当然だが、このタイミングで違約金など求めては社会的に悪者になるのはあきらか。企業としてイメージダウンを逃れるためにも大人の対応を取ったわけだが、内心は煮えくりかえる思いだろう。いままで選手を応援して、多額なお金を払ってきたのは何だったのかと…。

「泳ぐのは僕だ!」との主張で、道具の問題より選手のパフォーマンスを見て欲しいと主張した北島選手。彼もミズノと契約をしていたにもかかわらず、スピード社を着用することを明言している。選手として記録を求めるならそれも選択肢の一つだが、その前にプロとして大人の約束をしていたミズノに対して「約束を守れなくてすみません」と違約金の支払いを申し出るくらいの行動があっても良かったと思うのだが……。あの状況で、あのセリフはちょっと説得力に欠ける気がしたのは私だけであろうか。

 本番では余計なことは考えて欲しくない。が、本当のスポーツのプロフェッショナル化を目指すのであれば、今回の出来事が「契約」の重みについて考え直すきっかけになって欲しいものだ。



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白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。
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