<As it turned out, Team USA was not the best baseball team in the world.>(おわかりのように米国は世界一のチームではなかったのだ)『ロサンゼルス・タイムズ』
<This is no American’s Game.>(もはや<ベースボールは>アメリカだけのものではない)『ニューヨークポスト』
 奇跡とも呼べる日本の優勝で幕を閉じたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第1回大会。予想に反して本命の米国は2次リーグで姿を消した。1次リーグではカナダに6対8で敗れるなど、チームの仕上がりの遅さが指摘されてはいたが、まさかここまで弱いとは……。
 2次リーグ、1組最後の対メキシコ戦、米国は勝つか引き分ければ2位となり準決勝進出が決まる。前日、日本が韓国に競り負けた時点で王貞治日本代表監督は「99%(準決勝進出は)ない」となかばあきらめの心境だった。ところが王監督の言葉をそのまま借りれば、神風が吹いたのだ。米国はメキシコが繰り出した8人の投手から、わずかヒット3本で1点しか奪うことができず1対2で敗れてしまった。
 これにより、米国、メキシコ、日本はともに1勝2敗で並んだが、失点率の差で日本の準決勝進出が決まった。年俸総額約170億円のスーパースター軍団が2次リーグでは日本戦のわずか1勝しかあげることができなかった。しかもその1勝は、後述するがアメリカ人球審の“誤審”というアシスト付きだった。

 そもそもこのWBC、当初は「米国の、米国による、米国のための大会」になる予定だった。オリンピックならIOC(国際オリンピック委員会)、サッカーのW杯ならFIFA(国際サッカー連盟)というように、通常の国際大会は世界を束ねる中立で公正な組織が主催するのが常だ。ところがWBCの場合はメジャーリーグベースボール機構とメジャーリーグ選手会が共同出資して作った運営会社が主催した。日本を始めとする参加国はあくまでも招待国という位置付けだった。

 米国は開催国特権を最大限に利用しようとした。まずは試合日程。
 1次リーグで米国を下しながら、翌日のメキシコ戦で大敗を喫したカナダのマット・ステアーズ(ロイヤルズ)は言った。
「米国だけ休みが1日あった。彼らが一番、層が厚いのにふざけている。平等にすべきだ」
 これには少々、説明がいるだろう。1次リーグB組は米国が大本命でメキシコ、カナダがほぼ互角、南アフリカが一弱といった様相を呈していた。大方の者はメキシコとカナダのどちらかが生き残り、どちらかが脱落すると予想した。そのカナダとメキシコは3連戦という恐慌日程を余儀なくされた。一方の米国と南アフリカには1日の休みが設けられた。後述するが今大会はピッチャーの球数制限があり、3連投も禁止されていた。さらに30球以上投げると中1日の休みを義務付けられてもいた。1日の休日が米国にアドバンテージをもたらしたことは言うまでもない。ステアーズの指摘はまったくもって正しい。

 不平等なスケジュールは2次リーグでも見られた。1次リーグB組では米国を抑えて1位になったメキシコは2次リーグで1日おきの試合が組まれた。A組1位の韓国とC組1位のプエルトリコは2連戦があり、D組1位のドミニカ共和国は3連戦の強行日程。なぜメキシコだけが恩恵を受けたのか。
 これにはカラクリがあった。順当にいけば米国のB組1位通過は固いと見られていた。つまり、1日おきの試合日程というスケジュールは、実は米国用に用意されていたのだ。ところが、カナダが1次リーグで米国を破ったことで、この恩恵が受けられなくなってしまったのだ。

 これがはたして公正で中立であるべき国際大会のあり方といえるだろうか。たしかにどんな競技のどんな大会にもホームアドバンテージはある。が、それはあくまでも地の利やファンの熱狂的な声援に因をなすもので、制度上の仕組みによるものであってはならない。
 組み合わせも変といえば変だった。日本と韓国は1次リーグから3度も戦う羽目になった。これは新鮮味に欠けた。2次リーグ1組と2組のチーム対決は決勝まで実現しなかった。経済制裁をしているキューバと戦いたくなかったからだとの説もある。米国は負けた場合の国家の威信の失墜を警戒したのか。抽選のない予定調和の組み合わせも大会の盛り上がりに水を差した。

 WBCの特別ルールとして設けられた投球数制限も考えてみれば、随分おかしな制度だ。WBC運営委員会が今年1月23日、ニューヨークで開かれ、投球数1次リーグが最多65球。2次リーグが80球。準決勝と決勝は95球と細かく決められた。
 さらに登板間隔は50球以上投げた場合は中4日、30球以上50球未満の場合と30球未満でも連投した場合には中1日の休養が義務付けられた。
 メジャーリーグ機構は「投手の肩やヒジを守るのは私たちの役目」と投球数制限の正当性を主張したが、これを額面通りに受け止めることはできない。

 そもそも、ひとりのピッチャーに何球投げさせるか、誰をどう使うかは監督の専権事項であり、それは制度によって制限される類のものではない。私が知っている範囲で投球数制限が設けられているリーグといえば、リトルリーグだけである。育ち盛りの少年に必要以上の負荷を強いるのはよくないという理由で設けられた。なぜ、世界最高峰の国別対抗戦に投球数制限を設ける必要があるのか。

 WBC開催の立役者のひとりであるジム・スモールMLBジャパンマネージング・ディレクターが大会前に舞台裏を明かしている。
「実は、それはWBC開催の前提条件なんです。変更することはあり得ません。この件に関していま問題なのは、投球数の制限を何球までにするのが適正なのか、ひとり何試合まで登板が許されるのかといった点なのです。こうした制限を設けない限り、今大会が開催されることはありません。投球数と投手のコンディションには明らかな関連性が証明されたため、アメリカの保険会社が制限を決めなければ選手の契約を保証しないと通告してきたという事情もあります。ですから、アメリカの投手にこの特別ルールを適用する限り、どのチームにも同じ規則を課すべきだと思います」(メジャーリーグ日本版公式ホームページ、傍点筆者)

 参考までに米国代表投手陣の年俸ベスト3(05年)は1位ロジャー・クレメンス(約21億円)、2位アル・ライター(約8億円)、3位マイク・ティムリン(約3億円)。レギュラーシーズンやポストシーズンにおいて、彼らが故障し、年俸に見合った活躍ができなかった場合、保険会社から保険金が支払われるシステムになっているのだ。保険が適用されないWBCでピッチャーがケガをした場合、そのツケは球団にまわってくる。ヤンキースをはじめとする主要球団がWBCへの選手派遣に消極的だった理由がそこにある。

 それにしても「アメリカの投手にこの特別ルールを適用する限り、どのチームにも同じ規則を課すべき」というのは、どう考えても理不尽だ。メジャーリーグがすべての野球のスタンダードなのか。百歩譲って保険会社の都合上、WBCでの故障が所属球団に不利益をもたらすというのであれば、それはメジャーリーガーにのみ適用すればよいだけの話ではないか。
 いや、メジャーリーガーの中にだって「祖国のために頑張りたい」と投球数制限をよしとしない者もいるだろう。そこから先は自己責任だ。ルールで縛る話ではない。
 このように一見、米国流のルール・セッティングはフェアに映るが、実はその裏には彼らのご都合主義が見え隠れする。これをUnilateralism(一国主義)と呼ぶのである。

(後編に続く)

<この原稿は『月刊現代』(講談社)2006年5月号に掲載されたものです>
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