昨年4月、日本の障害者スポーツ界では大きな出来事がありました。2006年から世界ランキングトップを誇る車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手がプロ宣言を行なったのです。それまで国枝選手は母校の麗澤大学の職員として働きながら、その合間を縫って海外ツアーに出場していました。仕事をしながらですから、練習時間などの制約はあったものの、それでも収入の面では安定していたはずです。しかし、自ら安住の地を捨て、テニス一本で食べていくことを決心したのです。「普通の子供がプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、障害のある子供たちにも“自分もプロのスポーツ選手になれるんだ”という夢を与えたい」。プロ宣言した最大の理由を国枝選手はこう述べています。そして今、国枝選手の思いは子どもたちにどんなふうに届いているのでしょうか。その答えを少しだけ垣間見ることができました。
(写真:09年4月にプロ宣言した国枝選手。06年から世界王者に君臨している)
 去る12月3日から3日間にわたって第20回NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会が行なわれました。最も注目されたのは、最終日の男子シングルス決勝。勝ち上がってきたのは下馬評通り、国枝選手と齊田悟司選手でした。彼らは日本のトップ2であり、世界ランキング1位と同8位。世界で活躍する2人の対戦を間近で観戦できるとあって、会場となった財団法人吉田記念テニス研修センター(TTC)には大勢の人たちが詰め掛けました。

 結果は国枝選手の圧勝に終わりましたが、38歳にしてなおも見事なダウン・ザ・ラインを決めたり、こちらが無理だろうと思ったボールにも最後まで必死に喰らいつく齊田選手との対戦は見ごたえ十分でした。それは試合中の歓声や拍手、そして試合後に見られた観客たちの満足そうな笑顔にはっきりと表れていました。

 会場には大勢の車椅子の子供たちもいました。「国枝選手を見に来たんだ!」。そう言って興奮している様子を伝え聞いた国枝選手は「子どもたちにそう言われるのが、何より嬉しいし、力になるんです」と非常に喜んでいました。「プロ宣言したことは間違いではなかった」。国枝選手は改めて、そう感じていたのかもしれませんね。

 国枝選手はスーパースター

 さて、今回は私自身がさまざまなことを感じさせられた大会でもありました。その一つは健常者が障害者を自然と受け入れられるようになるには、普段から接する機会を設け、障害者を特別視しない環境が必要だということです。普段、障害者と接点のない健常者は、どう接していいのかわからず、身構えてしまうことも少なくありません。そこにはある種の緊張感が生まれます。ほとんどの障害者スポーツの大会ではそういった雰囲気は感じられません。

 今大会の会場ではより自然なかたちで健常者と障害者が接していたように感じられました。普段から健常者も障害者も同じ施設を利用していますので、車椅子の人がいるのは日常化しているのです。つまり、身長の高い人もいれば、低い人もいるのと同様に、健常者もいれば車椅子の人もいる。そういう感覚なのです。だからなのでしょう。国枝選手や齊田選手を見る観客の眼差しは、まさにアスリートへの羨望そのもの。「障害を負っているから」「車椅子だから」といったことは一切関係なく、世界トッププレーヤーのプレーに魅了され、心底スポーツを楽しんでいる様子が窺えました。

 もちろん、その中には子供たちも大勢いました。健常者の子も車椅子の子も、「すごい!」と興奮し、次々と繰り出されるスーパープレーに釘付けになっていたのです。なかでも強く印象に残った2人の男の子がいました。1人は決勝戦のコイントスという大役を果たした男の子です。彼もまた国枝選手や齊田選手と同じく車椅子に乗っていたのですが、国枝選手を見るや否や、みるみるうちに顔が紅潮していくのが、遠くから見ていた私にも手に取るようにわかりました。もう緊張と嬉しさとでいっぱいなのです。見ているこちらまでが緊張してしまうほどでした。

(写真:国枝選手を見る子どもたちの眼差しは緊張と嬉しさが入り混じっていた)
 もう1人は健常者の男の子でした。試合後、その子が真っ先に向かったのが国枝選手のところでした。テニスラケットをさしたリュックに国枝選手のサインが欲しかったようなのです。そしてサインをもらうと一目散に母親の元へ。「ほら、もらったよ!」と言わんばかりにリュックを披露していました。その嬉しそうな顔といったら、何とも表現のしようがありません。思わず、私までが笑顔になってしまったものです。他にも試合後に国枝選手から離れようとしない男の子もいました。もう、国枝選手が大好きで大好きでたまらないといった様子でサインをしている間も、インタビューの間もずっと抱きついて離れようとしないのです。その男の子も健常者です。つまり健常者、障害者問わず、子供たちにとって国枝選手はスーパースターであり、アイドルなのです。

「障害者スポーツはスポーツとしての魅力を十分にもっている」。私はこの大会を通じて、このことを改めて確信しました。国枝選手のような世界に認められるスター選手が誕生したことで、車いすテニスという競技自体が広く認知され、少しずつ人気も出てきています。考えてみれば、こういうことは一般のスポーツも同じです。マイナースポーツが人気スポーツに転じるきっかけは、スター選手の誕生あるいは歴史に残る試合で一気に脚光を浴び、その競技の存在が知られることから始まります。そして実際に見た人が「すごい!」「面白い!」と思えるからこそ、どんどん広がっていくのです。北京五輪で“オグシオペア”で沸いたバドミントンや、太田雄貴選手が銀メダルに輝いたことで注目されたフェンシングなどは、そのいい例でしょう。

 車いすテニスがこれだけ広く知られるようになったのも、国枝選手の存在であり、そして競技自体に見た人を興奮させる魅力があるからなのです。「障害者スポーツはスポーツである」。車いすテニスはそのいいモデルケースとなっているわけです。とはいえ、普及が十分とは決して言えません。国枝慎吾という世界ナンバーワン選手のプレーを日本で、しかも間近で観るチャンスは今回の選手権のほかに、5月に福岡県で開催されるジャパンオープン(飯塚国際車いすテニス大会)があります。ところが、この大会の存在はそれほど知られていないというのが現状です。車いすテニスのさらなる普及と後進の育成のためにも、国枝選手が世界王者に君臨している今、こうした大会を盛り上げていくことが必要でしょう。

 NECと協働で行なっているインターネットライブ中継「モバチュウ」の目的もそこにあります。今回の選手権では国枝選手と齊田選手の男子シングルス決勝の模様を配信しました。解説には両選手を指導する丸山弘道コーチを迎えたのですが、パラリンピックのエピソードなどがふんだんに披露され、非常に内容の濃い中継となりました。しかし、残念ながらアクセス数は前回と比べて微増程度にとどまりました。毎回、ほとんどアクセス数が変わらないという現状は、プラスに考えれば、それだけファンが固定しているという証拠でもあります。しかし、その一方でまだ車いすテニスの存在を知らない方たちには、伝えることができていないということでもあります。そして、それこそが私たちSTANDの使命なのです。今大会でそのことを強く感じさせられるとともに、今後の取り組みにいかしていこうと決意を新たにしました。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND副代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。今年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。