高校生は化ける。ほんの数カ月前、さしたる印象にも残らなかった選手が、チームが、信じられないほどの輝きをみせることもある。日々の練習か、一つのプレーか、それとも大舞台での結果か。きっかけは、どこに転がっているかわからない。
 だが、現状の日本サッカー界は、化ける可能性に対していささか冷淡にすぎるのではないか。
 高校野球に当てはめてみれば、サッカー界の問題点は一目瞭然である。野球界の2大イベントは春の選抜と夏の選手権。春の時点で早々と進路が決まっている選手も皆無ではないだろうが、多くの選手たちの進路は夏の選手権が終わった段階で決まることになる。
 高校サッカー界の場合はどうか。高円宮杯の存在も無視はできないが、やはり、大きいのは夏の総体と冬の選手権だろう。Jリーグが発足して20年近くになるが、冬の選手権の熱気と人気はいまだ衰えずにいる。
 もちろんJリーグ側も選手権を無視しているわけではない。過去にも、無名の存在として選手権の開幕を迎えた選手が、大会終了後にJのチームに入団が決まった例はいくつかある。わたしが“冷淡にすぎる”と感じるのは、大学のあり方に対して、である。

 福岡大から名古屋への入団が決まった永井謙佑の例を見ても明らかなように、もはや、J、代表の強化を考えても、大学の存在は無視できないところまできている。実際、今年の選手権に出場している高校生の中で、Jへの入団が決まっているのはわずか11人にすぎない。多くの才能は、高校からプロという直接的なルートではなく、一度迂回する道を選ぶことになる。
 だが、いまの日本のサッカー界では、高校から大学へ進むためには夏の総体までに結果を出さなければならない。高校野球にたとえるならば、春の選抜で結果を出し、推薦を勝ちとらなければならないようなものである。身体の発育が遅い選手、冬の選手権のために無理をしなかった選手は、Jだけでなく、大学サッカーという網からもこぼれ落ちてしまうことになる。

 実際、今回の選手権でも「お、これはいい選手だな」と思って関係者に進路を聞いてみると「未定なんです。なんとかなりませんかね」と言われることがあった。おそらく、そうした選手は決して珍しい存在ではあるまい。
 関西の大学の中には、夏以降の成長を見越し、推薦入学の枠を残してあるところもあるというが、いまのところ、主流派ではない。有力、名門と言われる大学が同調するようになれば、大学サッカーの可能性は、より大きなものとなるはずである。

<この原稿は11年1月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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