ヨハン・クライフ率いるバルセロナが“ドリームチーム”と呼ばれるようになった理由の一つには、ウェンブリースタジアムでサンプドリアを下した欧州チャンピオンズ杯決勝での勝利があった。逆に、クライフがチームを追われるきっかけとなった原因の一つに、0−4という惨敗に終わったACミランとの欧州CL決勝がある。
 徹底して内容を追求するスペインと、徹底して結果を追い求めるイタリア。まるで異なる両者の対決は、互いに影響を与え合いながら現代サッカーの潮流を生み出してきた。バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督にイタリアでのプレー経験があり、インテルの監督としてバルセロナを倒したジョゼ・モウリーニョがバルセロナのスタッフだったことは、よく知られた事実である。
 イタリアのソリッドなカウンターを圧殺するために、スペインはボールポゼッションに磨きをかけた。圧倒的なスペインの攻勢を一撃で瞬殺するために、イタリアは決定力の凄味を増した。イタリアなくしてスペインはなく、スペインなくしてイタリアもなかった。
 だから、ザッケローニ体制はうまくいっているのかな、という気がする。

 ご存知の通り、ここ数年の日本サッカーは、やんわりとであるがスペインの方向に流れてきていた。ボールポゼッションを高めることに末端の指導者までがこだわり始め、理想のチームとして多くの関係者がバルセロナの名をあげるようになった。現在の日本代表選手の中にも、「いつかはスペイン・リーグで」と公言する者は少なくない。
 ザッケローニは、そんな中に突如として放り込まれた“異物”だった。彼が生きてきたのは、相手を突き刺す槍の鋭さを磨くことに腐心する者が圧倒的な国である。本来、土台が安定していれば、槍の攻撃力はさらに増すばかりなのだが、ほとんどの監督に、土台を作る時間が与えられることはない。土台とは、むろん、攻撃回数の源となるポゼッションのことである。

 だが、日本はポゼッションの国だった。ゆえに、ザッケローニが持ち込んだ概念は、“鉄”にたとえることができる。民度は高いけれど、青銅の武器しかなかった国が、ついに手にした鉄の武器。それが、ザッケローニのいう“タテ”の哲学だった。
 結果こそ残れたものの、南アフリカでの日本サッカーに私は未来を感じなかった。ザッケローニ率いるミランに魅力を感じたこともない。けれども、単体ではそれほど魅力的ではなかった両者は、出会ったことで信じがたいほどの補完関係を作り上げつつある。もし、史上最高の日本代表チームというものが生まれるとするならば、この体制によるのではないか、と思わせるほどに。

<この原稿は11年1月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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