土壇場で、絶体絶命の場面で、わずかでも弱みをみせれば一気に蹂躙されてしまいそうな状況で、選手を支えるもの、踏みとどまらせるものは何なのか。答えはもちろん一つではないだろうが、その中に「自信」が含まれるのは間違いない。
 自分は誰にも負けない練習をしてきたから。いままで負けたことがないから。似たようなピンチも切り抜けてきたから。少しでも自信の厚みを増すために選手は日々もがき、鍛錬に励む。街のクラブだろうが、バルセロナの選手であろうが、そこにさしたる違いはない。ただ、世界を目指す日本人選手の場合、欧米の選手より少しばかり、余分なハードルを跳ぶ必要がある。世界を目指す米国の少年が「どうせ俺は米国人だから」と劣等感を抱くことはまずないが、日本人であるがゆえに自分に限界を設けてしまうタイプは決して少数派ではないからである。

 10年ほど前、川口能活がオールバックのヘアスタイルにしたことがある。
 すでに五輪、W杯と世界の舞台を経験した彼は、当時、新たなステージで戦うための自信を模索していた。日本一になるための自信は日々の練習から獲得することができたが、世界で戦うための自信をつかむためにはどうしたらいいのかという答えがほしかったのだろう。突き詰めて言えば、「自分は日本人である。ゆえに勝てる」。と思えるような支えを、柱を、彼は探していた。探して、ある日、二子山部屋に足を踏み入れた。

 相撲に取り組む力士には、当時の日本サッカー選手がどうしても捨てきれずにいた、日本人であるがゆえのコンプレックスがない。その混じり気のない自信が、若い川口には素晴らしく魅力的だったのだろう。稽古のあと、彼は横綱とちゃんこを囲み、さらには床山さんたちとも打ち解けた。そこで出た思わぬ一言――。
「鬢付け、つけてみるかい?」
 正直、甘い顔だちの彼にその髪型が似合っていたとは思えない。けれども、大相撲伝統の香りは、川口をいたく刺激したようだった。以後しばらく、彼はオールバックというスタイルでゴールマウスに立つことになった。

 大相撲がいま、八百長問題でモメている。八百長は、寄生虫のようなものだとわたしは思う。寄生虫は、むろん退治しなければならない。しかし、そのために宿主を殺すようなことだけは、断じてあってはならない。相撲の世界には、日本のサッカーが獲得していないものが数多く隠されている。だから、大相撲に対する空前のバッシングが高まる中、それでも若い選手たちを稽古に送り込んだ日本サッカー協会の英断を、わたしは高く評価したいと思う。

<この原稿は11年2月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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