二宮: 「オグシオ」は人気もさることながら、実力もありました。国内では全日本選手権5連覇を達成。世界でも2005年アジア選手権での準優勝を皮切りに、06年のアジア大会では銅メダル、そして07年の世界選手権でも銅メダルを獲得しました。日本バドミントン界にとって、「オグシオ」は非常に大きな存在だったと思います。
小椋: ありがとうございます。現役の時はただ無我夢中でオリンピックを追いかけていたという感じで、自分たちの存在について意識したことはありませんでした。引退してからの方が、自分たちがやってきたことについて、いろいろと感じる機会が多くなりましたね。


 現役時代は宝塚の男役的存在

二宮: 現役時代の小椋さんは、どちらかというと勇ましいという感じがありましたが、実際にお会いすると結構、おっとりとしている(笑)。
小椋: いえいえ、そんなことは……。でも、確かに現役の時のイメージと違うと言われることは多いですね。「現役の時は怖かった」とよく言われるんです(笑)。

二宮: 確かに怖かったですね(笑)。
小椋: 今と表情が全然違うみたいですね。

二宮: 「オグシオ」は、潮田玲子さんが“柔”で、小椋さんが“剛”というイメージでした。だからこそ、「オグシオ」は幅広い層から人気があったんでしょうね。
小椋: 確かに「もう少し、テレビを意識したら?」と言われたこともありましたね(笑)。でも、あのスタイルじゃないと、自分は世界で勝てないと思っていたんです。だから、何を言われても気にはしていませんでした。とにかく怖いというイメージしかなかったようですから、人気はなかったと思いますよ。

二宮: いやいや、そんなことはありません。あの人気はすごかったですよ。
小椋: 女性や年配の男性からは支持されていたようですけど、同世代の男性からはほとんどなかったと思いますよ(笑)。

二宮: そんなことないでしょう? ファンレターも多かったのでは?
小椋: いえいえ、女性からの方が圧倒的に多かったです。

二宮: 女性からそれだけ支持されるというのも、素敵なことですよね。まるで宝塚みたいな感覚で憧れるファンも多かったんでしょうね。
小椋: おそらく、そんな感じですよね。男勝りに映っていたんだと思います。「かわいい」じゃなくて、「かっこいい」と。

二宮: 実際、宝塚を意識されたこともあると聞きました。
小椋: 小学6年生の時に、知り合いの人から宝塚を薦められたことがありました。「絶対に合格するから!」って。その頃、既に身長が160センチありましたからね。まぁ、言われた本人は「宝塚って何?」って感じで、全くわかっていませんでしたけど(笑)。

 たったひとつの後悔

二宮: 「オグシオ」ブームの時は、報道陣への対応に追われて、いろいろと大変だったのでは?
小椋: マスコミに追いかけられるとか、そういった感覚はありませんでしたね。ただ、このブームに足を引っ張られてしまうのでは、という危機感は常にありました。

二宮: 練習時間が確保できないとか?
小椋: いえ、そういうことよりも自分自身の問題として、「あ、これはヤバいな」と感じたんです。例えば、テレビの仕事って、すごく楽しいんですね。だから「あぁ、この仕事、いいなぁ」と思っちゃったこともあったんです。でも、その時に「いや、このままでは私、ダメになる」と。

二宮: つまり、バドミントンに気持ちがいかなくなってしまうと。
小椋: はい。私ってメチャクチャ不器用なんです。ちゃんとひとつのことに集中しないと、成功できないと思ってしまうタイプなんですよ。だから一時期、テレビの仕事が嫌だなと思ったこともありました。テレビカメラを向けられるだけで、そっぽを向いたり……。でも、それもだんだんと慣れてきて、カメラがまわっていても、気にしなくなりましたけどね。北京五輪の頃はもう、テレビの前でもきちんと自分の意見を言えるようになっていましたし、うまくやっていたと思います。

二宮: その北京ではメダルには届きませんでしたが、あそこまでバドミントンに注目が置かれたのも、ひとえに「オグシオ」人気の賜物でしょう。
小椋: でも、自分としてはやっぱりオリンピックでメダルが獲れなかったことについては、悔いが残っていますね。だから今、胸が張れない部分があるんです。現役に戻りたいとも思っていないですし、引退したことには一切、後悔はしていません。でも、やっぱりオリンピックでメダルを獲りたかったという気持ちは今でも残っています。もし、メダルを獲れていたら、もっと自分に自信をもてていたと思いますね。

二宮: 世間は「オグシオ」を高く評価していると思いますよ。
小椋: 普通に考えたら、オリンピックに出場したというだけで、よしとしなければいけないのかもしれません。でも、私の気持ちとしては「夢は叶わなかった」と思っているので、胸を張ることができないんです。仕事で人前で話す機会も多いのですが、そういう気持ちがあるので、発言するのに躊躇したりすることもありますね。

二宮: そもそも、「オグシオ」人気がなかったら、世界のバドミントン界で中国があれだけ強いことを知らなかった人も多かったはずですよ。
小椋: 北京ではたくさんの人に注目してもらって、応援してもらいました。確かに、試合を見て、世界を知ってもらっただけでも、日本のバドミントン界にとっては大きな一歩だったのかもしれませんね。

 姉の存在あっての五輪への夢

二宮: ところで小椋さん、ご兄弟は何人?
小椋: 姉、兄、弟の4人です。その中で一番身長が低いのが私なんですよ。

二宮: えぇ!? 小椋さんが一番小さいんですか?
小椋: はい。私は170センチあるんですけど、姉が171か172くらいで、ちょっと大きいんです。兄もそれくらいで、弟は180センチありますね。

二宮: じゃあ、ご両親が大きいんでしょうね。
小椋: 父は170センチくらいなのですが、母が165センチあるので、それで私たちも大きいんでしょうね。だから地元ではよく、「あれが小椋さんちの4人兄弟だよ」なんて言われて、目立っていました。

二宮: 小椋さんは3番目ですから、妹でもあり、姉でもある。いいポジションですね(笑)。
小椋: そうですね。真ん中っていいかもしれないですね。あまり相手にされないんですけど、もまれますから(笑)。

二宮: お姉さんがバドミントンをやられていたんですか?
小椋: 姉も兄もやっていて、その影響で私と弟が始めたんです。私にとっては姉が目標でしたね。姉に勝ちたいと思いながらやっていましたから。それが、オリンピックという夢につながったんだと思います。

二宮: 小椋さんがオリンピックに出場した時は、ご家族も喜ばれたでしょうね。
小椋: そうですね。みんなで北京まで応援に来てくれました。でも、家族全員でオリンピックの2年前くらいから旅費を貯金していたんですね。私にとっては逆にそれがプレッシャーでした……。「これで、オリンピックに行けなかったどうしよう」って(笑)。でも、みんな本当に喜んでくれて、私もすごく嬉しかったですね。

 焼酎のソーダ割りにメロメロ!?

二宮: ところで、小椋さんが焼酎を初めて飲んだのは?
小椋: 社会人になってからですね。会社の歓送迎会になると、最初はビールなんですけど、途中から必ず焼酎になるんです。それで私も自然と飲んでいましたね。

二宮: 実は同コーナーには元競泳選手の田中雅美さんにも出ていただいたことがあるんです。
小椋: えっ!? 本当ですか? 雅美さんとは仲良くさせてもらっていて、上京した時には一緒にご飯を食べたりするんですよ。

二宮: 田中さんはこの「那由多(なゆた)の刻(とき)」が非常に気に入って、対談で1本ペロッと空けちゃいました。
小椋: すごい! 田中さんって、本当に強いですよね。

二宮: でも、この勢いですと、小椋さんも1本空けちゃいそうですね(笑)。
小椋: 確かに……(笑)。「那由多(なゆた)の刻(とき)」のソーダ割り、とても気に入っちゃいました。ブランデーのような香りを楽しみながら、のどではシュワシュワっと……。のどごしがとてもさわやかで、ゴクゴクいっちゃいます!

二宮: ご実家に帰省した時には、ご家族で飲まれることも?
小椋: はい。母が小さいお店を経営しているんですけど、そこでいつも父や近所の人たちが集まって宴会をしているんです。実家に帰ると、私もそこで一緒にワイワイやります。やっぱり、みんな焼酎は好きですね。

 老若男女に愛されるバドミントン

二宮: 小椋さんは今、子どもたちにバドミントンを教えていますが、将来的に指導者になろうという気持ちは?
小椋: 指導者になりたいとは全く思っていないですね。ただ、子どもたちを教えることにやりがいを感じています。技術的なことを教えるというよりも、バドミントンの楽しさを伝えていきたいなと思っています。

二宮: 子どもって、ちょっとコツがわかると、短時間でグンとうまくなったりしますよね。そうすると、教える側も嬉しいでしょうね。
小椋: 本当にそうなんです。初めてラケットを握るような子は、なかなかシャトルが当たらなかったりするんですけど、そういう子がラケットに当てた瞬間なんて、もうこっちまで嬉しくなっちゃうんです。

二宮: バドミントンはレクリエーションとしても最適なスポーツですよね。最近では退職した後、スポーツを始めたいという人が増えています。
小椋: 確かに、バドミントンは日本人なら誰でもやったことがあるでしょうし、簡単に始められますから、子どもたちだけでなく、幅広い層に適したスポーツかもしれませんね。

二宮: 「オグシオ」ブームで確実にバドミントン人口は、増えたでしょうね。
小椋: 現役時代、何が嬉しかったかって、「日本のバドミントン人口が増えた」って言われることだったんです。テレビに出て自分たちの知名度が上がるうんぬんよりも、そのことの方が何倍も嬉しかったですね。

二宮: バドミントンって、上を目指そうとすれば、簡単なようですごく難しい競技だと思うんです。でも、その半面、ラケットさえあれば、誰にでも楽しむことができる。間口が広いというのはバドミントンの魅力です。それに、一度やると、大人も子供もやみつきになるんですよね。
小椋: 確かにイベントや講習会で子供たちとやっていると、その親や地域の大人たちも一緒に参加してくれるんですよ。年齢を問わずに、みんなで一緒に楽しむことができる。場所だって、特にコートなんかなくたって、公園や広場で十分にできます。そう考えると、バドミントンはいろんな点で恵まれていますね。これから、もっと多くの人にバドミントンの楽しさを伝えていきたいと思います。

(おわり)

<小椋久美子(おぐら・くみこ)プロフィール>
1983年7月5日、三重県生まれ。小学2年からバドミントンを始め、四天王寺高校時代に潮田玲子と出会う。2002年、潮田と共に三洋電機に入社。2004年から全日本総合女子ダブルス5連覇を達成するなど、“オグシオ”の愛称のもと、名実ともに日本の女子バドミントン界を牽引した。08年北京五輪に出場し、5位入賞を果たす。2010年1月に現役を引退。現在はバドミントン教室や講演など普及活動に尽力し、幅広く活躍している。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。国際的な品評会「モンドセレクション」2011年最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
おうどん銀座うらら
東京都中央区銀座8−6−15 ホテルコムズB1
TEL:03-6228-5800
営業時間:
7:00〜10:00(朝食)月〜日・祝 
11:30〜04:00(L.O.03:00)月〜金  
11:00〜22:00(L.O.21:00)土・日・祝

☆プレゼント☆
小椋久美子さんの直筆サイン色紙を長期貯蔵本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」(720ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「小椋久美子さんのサイン色紙希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、小椋久美子さんと楽しんだお酒の名前は?




 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:斎藤寿子)
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