今月19日、イタリアから嬉しいニュースが飛び込んできました。パラリンピックで4個の金メダルを獲得した両足義足ランナー、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)が世界陸上選手権の出場資格を得たというものです。イタリアで行なわれた陸上大会に出場したオスカーは、男子400メートルで自己記録を0秒54上回る45秒07をマーク。見事、参加標準記録を突破しました。今後、南アフリカ代表に入れば、8月27日から韓国・大邱で開催される世界選手権に出場することができます。実現すれば、世界のスポーツの歴史が変わる、それくらい大きな出来事です。
 オスカーは2008年の北京オリンピックの出場を目指し、07年に国際陸上連盟に出場資格を求めましたが、国際陸連は義足が「競技力向上を手助けする人工措置」を禁じる規定に抵触するとして認めませんでした。しかしその後、スポーツ仲裁裁判所の裁定により、北京オリンピック出場が可能とされたのです。残念ながらオスカーは参加標準記録を突破できず、北京への出場は実現しなかったのですが、それでも「義足ランナーがオリンピックに出場する資格がある」と認められたのですから、まさに時代が動いたと言っても過言ではないでしょう。そのオスカーが再びオリンピックへの道を切り拓こうとしているのです。

 とはいえ、オスカーがオリンピックに出場することには賛否両論あります。その主たる理由は2つ。まず、競技用義足はカーボンでつくられており、反発力を受けていること。もうひとつは、義足であるために疲労の原因となる乳酸がたまらず、持久力という点で有利であるということです。短距離の中で最も過酷だと言われる400メートルであれば、なおさらその有利性は高い。国際陸連が義足ランナーの出場を認めなかったのは、こうした理由からなのです。

 “高速水着”に見る時代の流れ

 私自身はというと、このニュースを読んだ時に「よしっ! 行けっ!」とガッツポーズしました。義足ランナーがオリンピックに出場する、その可能性が出てきたことが何より嬉しかったのです。もちろん、義足の有利性については無視できる問題ではありません。特に陸上のトラック競技はスパイクこそ履くものの、それ以外は一切、道具を使わず、自分の身ひとつで勝負するわけですから、そこに義足という人工的なものが割り込んでくることに反対意見があるのは当然です。

 しかし、私はオスカーをオリンピックに出場させるべきだと思っています。なぜなら、彼のような選手の出現は、速さを求めた先の必然的な流れだからです。例えば、北京オリンピックでは競泳の“高速水着”の問題が浮上しました。高速水着を着用した選手が次々と世界記録を打ち立てるさまは、科学的進歩への驚きとともに、選手ではなく、まるで水着の競技会のように映り、何とも不気味な感じを覚えた人も少なくないのではないでしょうか。世界中でさまざまな意見が飛び交い、選手たちも悩み苦しみました。そして紆余曲折を経て、2010シーズンから高速水着の着用は禁止となったのです。義足も最初から否定するのではなく、まずはやってみればいいのです。その結果、高速水着と同じルートを辿るかもしれませんが、それはそれでいいのではないでしょうか。

 水着同様、競技用義足は科学の進歩とともに、どんどん進化してきました。だからこそ、オスカーのように義足ランナーがオリンピックに出場する可能性がでてきたのです。今後、その義足については議論が交わされるべきでしょう。しかし、こうしたことは時代の流れであり、その事実を最初から否定することは速さを追求することまでも否定することになるのです。

 オスカーが背負った運命

 さらなる進化を目指すのは世の常です。これまでよりよい製品をつくるために、次々と技術開発が行なわれてきました。だからこそ今の時代があるわけです。義足も一般生活用から、反発力を受けられる競技用の義足が開発され、さらに競技性の高さを求めた結果、オスカーほどのパフォーマンスが生み出されたわけです。

 もちろん、そのためには反発力の強い義足に耐え得るだけの身体が必要で、オスカーの並々ならぬ努力あってのものだということも忘れてはいけません。そうであるならば、オスカーの努力は報われてしかるべきです。彼は何もルール違反をしているわけではありません。進歩した科学によってつくられた義足を使いこなすために、自らの肉体を磨きあげてきただけなのですから、彼は堂々と世界の舞台で戦っていいはずです。

 オスカーが今の時代に障害をもって生まれ、陸上と出合い、進化した競技用義足をつけてパラリンピックで活躍し、そして次にオリンピック出場を目指している。それらは全て彼の運命です。もちろん、健常の選手もオリンピックのために4年間全てをかけています。それを条件の違う義足ランナーと一緒に走ったことで、例えばオリンピックの出場権を逃すこともあるかもしれません。その時、「アイツがいなかったら……」と考えるかもしれません。しかし、それも運命と捉えてしかるべきではないでしょうか。高速水着が許された北京オリンピックで、「高速水着さえなければ」と言っても仕方のないことと一緒で、全てはその時代に生きた選手の運命であり、そもそも全て人間がつくってきたモノなのですから。

 私は、義足ランナーがいつの日かオリンピックで表彰台の中央に立ったらと想像するだけで、わくわくします。その後、世に受け入れられ、義足ランナーが普通にオリンピックに出場するようになれば、その人は前人未到の一歩を踏み出した勇気ある選手となるでしょう。そして、やはり義足はルール違反とされ、義足ランナーがオリンピックに出場することができなくなったとしても、それは歴史的過去の事実として残っていくわけです。「あの時代がなかったら、今日はない」となるはずです。

 いつの時代も人間は進化を求めます。スポーツ界においてその先端にいる人たちがオリンピック選手であり、パラリンピック選手。それがどの時代にどういうかたちであらわれたのかということのひとつが、高速水着であり、義足なのです。これらは人間の進化の中の過程であり、その過程のひとつひとつに、その時代を生きた人間の魂が込められている。
「もっと速く走りたい」――過去の義足ランナーたちの思いが詰まったオスカーのパフォーマンスを私はぜひ世界陸上の舞台で見てみたいのです。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。