来る2012年はオリンピックイヤーだ。U-22日本代表は現在、出場権をかけてアジア地区最終予選を戦っている。まずはチームとして五輪切符を獲らないことには始まらないが、選手たちにとっては個人のロンドン行きもかけた試合が続く。
 2011年に入り、U-22代表のロンドンへの厳しい戦いが火ぶたを切った。6月にはアジア地区2次予選で、U-22クウェート代表とホーム&アウェーで対戦。登里もメンバーに選出された。ホームでの第1戦(6月19日)には後半終盤、3−1とリードした状況で途中出場を果たしたが、アウェー戦(6月23日)では出番が巡ってこなかった。日本は1勝1敗ながらトータルスコアで上回り、何とか最終予選進出を決めた。

「ベンチでしたけど、緊迫した雰囲気を味わえました。本当に……いい経験になりましたね。クウェートのあの暑さもなかなか体験できないですから。そこに実際、自分がメンバーとして参加していた。2次予選に参加して、もう、何としてでもロンドンに行きたいなと思いましたね」

 追加招集からの巻き返し

 9月から始まった最終予選。しかし、その初戦であるマレーシア戦(9月21日)のメンバーリストに、登里は入っていなかった。
「その時期は結果を出せていなかったですからね。ゴールであったり、アシストであったり。アピールできる部分がなかったと思います」
 本人も明かすように、この頃はクラブでの出場機会も少なくなっていた。10月には東京でU-22代表の短期合宿が行われたが、ここにも登里は招集されなかった。

 だが、チャンスが巡ってきた。この東京合宿初日に負傷者が発生。代わりに登里が追加招集されたのだ。キャンプ地が町田だったため、「近かったというのもあると思います」と笑ったが、下がりかけていたモチベーションは一気に上がった。合宿2日目の紅白戦は鋭いドリブル突破や前線への飛び出しからゴールに迫る。最終日に行なわれた練習試合ではパスで得点の起点になってみせた。

「いいプレーができて、何とか生き残れたかなと思いましたね。(合宿に)追加招集されていなかったら、たぶんもう、チャンスというか、代表選考のボーダーラインにも立てていなかったでしょう」
 合宿後のクラブの練習試合には関塚隆監督が視察に訪れた。その時も登里は自分の持ち味を出し、指揮官にアピールした。
「(代表メンバーの)ギリギリのところに食い込めたかなという手応えはありましたね」

 猛アピールが実を結び、11月のU-22バーレーン代表戦(アウェー)、U-22シリア代表戦(ホーム)のメンバーに選ばれた。日本は苦しみながらも連勝し、3戦3勝のグループ首位で最終予選前半を折り返すことに成功する。ただ、2試合とも登里は試合に出ることは叶わなかった。それでもベンチ外だったシリア戦後には、各選手がインタビューを受ける後ろで、他のベンチ外の選手とともに荷物を運ぶ登里の姿があった。関塚監督は「チームの一体感が大事」と繰り返し強調している。試合に出られなくとも、できることはある。登里のピッチ外での「フォア・ザ・チーム」は、指揮官も見ているはずだ。
「まだ時間はありますし、レギュラーをつかむチャンスも誰にだってあります。(メンバー入りは)狙っていきたいですね」

 ロンドン、そしてその先へ

 もちろん代表のレギュラーメンバーに入るためには、本人も認めるように「1ランクも2ランクもレベルを上げる必要がある」。では、主力との差を埋めるためにどんなプレーが求められるのか。
「やっぱりバイタルエリアでのプレーの幅ですね。7月の(1ゴール1アシストを決めた)サンフレッチェ広島戦(ナビスコ杯)がそうですけど、サイドだけじゃなく、中でもプレーする。そこから自分で持ち込んでのシュートだったり、スルーパスだったり……。自分のかたちをもっと増やして、相手が“計算できない”選手になりたいですね」

 左サイドでの縦への突破は最大の武器ではあるが、相手がそれを予測して対応してきた時に、他のオプションがなければ、トップクラスでは通用しない。登里の目指す“計算できない選手”の代表格として思い浮かぶのは、バルセロナのリオネル・メッシだ。エリアを問わずにドリブルを仕掛け、シュートを打ち、そしてパスも出せる。先のクラブW杯でも、観る者の予想を超越するプレーで我々を魅了した。登里も「メッシのようなテクニック系ではないですけど、ボールタッチであったり、間合いであったり、その辺は盗むべきものだと思いますね」と目標のひとりに掲げる。

 そんな世界のトッププレーヤーと戦うためにも、五輪は貴重なステップアップの舞台だ。本田圭佑(CSKAモスクワ)や長友佑都(インテル)などは、五輪を経て、A代表の主力となり、世界へとはばたいた。登里もその思いは強い。
「ロンドンを分岐点というか、成長のきっかけにしたいですね。五輪という場所は絶対に何かつかめるものがある。試合に出ても出なくても、貴重な経験ができると思うので、まず、絶対にメンバーに入るようにしたいですね」

 もちろんロンドンが登里にとっての頂上ではない。
「フロンターレで絶対にタイトルを獲ること。そして、もっとレベルを上げて、いつか海外でのプレーや、A代表に入ってW杯も経験したいですね」
 座右の銘は“継続は力なり”。高校時代、ひたすらドリブル練習を繰り返し、プロへの扉を切り拓いた。プロ入り後は苦しみながらも前へ前へと成長の“ドリブル”を続けてきた。香川から川崎、ロンドン、そしてブラジルへ――。登里は更なる高みへと“登”っていく。

(おわり)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら
>>第3回はこちら

登里享平(のぼりざと・きょうへい)プロフィール>
1990年11月13日、大阪府生まれ。クサカSS─EXE'90FCジュニア─EXE'90FC─香川西高。香川西では高校サッカー選手権に3年連続出場を果たすなど、全国の舞台を経験。3年の選手権後には高校選抜にも選出された。09年、川崎フロンターレに加入し、2試合1得点。昨季は9試合と出場機会を増やした。迎えた今季、開幕戦でスタメンに抜擢されゴールをあげるなど、19試合2得点。今後の川崎を背負う選手として期待されている。またU-22日本代表にも選出され、10年広州アジア大会では優勝に貢献。現在は来年のロンドン五輪出場を目指している。爆発的なスピードと積極的なドリブル突破が持ち味。身長168センチ、体重65キロ。背番号23。







(鈴木友多)
◎バックナンバーはこちらから