スパグニョーロ。スパゲッティの新しい種類ではない。歴としたベースボール・プレーヤーの名前である。しかしメジャーリーグでプレーした記録はない。本名ヨゼフ・スパグニョーロ。メキシコ人内野手だ。
 この名も無きヒスパニックが日本プロ野球の歴史を変えたと言ったら言い過ぎか。15日、中日・山本昌が46歳8カ月4日というプロ野球最年長先発勝利をマークした。浜崎真二が保持していた記録を4日ばかり上回った。ついでに工藤公康のセ・リーグ最年長勝利も更新した。スパグニョーロとの偶然の出会いがなければ山本昌の今はなかった。必然的に記録更新もなかった。

 入団5年目の1988年、山本昌はアメリカで途方に暮れていた。“野球留学”と言えば聞こえはいいが、実態は体のいい島流し。日本では1勝も挙げることができず、チームは彼を戦力と見なしていなかった。いつクビを宣告されてもおかしくないような状況だったのだ。

 そんな、ある日のことだ。留学先のドジャースのオーナー補佐・アイク生原から「マサ、新しい変化球を覚えろ」との指示が出た。当時のドジャースのエースといえばメキシコからやってきたサウスポー、フェルナンド・バレンズエラ。スクリューボールをウイニングショットに圧倒的なパフォーマンスを披露していた。
「右ピッチャーのカーブみたいに、大きくストンと曲がる。どんな魔法を使っているんだろうと思いましたね。こんなボール、投げられるわけがない……」

 スパグニョーロに出会ったのは、スクリューの習得を諦めかけていた矢先だった。「彼がキャッチボールで、このボールを投げていたんです。よく変化するので、“どうやって握るの?”って聞いたら、自慢げに教えてくれた。早速、試合で試してみたら190センチくらいある黒人バッターが空振りした。これは使えるんじゃないかと……」。211勝左腕のサクセス・ストーリーはここから始まったのである。

 マウンドで躍動する46歳を見るたびに思う。この世界、いかに人との出会いが大切か、出会いの準備をしているか、そして逆境にあっても探究心を磨き続けられるか……。「青春とは、心の若さである」(サムエル・ウルマン)との言葉を改めて噛み締める。

<この原稿は12年4月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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