浜辺で行われるスポーツといえばビーチバレー、ビーチサッカーが市民権を得ているといえるだろう。その中に、近い将来仲間入りするであろう競技が「ビーチテニス」だ。1994年にイタリアで産声を上げたビーチテニスが日本で普及し始めたのは2007年のこと。まだまだ歴史は浅く、大会などに参加する国内の競技者も男女合わせて約500人ほどだ。それでも、日本ビーチテニス界には、現時点で世界の頂に届きそうな存在がいる。高橋友美と中村有紀子。日本ビーチテニスツアーランキング3年連続1位の黄金ペアだ。

 ビーチテニスはビーチバレーと同じ縦16メートル、横8メートルのコートで行われ、ネットの高さは170センチ。ラケットはビーチテニス専用の「パドルラケット」と呼ばれるものを使う。「パドルラケット」の規程は長さは50センチ、面部分の幅は26センチ、厚さは4センチまで。ラケットの面には空気抵抗を減らす穴が開いており、その穴の数はメーカーによって異なる。ボールは硬式テニスボールほどの大きさだが、硬さは硬式よりも柔らかく、ソフトテニスよりも硬い。
 スコア方式はテニスと同じだが、サーブにおいてはサービスサイドという概念がなく、ベースラインより後ろであればどこからどこへ打ってもいい。また、サービスがネットに触れた場合でも、相手コートに入れば、レット(やり直し)とはならず、バレーボール同様、そのまま続行になる。さらにワンバウンドが許されるテニスとは異なり、ボールを地面に落とせば失点になる。すなわち、選手はすべてノーバウンドでボールを返さなければならないのだ。

 これらの特徴からビーチテニスは、テニスとバドミントン、そしてビーチバレーを掛け合わせた競技であると表現される。また、卓球の感覚にも近い。少し練習すれば簡単にラリーを続けられるようになり、誰もがすぐに楽しめるところが大きな魅力であるといえる。現在は国際テニス連盟(ITF)が統括しており、将来の五輪種目への採用も期待されている。

 運命的な出会い

 現在、日本女子ビーチテニス界のトップに君臨する高橋と中村の出会いは、今から11年前に遡る。その頃、高校生だった中村は99年からオーストラリアにテニス留学していた。そして3年目の01年、当時大学4年生だった高橋が、中村の所属するテニススクールに2カ月の短期留学に訪れたのだ。2人の出会いの瞬間を高橋は「初めて会ったのに、ずっと前から友達のような感じがして、すぐに意気投合しました」と振り返る。中村も「お姉ちゃんみたいな印象でしたね(笑)」と懐かしそうに話した。2カ月間、一緒に練習を行なった高橋と中村は、ペアを組んでダブルスの試合にも出場した。その頃から、即席ペアとは思えないほど息が合っていたという。

 そして2カ月後、帰国した高橋は、翌年3月に大学を卒業すると、現在の職場である静岡のテニスクラブに就職した。一方、中村も02年に帰国し、東京のテニススクールグループに就職した。中村は帰国した際、「静岡と東京では距離が離れているし、友美とは疎遠になるかな」と思っていた。しかし、その予想は外れ、お互いに連絡を取り合う仲が続いた。
「(高橋以外にも)私がいたオーストラリアのスクールに短期留学してくる日本人選手は多かったのですが、交流するのはその時だけというパターンがほとんどでした。手紙などのやり取りをしても、なかなか長くは続かなかった。ところが、友美とは唯一、ずっと付き合いが続いているんです。彼女との出会いは運命だったと思っています」

 2人は就職後も現役としてプレーしていたが、なかなか結果を残すことができずにいた。そんなある日のことだ。元プロテニスプレーヤー杉山愛のブログを見ていた高橋は、杉山がビーチテニスをしている様子が描かれた文を見つけた。帰国後、7年が経った2008年12月のことだった。
「へえ、楽しそう。テニスをやっている自分になら、簡単にできるかもしれない」
 こう思った高橋はある人物に電話をかけた。それがオーストラリアで2カ月間ペアを組んだ中村だった。ビーチテニスの存在を伝え、「私たちなら日本一になれるんじゃない!? 一緒に始めよう」と誘った。誘いを受けた中村も「そんなに簡単に日本一になれるのなら」とOKした。こうして2人はビーチテニスの世界へと入って行った。オーストラリアでの出会いから7年の月日を経て、ビーチテニスが2人を再び結び付けたのだ。

 狙い通りの初代女王

 高橋と中村は早速、湘南で行われていたビーチテニスの体験会に参加した。パドルラケットでボールを打つ感覚や裸足に感じる砂の感触など、何もかもが新鮮だった。
「実際にやってみて、テニスと似ている部分もあれば、まったく違う部分もある。それがすごく面白くて、のめり込んでいくのがわかりました」
 中村の言葉に頷く高橋。2人の表情からビーチテニスへの熱中ぶりが見てとれた。

 この体験会を主催していた日本ビーチテニス連盟(JFBT)の高橋俊也事務局長は、2人の第一印象を「とにかくパワフルだった」と語る。テニスで鍛え上げた2人の実力が、ビーチの上で生かされていたのだろう。特に高橋のサーブはその時点で男子並みのパワー、スピードを誇っていたという。中村も総合的に能力が高く、ボールへの反応の速さがあった。また、2人の連携も良く、攻守においてバランスがとれていた。

 そんな2人を見て、JFBTの杉田高章理事長と高橋事務局長は、翌年の国内大会への出場を打診。高橋と中村は迷わず参加を決断した。だが、ビーチテニスは今でこそ神奈川の海岸などで練習会が盛んに行われるようになってきているものの、当時は今以上に練習環境が少なかった。加えて、2人の職場が離れていたこともネックになった。こうした厳しい状況を覚悟した上でのペア結成だった。

 迎えた09年2月、高橋と中村は「鵠沼WINTER 1day 第2戦」に出場した。「もうぶっつけ本番といっていいぐらいでしたね(笑)」と中村が振り返った初陣で、2人は予選リーグ4試合を全勝して1位決定戦に進出。もう1つのリーグを首位通過してきたペアに、ゲームカウント6−1(※6ゲームマッチ)と快勝し、いきなり優勝を果たした。奇しくも同年から、国内でビーチテニスツアーが始まることが決定していた。高橋と中村は、テニススクールのコーチを続ける傍ら、ツアー参戦を決意する。

 初年度のツアーで2人は、全5戦で優勝し、完全制覇を達成。10月に開催された国内初の国際大会「JFBT湘南国際ビーチテニス」を制し、ツアーが始まるにあたり導入されたJFBT女子ビーチテニスツアーランキングの初代1位に輝いた。競技を始めて1年も経たないうちの日本一。ビーチテニスを知った時の「絶対に日本一になれる」という高橋の直感に間違いはなかった。中村は「競技そのものが面白いのはもちろんですが、勝つ楽しさも感じることができました」と語る。日本一はもとより、勝利に飢えていた2人にとって、ビーチテニスプレーヤーとしての1年目は、これ以上ないほど順風満帆のうちに終わった。

 「日本一」から「世界一」へ

 そして、翌年5月、2人が「ターニング・ポイントとなった」と口を揃えるイベントが訪れた。ワイルドカード枠(招待選手枠)で出場した「第2回ワールドビーチテニスチャンピオンシップ」(ローマ)である。それまで国内での試合経験しかなかった2人にとって、初めて世界レベルを知る大会となった。相手からは国内で体感したことのない力強い打球を打ち込まれ、逆に自分たちのショットは今までなら決まっていたコースに打っても、リターンされた。2人は身をもって、国内と世界の差を痛感した。なかでも決定的に違っていたのは、対戦相手との体格差だった。高橋の身長は159センチで中村は157センチ。これに対し、「大人と子供が試合をしている感覚」と中村が語るほど、海外の選手には高さがあった。高角度から打ち込まれるスマッシュの威力やリーチの長さを生かした守備範囲の広さに驚かされた。

 それでもJFBTの高橋副理事長が「彼女たちには度胸がある」と評するとおり、2人は臆することなく世界の強豪に挑んだ。その結果、初の国際大会ながら1回戦で本場のイタリア人ペアに勝利し、ベスト16に進出した。次の試合では敗れたものの、同大会で準優勝したイタリア人ペア相手に、ゲームカウント3−6、6−7と、決して“ボロ負け”したわけではなかった。中村は「正直、全く戦えずに日本に帰る羽目になると覚悟していたんです」と明かす。しかし、高橋の力強いプレーと中村の粘り強くゲームメークする力は、充分、世界で通用した。2人にとって、「日本一」から「世界一」へと目標が切り替わる、まさにターニング・ポイントとなる大会となったのだ。

 帰国後、新たな目標を得た高橋・中村ペアは国内ツアーで連勝を重ね、2年連続で日本ビーチテニスツアーランキング(※10年からJTA公認)1位の座に就いた。また10年から国内でも、国際テニス連盟(ITF)認定の大会が増え、世界ランキングのポイントを得られるようになった。ゆえに、11年のワールドチャンピオンシップは招待枠ではなく、世界ランキング上位に与えられる出場権を獲得。自力で世界へ挑戦する機会を手繰り寄せた。

 ところが、2度目の世界挑戦に期待をふくらませ、新年を迎えた高橋と中村の前に思わぬ難題がたちはだかった。「資金難」。アマチュア選手の2人にとって、国内の遠征費でも工面するのは簡単なことではない。それが海外となれば、費用がさらにかさむことは明白だ。前年はどうにか遠征費を用意して参加した2人は、その時もワールドチャンピオンシップに出場するための費用を捻出しようとした。だが、現実は甘くはなかった。

(後編は5月16日更新予定です)


高橋友美(たかはし・ともみ)プロフィール>
1979年5月26日、静岡県生まれ。ビボーンテニスクラブ所属。愛知学院大時代に、インカレで女子ダブルスベスト8。大学卒業後は、静岡のビボーンテニスクラブでテニススクールのコーチを務めている。男子並みの力強い攻撃と大事な場面でポイントを取れる勝負強さが武器。世界ビーチテニスツアーランキング17位(4月25日時点)。身長159センチ。

中村有紀子(なかむら・ゆきこ)【右】プロフィール>
1984年6月9日、東京都生まれ。ビボーンテニスクラブ所属。99年からオーストラリアにテニス留学。01年に留学先で高橋と知り合う。02年に帰国後、関東のテニススクールグループでコーチとして勤務。粘り強い守備と多彩な攻撃で試合を組み立てるのを得意とする。世界ビーチテニスツアーランキング27位(4月25日時点)。身長157センチ。

2008年にビーチテニスに出合い、ペアを結成。翌年から本格的にビーチテニスプレーヤーとして国内外の試合に出場。10年には初のワールドチャンピオンシップに出場してベスト16に進出した。09年から3年連続日本ビーチテニスツアーランキング1位。昨年10月の第1回『マルハンワールドチャレンジャーズ』では最終オーディションに残り、特別協賛金50万円を獲得。今年6月に行われる「ワールドチャンピオンシップ2012」(ブルガリア)で優勝を目指す。

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※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(鈴木友多)
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