いよいよロンドンオリンピックまで残り約2カ月、そしてパラリンピックまで約3カ月となりました。各競技で続々と代表選考会や内定選手の発表が行なわれ、オリンピック・パラリンピックへのムードが高まってきています。そこで今回から、このコーナーではロンドンパラリンピックで活躍が期待されるチームや選手について取り上げていきます。今回は車椅子ランナーの廣道純選手です。
(写真:わたなべじん)
 廣道選手は高校1年の時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子を使用する生活となりました。もともとスポーツが得意だった廣道選手は、車椅子競技の存在を知ると、すぐに興味をもったそうです。そして、退院した翌日には地元の障害者スポーツセンターに行って、走り始めたというバイタリティにあふれた選手です。

 これまで廣道選手は数々の功績を挙げてきました。マラソンでは1996年の大分国際車いすマラソンで日本人初の総合2位を獲得すると、2002年にはホノルルマラソン、ベルリンマラソンと続けて2位に入る活躍をしました。そして、最も得意とする800メートルではシドニーパラリンピックで銀メダル、アテネパラリンピックでは銅メダルを獲得しています。3度目の出場となった北京パラリンピックでは初めてメダルを逃し、悔しい思いをしました。しかし、だからこそパラリンピックでのメダルの価値を改めて感じたそうです。

 過去3度のパラリンピックでは、トラックでの短・中距離、そしてマラソンと、多くの種目にエントリーしていました。しかし、今夏のロンドンパラリンピックでは戦略的にトラック競技の短距離に絞り、200メートル、400メートル、800メートルに出場する予定です。なかでも狙っているのは、やはり800メートルでの金メダル。「これまで銀、銅をとって、メダルなしも味わった。残るは金メダルのみ」と並々ならぬ決意をもって、4度目のパラリンピックに挑もうとしています。必ずや、障害者スポーツの発祥の地であるロンドンで、センターポールに日の丸を揚げてくれることでしょう。

 廣道純が「大分陸上」を創設したワケ

 これまで廣道選手とは何度かお仕事を一緒にしてきましたが、「廣道純」という人間を知れば知るほど、そのグローバルな概念と懐の深さに感銘を受けるとともに、彼の存在価値の大きさを感じます。

 廣道選手は競技に対して本当に真っ直ぐな人です。彼はよく車椅子の自分について「ただ足が動かなくなっただけやん」と言います。その裏には、彼自身にしかわからない大きな意味があるはずですが、シンプルでまっすぐに響くその言葉は、聞いている側をもすんなりと「うん、そうだよね」と思わせます。そして、彼は続けてこう言うのです。「自分はただスポーツが好きだからやっているだけ」と。これが、実に清々しいのです。

 もちろん、事故で車椅子での生活を余儀なくされた現実を受け入れるには、想像を絶する苦悩があったはずです。しかし、廣道選手はそれを感じさせません。いつも前向きで、何に対してもプラス思考。そしてプロの車椅子ランナーとしての誇りをもち、勝負に対しては絶対に妥協をしません。

 私が廣道選手と初めて会ったのは、10年の大分国際車いすマラソンです。私の方から声をかけると、初対面にもかかわらず、気さくに話しをしてくれました。記事やHPの写真の印象では、「やんちゃな少年がそのまま大人になった」ような、それでいてちょっと強面な感じがしましたが、会ってみると、実に熱い男で、そしてフェアなアスリート然とした人でした。

 そして驚いたのは、大事なレース前だというのに、「もっとこの大会を盛り上げたい」というような話を夢中でしていたことでした。普通、レース前の選手に話を訊くと、当然レースのことで頭がいっぱいですから、自分の走りやレース展開についての話になるのが自然な流れでしょう。ところが、廣道選手は車椅子競技全体のことを気にかけていたのです。「只者」ではないことを感じさせてくれました。

 廣道選手はプロのランナーとして自分がレベルアップすることはもちろんですが、常に競技の普及と日本の障害者スポーツ界の発展のことを考えています。そして、考えるだけではなく、実際に行動に移すところが、「廣道純」のすごさです。このコーナーでも、昨年5月に掲載した第8回で取り上げていますが、廣道選手は自らが現役選手ながら、友人とともに国際パラリンピック委員会(IPC)公認の国際大会「大分陸上」を毎年開催しています。

 しかも、同大会は自分のためではなく、海外遠征に行くことのできない若い選手に記録を出すチャンスを与えたいという理由から立ち上げたものなのです。「大分陸上」を開始した05年、廣道選手はすでに2度のパラリンピックに出場し、世界トップランナーとしての実績も地位も手に入れていました。次の北京パラリンピックの切符を勝ち取るための海外遠征も可能な実力があり、既にプロとして活動していましたから費用に困っていたわけでもありませんでした。しかも、現役選手の廣道選手からすれば、若手の台頭は自分のライバルを増やすことにもなるわけです。しかし、それでも廣道選手が大分陸上を立ち上げたのは、彼にとって優先すべきは自分自身のことではなく、障害者陸上界全体の底上げだったからです。つまり、彼は芯から日本の障害者スポーツの発展を願っているのです。

 兼ね備えたリーダーの資質

 今年3月に東京・恵比寿で開催したパラリンピックイベント「Sports of Heart」にも、廣道さんは大分から駆けつけてくれました。「Sports of Heart」では日本の障害者スポーツの発祥の地である大分からも何らかのかたちで参加してもらおうと、実行委員会の一人である「MLBカフェ」のオーナーの兵頭慶爾さんが大分に足を運び、行政や企業に呼び掛けました。

 その際、兵頭さんは地元の人の勧めで廣道選手に会いました。そこで「Sports of Heart」のことを聞いた廣道選手はすぐに私に電話をしてきてこう言ってくれたのです。
「オレにもぜひ何かやらせて! 何でもやるよ。もう飛行機のチケットも取ったし、とにかく行くから、オレを使い倒してくれ!」
 もうその勢いと熱さで、それまで持っていた大きなイベントに向けてのいろんな杞憂は一気に吹き飛びました。廣道選手からエネルギーをいただき、「絶対にこのイベントを成功させよう!」と、改めて誓ったのです。

 実は、恵比寿での「Sports of Heart」に参加してくれた大分の企業が、このイベントを開催することの意義を感じてくれたのでしょう、今年10月には大分で開催する計画が進められています。もちろん、廣道選手にも企画の段階から参画してもらっています。ロンドンパラリンピックが近づきつつある今、競技のことに専念したいというのが普通でしょう。しかし、廣道選手はしっかりと金メダルを狙いながら、こうした普及活動の手も休めないのです。

 おそらく廣道選手になぜそこまで一生懸命になるのか、と聞けば「自分がやりたいことをやりたいようにやっているだけ」と答えるでしょう。彼には無理をしたり、かっこつけたりしているところがありません。そして、彼の言動はいつも一本筋が通っているのです。だからこそ、廣道選手というランナーに魅力を感じ、支援してくれる企業や団体、そして仲間が彼の周りにはたくさんいるのでしょう。

 そんな彼から、次代のリーダーの匂いが、確かにしています。ランナーとしての数々の実績、自分がやると決めたら突き進むことのできる強引さ、そして何かをつくりあげる際に多くの人を巻き込む力……。廣道選手は自ら道を開拓し、皆を牽引してくれる、まさに障害者スポーツ界の新しい時代をつくるリーダー。その廣道選手がロンドンで金メダルに輝く姿が、私の脳裏にははっきりと浮かんでいます!


伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。11年8月からスタートした「The Road to LONDON」ではロンドンパラリンピックに挑戦するアスリートたちを追っている。