2007年3月、第79回選抜高校野球大会。6年ぶり14回目の出場を果たした高知高校の初戦の相手は関西高校(岡山)と決まった。実はこの7カ月前、新チーム発足直後の8月に関西と練習試合をしており、その時は14−2と高知が快勝していた。それだけに高知ナインは皆、意気揚々と試合に臨んだ。ところが――。
「勝てるだろう、という気持ちが無意識にあったのかもしれません。そういう気持ちだったからこその敗戦だと思います」
 高木悠貴は当時のことをこう振り返った。秋の県大会以降、公式戦負け知らずで甲子園に乗り込んだ高知は、初戦の高知戦でも3回表に先制し、均衡を破った。その先制のホームを踏んだのが高木だ。高木は2死無走者から甘いストレートを見逃さず、二塁手のグラブを弾く強襲ヒットを放って出塁。次打者の打球がセンターへ飛ぶや否や、勢いよくスタートを切ると、迷うことなくホームまで駆け抜けた。

「二塁をまわった時に、まだ相手の中堅手が打球に追いついていなかったんです。それで三塁もまわったんですけど、そこからスピードが落ち始めてしまって……(笑)。タイミング的には、ギリギリでした」
 まさか高木が一気にホームを狙うとは予想していなかったのだろう。関西の中継は乱れ、ボールはホームにまで返ってこなかった。高木の好走塁が生んだ貴重な先取点だった。

「よし、今日もいける!」
 ホームでパンと勢いよく手を叩いた高木は、勝利を確信した。高知は4回表にも1点を追加し、流れを引き寄せた。ところが、その裏、関西の反撃にあう。その試合、高木によればエースの国尾健人のボールはいつもより走っていなかったという。常時130キロ台半ばは出るストレートのスピードは、その日、130キロ台前半しか出ていなかった。それでも序盤はコントロールよく低めに集め、3回までは二塁を踏ませない好投を見せた。だが、打順が一巡したことで相手打者も国尾のボールに慣れてきたのだろう。さらにボール自体も高めに甘く入るようになり、そこを狙われたのだ。その回一挙3点を奪われ、逆転を許した。

 とはいえ、まだ試合は4回。しかもわずか1点差である。再逆転の可能性は十分にあった。だが、それまであった勢いは高知ベンチから消えていた。それまでは先制をすれば、そのまま自分たちの勝ちパターンにもっていくことができた。新チームになって逆転されたのは初めてのことで、立て直す術を知らなかったのだ。結局、5回以降は得点することができないまま、敗戦を喫した。

 責任感と達成感による終止符

 最後の打者となったのは高木だった。2死一、三塁でまわってきた4打席目、長打が出れば一打同点のチャンスだった。しかし、高木は緩い変化球をひっかけ、サードゴロに倒れた。普段はさほどプレッシャーを感じない高木だが、その時ばかりはさすがにショックを受けた。

「先輩たちが何か話しかけてきたかもしれないんですけど、全く覚えていないんです。多分、ショックすぎて耳に届いていなかったんだと思います」
 そして、こう続けた。
「でも、その一打席のおかげでそれ以降、打席での粘り強さが増したと思います。特に2死の場面では、ヒットでも四球でも、何でもいいからとにかく出塁しようと思うようになりました」

 チームとしてもまた、その敗戦は成長の糧となった。約1カ月後に行なわれた春の四国大会準決勝、徳島代表の城東高校戦、高知は初回に2点を先制したものの、その後すぐに逆転され、3回を終えた時点では5−2と劣勢に立たされていた。まるでセンバツでの関西戦のような展開に、悔しい思いをしたあの一戦を思い出した選手も少なくはなかった。しかし、その時とはベンチのムードは違っていた。選手たちは皆、再逆転に向けて闘志を燃やしていた。すると4回表、見事な集中打で3点を挙げて同点にすると、終盤に勝ち越した。投手陣も4回以降、しっかりとゼロに抑えてみせた。結果は7−5で高知の勝利。チームにとって、これが公式戦初の逆転勝利だった。

 大きな自信を得た高知は、その夏の県大会も制し、再び甲子園に出場した。しかし、初戦の楊志館(大分)高校に6−4と春と同じく競り負けた。最後の打者はまたも高木だった。高木はファウルで粘ったものの、最後は143キロのストレートに差し込まれ、内野ゴロに倒れた。

「野球を辞めようかな……」
 試合後、宿舎に戻った高木は、そんな気持ちになっていた。甲子園に棲む魔物のイタズラなのか、2度も最後の打者となった高木はレギュラーで唯一2年生ということもあったのだろう、先輩たちへの申し訳なさに自らの野球人生に終止符を打とうとしたのだ。
「春、夏と甲子園に出場できましたし、達成感もあったんです。それで、もう辞めてもいいんじゃないかって……」
 その数時間後、野球を続けなければならない事態が起こることなど、その時は予想だにしていなかった。

(最終回につづく)

高木悠貴(たかぎ・はるき)
1990年10月5日、高知県高知市生まれ。小学生で野球を始め、中学からは内野手として活躍。高知高校では1年秋からレギュラーとなり、2年春・夏、3年夏と3度、甲子園に出場した。卒業後、法政大学へ進学。1年秋に右肩を故障し、長いリハビリ生活を経て、3年秋にリーグ戦デビュー。今年の春季リーグ戦ではチームトップの打率3割1分4厘をマークした。









(斎藤寿子)
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