「醒新一到」と書いて「せいしんいっとう」と読むそうだ。もちろん、これは「精神一到」をアレンジした造語である。
 ロンドン五輪での男子柔道金メダルゼロを受け、昨年11月、全日本男子監督に就任した井上康生が今年のモットーを披露した。

「困難に立ち向かっていきながら成功へと努力していく思いでつくった」
 青年監督の日本柔道復活にかける思いが、ひしひしと伝わってくる。

 井上康生と言えば、シドニー五輪100キロ級でのオール一本勝ちによる金メダルがすぐに思い浮かぶ。
 表彰台では1年3カ月前に他界した母・かず子さんの遺影を高々と掲げて涙を誘った。

「母が亡くなった99年は大スランプの時期でした。試合で一本負けするは、初戦敗退するはで全く調子が上がらなかった。ところが母が亡くなって以降は、自分の中で何かがガラッとかわった。その直後の世界柔道で優勝し、五輪でも金メダルを獲れたのは、母が自分の命と引き換えに私に力をくれたのではないかと思っています」

 康生が殊勝な気持ちでそう語ったのは、もう随分前のことだ。

 ロンドン五輪にはコーチとして首脳陣入りした。五輪前、選手とコーチの違いについて訊くと、こんな答えが返ってきた。
「ひとつ変わったことがあるとすれば、選手の時は自分自身のことしか考えていませんでしたが、コーチになったら、いかに選手たちとをいい状態で畳に上げるか、全体に気を配るようになりました」

 早くから「将来の代表監督」と見られていた。実績はもちろん人柄も申し分ない。引退後は見聞を広めるため、2年間の英国生活も経験した。

 お家芸の復活には、何が必要か。コーチ時代、彼はこう力説していた。
「最終的には原点に帰ることでしょうね。もっともっと基本を見直す必要がある。組み手ひとつとってもそうです。たとえば重量級だと国内ではあまり大きな選手がいないので、組み止めさえすれば、まず負けない。だから勝つことだけを優先して、すぐに相手の両襟を持ってしまうんです。

 でも、そんなラクな柔道をしていたのでは、大学・社会人までくると、もう応用は効きません。国際大会になると、なおさらです。世界にはもっと大きな選手がいますから……。

 となると奥襟の持ち方からして、もう一度、基本をしっかり見直さなくてはならない。どこを持てば力が入るか、どう持てば自分の手首が自由に使えるのか……。基本への取り組みが考える力を育てることにもつながるのです」

 コーチから監督に昇格したからといって、この考えが変わることはないだろう。いや、さらにブラッシュアップされていくものと思われる。

「私には私のやり方がある。信念を貫いてやっていく」

 その意気や良し、である。
 康生ジャパンの船出を見守りたい。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年1月27日号に掲載されたものです>

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