2011年秋、石橋良太はそれまで抱いていたモヤモヤ感がなくなっていくのを感じていた。投手として生きる覚悟を決め、気持ちを切り替えて本気で取り組んでいこうと腹を据えたのである。石橋は、高校2年まで内野手として活躍し、甲子園にも出場した。拓殖大学入学後も自らは内野手としてやっていくつもりだった。だが1年春、打率1割台と不振にあえいだ石橋は高校3年時にエースとして活躍したピッチングを買われ、投手に転向した。だが、内心では野手としての道を捨て切れずにいた。そんな中途半端な気持ちを払拭させたのが、中央大学との1部・2部入れ替え戦だった。
「それまで一度も経験したことがないくらい、メチャクチャ緊張しました」
 石橋がマウンドを踏んだのは、1回戦の9回表だった。拓大は、6回まで前年に興南高校を春夏連続優勝に導き、鳴り物入りで入った中央大1年の島袋洋奨から得点を奪えず、0−3と3点ビハインドを負っていた。しかし、7回裏に現在北海道日本ハムで活躍する鍵谷陽平から1点、さらに8回裏には2点を挙げて同点とした。そのまま9回に入り、3番手として登板したのが石橋だった。

 結果的には、延長13回まで中大打線を無失点に封じ、サヨナラ勝ちを呼び込む好リリーフを演じた。勝ち投手となったばかりか、この試合で、それまでの自己最速を3キロも上回る149キロをマークするというおまけつきだった。だが、本人いわく「実力以上の力が出た」というこのピッチングが、その後に大きく響いてしまったのである。

 1部昇格、そしてプロへ

 翌日の2戦目で石橋は一度もマウンドには上がらなかった。それは、「投げなかった」のではなく、「投げられなかった」のだという。
「入れ替え戦は緊張のあまり、なんだかフワフワした感じだったんです。特に1戦目は興奮状態を抑えきれなかったというか……。だからこそ、自分の実力以上の力が出たんだと思います。でも、張り切り過ぎて後先考えずに投げた結果、翌日には全く肩が上がらなかった。5回を投げたくらいで、そんなことは今まで一度もなかったのに……」
 2戦目、拓大は接戦の末に2−4で敗れ、勝負の行方は最終戦へともつれこんだ。

 迎えた3戦目、拓大の先発マウンドに上がったのは石橋だった。「2戦目に投げていなかったので、予想はしていた」という石橋だったが、立ち上がりから精彩を欠き、初回に2点を失うと、2回にも集中打を浴び、ひとつもアウトを取れないまま降板してしまったのだ。結果は1回0/3、5安打4失点。その後、味方打線が奮起したものの、試合をひっくり返すことはできず、5−7で敗れた。あと一歩のところで、拓大は悲願に手が届かなかった。

「申し訳ないという気持ちしかありませんでした」
 石橋は当時をそう振り返った。だが、この時の敗戦こそが、石橋を本気にさせたのである。
「気持ちをきちんと切り替えて、ピッチャーとして頑張っていこうと決めました。それまでは何かにつけて『野手に戻りたい』ということを言い訳にしていたところがありました。でも、もうそういう気持ちは捨てようと思ったんです」
 その後、拓大のグラウンドには200球以上の投げ込みをするなど、明らかにそれまでとは違う石橋の姿が見られるようになった。

 石橋はこの時、こんな言葉も口にしている。
「1部に行って人生を変えたい」
 果たして、これは何を意味するものなのか。
「プロを意識して出た言葉でした。それまでプロは『行ければいいなぁ』くらいにしか思っていなかったんです。高校時代も監督から『オマエはプロに行こうと考えてやっているわけではないんだろう』と言われたことがありましたが、その通りでした。でも、今は違います。『絶対に行きたい』と思っています」
 石橋にとって、プロはもう“夢”ではなく、“目標”となっている。

(第2回につづく)

石橋良太(いしばし・りょうた)
1991年6月6日、大阪府生まれ。小学1年から野球を始め、長曽根ストロングスでは小学5、6年時に全国大会で優勝。中学時代は浜寺ボーイズで2、3年時に全国大会に出場した。明徳義塾高校では1年秋からレギュラーを獲得し、「1番・セカンド」で県、四国大会で優勝および明治神宮大会ベスト4進出に貢献した。翌春には選抜高校野球大会に出場し、2回戦の中京大中京戦では先制打およびサヨナラ打を放つ活躍をした。2年秋からは主将およびエースとなり、チームを牽引。翌春は四国大会で優勝するも、夏は県大会決勝で高知高に1点差で敗れた。10年、東都リーグ2部の拓殖大学に進学し、1年秋からは投手に専念する。2年秋に優勝するも、入れ替え戦で中央大に敗れた。主にロングリリーバーとして活躍し、1年秋(1.57)、2年秋(0.74)、3年秋(0.70)と3度、最優秀防御率をマークしている。通算成績は44試合に登板し、12勝14敗、防御率2.22。身長172センチ、68キロ。右投左打。



(斎藤寿子)
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