二宮: 1993年にスタートしたJリーグは今月15日で開幕20周年を迎えました。国立競技場でのヴェルディ川崎(現東京V)対横浜マリノス(現横浜FM)の開幕戦は、6万人の大観衆。私は現地で取材していましたが、あの熱狂は今でも忘れません。福田さんはあの開幕戦を見て、どんなことを感じられましたか?
福田: 僕は次の日にガンバ大阪との試合が控えていたのでテレビで見ていたのですが、「すごいな。ついに始まるんだ」という喜びを感じました。開幕戦は「何としてでも勝ちたい」という気持ちでプレーしたんですが、残念ながら0−1で負けてしまいました。

 オチがついた初ゴール

二宮: 当初、浦和はなかなか調子が上がりませんでした。福田さんへの風当たりも強かった……。
福田: もう……自分のなかで、どう消化していいかわからないようなプレッシャーでした。チームも僕自身もパフォーマンスがよくないから、すごく苦しい時期でしたね。

二宮: 当時は90分で決着がつかない場合は?ゴール方式の延長戦があり、それでも決着がつかない時はPK戦を行って必ず勝ち負けをつける仕組みでした。
福田: ですから、93年の浦和の戦績はほとんど負けです(苦笑)。ファースト、セカンドステージ合わせて10勝もできていない。試合をすれば負けて、自信を失っていく。何とか状況を打破しようと無理をしてケガをする、という負のスパイラルでしたね。実際、僕はファーストステージ中に初めて肉離れを起こしました。やはり、精神的、肉体的な疲れで相当追い込まれていたと思いますね。

二宮: そんななか、第8節の鹿島アントラーズ戦でJ初ゴールを記録しました。
福田: あのゴールは印象に残っていますね。相手は強豪・鹿島でしたし、自分で言うのもなんですが、いいシュートでした。ただ、その後にオチもついているんです。ゴール後にベンチまで走っていって仲間と喜んでいる間に、鹿島に試合を再開されて、同点ゴールを決められました(苦笑)。

二宮: 覚えています(笑)。
福田: 自陣に全員が戻るとキックオフが認められるというルールをあの時に初めて認識しました。でも、レフェリーも少し待ってくれてもいいと思いましたが(笑)。

二宮: 確か、ジーコが「やれ」と指示したんじゃなかったでしょうか?
福田: そうでしたね。始めても普通は入らないものなんですよ。それがゴールにつなげられてしまうのは、その時の鹿島と浦和の勢いの差もあったんでしょうね。

 世界基準のパスからゴール量産

二宮: 低迷が続いた浦和ですが、ホルガー・オジェックが監督に就任した95年は年間4位にまで躍進します。
福田: オジェックさんが監督になって、チームも個人もサッカーが整理されました。僕の場合は、役割を明確に求められましたね。もともと、僕は高校時代からストライカーでした。それがオフトジャパン入りしてから、チャンスメーカーの役割もするようになった。僕自身もそういう役割のほうが合っているのかなと思っていたんですが、オジェックさんに「点を取るのがキミの役割だ。その上で、キャプテンとしての仕事もしてくれ」と言われたんです。オフトジャパンの時もそうでしたが、役割が明確になったことで洗練されたプレーができるようになりましたね。

二宮: それが同年の日本人初の得点王につながるわけですね。
福田: そうですね。あとはパートナーを組んだウーベ・バインの存在も大きかった。キャンプ中に「オマエがパスをもらいたいのは足元とスペース、どっちだ?」「足元は得意じゃないから、スペースに出してくれ」と少し話したくらいでしたが、彼とのコンビネーションでゴールを量産できました。

二宮: バインは西ドイツ代表が90年のイタリアW杯を制した時のメンバーです。パスを出すタイミングが独特でしたね。
福田: パスのタイミングがすごく早いんです。彼は相手に読まれていても通るタイミングでパスを出してくる。通った時にはゴールに直結するようなコースをいつも狙っていました。その動きだしのタイミングが初めは全然つかめなくて、もうまったく息が合わなかったんです。でもバインはタイミングを変えないので、次第に僕が順応していった感じですね。逆に、バインのタイミングに合ってしまうと、彼がいなくなった後が大変でした。僕の動き出しが早すぎて、味方からのパスが全部オフサイドになってしまう。

二宮: バインのタイミングが世界基準ということでしょうね。98年に浦和に入団した小野伸二もパスセンスに定評がありましたが、彼との違いは?
福田: 伸二とバインのタイミングは若干違いました。伸二はどちらかというと、確実に通るタイミングとコースを選択するんです。対してバインはチャレンジの連続。相手が嫌がるコースにどんどんパスを入れてくる。奪われるかもしれないというリスクを承知でパスを出すのが、バインでした。その意味では一番、息が合った選手でしたね。彼はドイツ時代にも、アシストでチームのFWを得点王に導いています。僕の才能を開花させてくれたのはバインだと思っています。

二宮: FWを育てる選手だったということですね。ほかに印象に残っている外国人選手は?
福田: エメルソンですね。僕が2002年に引退を決意したきっかけが彼なんです。一緒にプレーした時に、「自分はもうFWはやっちゃいけないな」と思ったくらい衝撃を受けました。

二宮: それはやはり、爆発的なスピード?
福田: そのとおりです。地面をグッとスパイクでつかんで、蹴りだした時に芝生がガッと剥けるんですよ。その1歩目を見て、みんなで「馬みたいだな」と驚いたものです(笑)。そのぐらい地面を強く蹴る力があるから、あの爆発するようなスピードを出せるんでしょうね。普通の選手は芝生が剥けることはないですから。

二宮: あのスピードに乗ったプレーは誰も止められませんでしたよね。
福田: あとエメルソンは技術もあるからスペースが狭いところでもプレーができるんです。シュートのバリエーションも豊富で、ゴールから距離があればパワーシュート、GKと1対1になった時はコントロールシュートというように、柔と剛を使い分けていました。ですから、あれほどの選手が代表に入れないブラジルという国は本当にすごいなと改めて思いましたね。

 世界で一番悲しいVゴール

二宮: さて、福田さんと言えば、99年に浦和のJ2降格が決まった試合での“世界で一番悲しいVゴール”が語り草です。同年は初めて2ディヴィジョン制が導入されたシーズンでした。
福田: そういうルールになって、まさか浦和が降格するとは誰も思っていませんでした。というのも、前年に原博美さんが監督になって、セカンドステージで3位に食い込み、「来年は優勝だ」と僕らも周囲も飛躍を期待していたんです。ところが、99年はケガ人が続出し、思うようなサッカーができなかった。

二宮: 結局、ファーストステージは13位。チームは原さんを解任し、セカンドステージからオランダ人のア・デモスを招聘しましたが、これもうまくいきませんでした。
福田: セカンドステージ開幕4連敗、さらに第6節から4試合連続延長Vゴール負けを喫しましたからね……。たらればになってしまいますが、現在のように90分間での引き分け制であれば、おそらく残留できていたと思います。勝ち点が伸びず、結局は得失点差わずか1での降格でした。

二宮: 最終節のサンフレッチェ広島戦で、浦和は90分間で勝利すれば残留という条件でした。福田さんはベンチスタートでしたが、何か理由が?
福田: 広島の守備陣にはオーストラリア人の長身選手がいて、フィジカルも強かった。ア・デモスにしてみると、「フィジカルが強い選手に福田は向いていない」という判断だったんだと思います。

二宮: 福田さんは最終節までにチーム最多の12ゴールを挙げていたにもかかわらず、ですか?
福田: ですから、かなりショックでしたね。チームメートにとっても驚きだったようです。試合前のミーティングでスタメンが発表され、それから移動するためにバスに乗り込むと、先に座っていたチキ・ベギリスタインに「フクダ、ケガしてるのか? なんで先発メンバーじゃないんだ?」と質問されたんです。「いや、ケガはしていない」と返すと、「このチームで一番点を取っているのはオマエだろう。誰が点を取って勝つんだ?」と言われたことは今でも忘れませんね。最終節はホームの駒場スタジアムでしたから、サポーターも僕が先発で出ないことに対して驚いたんじゃないでしょうか。

二宮: 結局、出番が回ってきたのは1−1で迎えた後半36分でした。
福田: なおかつ、僕の前にはFW2人が投入され、僕は最後のカードとしてピッチに送られたんです。FWの選択肢として僕は一番最後だった。ピッチに出て行く時に、他会場の結果からもう勝たないとダメだということはわかっていたので、必死にプレーしました。ただ、監督に対しての怒りを抱いてもいましたね。「なんでオレは信頼されていないんだ」と。このチームを引っ張ってきたという自負もありましたから……。延長戦ではとにかく試合を終わらせたいという気持ちと、監督に「自分の力を証明して見返したい」という怒りを抱えてプレーしていました。

二宮: さまざまな思いを抱いた中での?ゴールだったわけですね。試合後、“ドーハ組”の森保一が福田さんに歩み寄り、言葉をかけていましたね。
福田: 「来年上がってくればいいじゃないですか」と言われました。ドーハの悲劇を経験した戦友からそう言われた瞬間、胸にジーンときて、涙が止まらなくなりましたね。ただ、冷静に考えてみて「だったら手を抜けよ」と(笑)。広島は優勝争いも降格争いもしていなかった。ドーハの時のイラクと同じで、勝っても負けても彼らの順位に大差はないのに、非常に高いモチベーションで挑んできたんです(苦笑)。

二宮: アッハッハッハッ。
福田: まあ、今となっては笑い話ですけどね(笑)。

 今季の浦和は優勝に値するチーム

二宮: その森保さんが昨季、監督として広島を優勝に導きました。感じるところはありましたか?
福田: 嬉しかったです。森保のような誠実で謙虚な人間が成功を収めてくれて本当によかったですね。

二宮: 福田さんも現場への思いが湧き上がってきたのでは?
福田: やりたいなとは思います。優勝した時や何かを達成した時の監督を見ると特にそうですね。山本昌邦さんがアテネ五輪出場を決めた時も印象的でした。

二宮: UAEラウンドで多くの選手が体調を崩した影響で、日本ラウンドでも苦しみ、国立競技場で行われた最終戦で出場権を獲得した。試合後の挨拶では涙を流していましたね。
福田: その時の山本さんの喜び様、スタジアムの雰囲気を見た時に、「ああ、監督っていいな」と素直に思いました。苦しいけど、そういう達成感があるんだな、と。現役を引退すると、なかなか達成感は得られなくなるもの。ですから、そういう勝った負けたでしびれるような世界にもう一度身を置いて、切磋琢磨して成長していきたいという思いは強いですね。

二宮: そんな福田さんから見て、古巣・浦和レッズの今季の戦いぶりはどうですか?
福田: やっているサッカーの内容を見ていて、優勝に値するチームだと思いますね。

二宮: 具体的には?
福田: 守備が改善されているんです。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が指揮していた広島と昨季の浦和のサッカーは、攻撃面は素晴らしかったのですが、守備が安定していませんでした。ただ、今の浦和はボールを持っている時も持っていない時も守りの意識を緩めず、常に主導権を握るサッカーができている。正直、ペトロヴィッチ監督がここまで攻守にバランスのとれたチームづくりができるとは思っていませんでした。

二宮: 加えて、森脇良太や興梠慎三ら、代表クラスの新戦力を獲得できたことも大きかったのでは?
福田: 昨季、欠けていたポジションに選手を補強できました。攻守に優れた能力を持つ森脇と決定力のある興梠。彼らがしっかりハマっていると思います。また、森脇や興梠らは前所属先と契約を満了してからの獲得ですから、移籍金はかかっていない。そういう意味でも、非常に的確な補強ができたのではないでしょうか。

二宮: 優勝への準備は整っているということですね。
福田: ぜひ優勝してもらいたいですね。ただ、ひとつ問題もあります。ペトロヴィッチ監督はリスクを冒すサッカーを志向しています。しかし、勝たないといけないという心理が働いた時に、積極性が失われ、自分たちのサッカーができない傾向があるんです。第7節の大宮アルディージャとのダービーがわかりやすいでしょうか。最終ラインの選手があまり攻撃参加していませんでしたからね。どんな状況でも積極性を維持できるかが、7年ぶりのリーグ優勝のカギになってくると見ています。

二宮: 最後に、そば焼酎「雲海」のソーダ割りの感想をいただけますか?
福田: あっさりしていて口当たりもよく飲みやすい。ソーダで割るという飲み方が初めてだったので、非常に新鮮でした。これから暑くなってきますし、この爽やかさはおススメですね。

二宮: 随分、口も滑らかでしたよ(笑)。
福田: あっという間でしたね。ソーダ割りのおかげかもしれませんね(笑)。

(おわり)

<福田正博(ふくだ・まさひろ)プロフィール>
1966年12月27日、神奈川県生まれ。中央大―三菱重工/浦和。89年、三菱入りし、同年のJSL2部リーグで得点王となる活躍で1部昇格に貢献。95年には50試合32ゴールを挙げ、日本人初の得点王に輝く。02年の引退まで浦和一筋でプレーし、“ミスターレッズ”として多くのファン、サポーターに愛されている。日本代表には90年から選ばれ、主力として92年アジアカップ初優勝。93年にはW杯米国大会予選の“ドーハの悲劇”を経験した。現役引退後はJFAアンバサダーに就任し、全国各地で幅広いサッカーの普及活動をサポート。06年、JFA公認S級ライセンスを取得。08年から3シーズン、浦和のコーチを務めた。現在はサッカー解説者としてメディアで活動している。J1通算216試合、91得点。J2通算12試合、2得点。国際Aマッチ通算45試合、9得点。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

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提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
やきとんに焼酎 路地
〜新宿路地裏にひっそりたたずむ一軒家〜
 広大な敷地、美しい湧水のもとで生まれ育った、岩手県花巻産「白金豚」。甘みのある脂とコクのある味わいの、この極上の豚を、備長炭で焼き上げた元祖高級やきとん屋。そのやきとんとともに、お気に入りが必ず見つかる「本格焼酎」を100種類以上取り揃え。こだわりの食材をシンプルに仕上げた自慢の料理をぜひともご堪能ください。

東京都新宿区新宿3-17-17
TEL:03-3352-0080
営業時間:
月〜金 17:00〜24:00
土   16:00〜24:00  
日祝  16:00〜23:00
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 今回、福田正博さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:鈴木友多)
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