バレーボールでセッターを務める選手は、自身の指示やプレーで試合の流れをコントロールし、チームを勝利に導く役割から“司令塔”と呼ばれる。ただ、それゆえに負けた時は戦犯として矢面に立たされることも少なくない。?・プレミアリーグのFC東京でセッターを務める山岡祐也は今季、そんなセッターとしての責任を感じ続けた。
「苦しいシーズンでしたね……」
 山岡は今シーズンを重い口調でこう振り返った。今季のFC東京はレギュラーシーズンで7位となり、2部に相当するV・チャレンジリーグのつくばユナイテッドSunGAIAとのチャレンジマッチ(入れ替え戦)の末にプレミア残留を決めた。また、彼自身も開幕直前に右足ふくらはぎを肉離れした影響で、シーズンを通してコートに立てなかった悔しさを感じていた。

 FC東京は11−12シーズンを過去最高の5位で終えていたことから、今季は「初のセミファイナルラウンド(レギュラーシーズン上位4チームが進出)」を目標にしていた。だが、思うように勝ち星を上げられず、3レグ(レグは7試合を一区切りにした単位。全部で4レグに分けられる)から4レグにかけて7連敗を喫したこともあった。山岡は「上位に行くと意気込んで臨んだ上での連敗でしたから、ショックが大きかった」と当時のチーム状況を明かした。そして、積み重なっていく黒星は、チームの司令塔としての責任を感じる山岡から、バレーを楽しむ感情を奪っていった。

「セッターはチームをコントロールするポジションです。負けが続くと、やはり楽しいという気持ちは薄れていきましたね。4レグに入ってからは“楽しくないのなら、バレーをやめて社業に専念したほうがいいんじゃないか”と考えるようになっていました。今だから言えますけど、体育館に行くのも嫌でした(苦笑)。嫌々バレーをやっているという感じでしたね……」

 自分ではどう対処していいかわからない悩みをFC東京の坂本将康監督にも相談した。
「コートにはアタッカーが5人いますが、セッターはひとりしかいない。ですから、アタックが決まらない時の責任を背負いこんでしまうことが多いんです」
 指揮官には山岡の気持ちが痛いほど理解できた。実は坂本監督も現役時代はセッターを務めていたのだ。だからこそ、山岡が「僕のせいで負けています。後ろ向きな気持ちを抱いているメンバーがいるとチームの雰囲気が悪くなる。いっそのこと、自分を外してください」とベンチ外を志願してきた時も「考えすぎるな。メンバーから外して、それでお前は何か変わるのか?」と諭した。指揮官の山岡に対する信頼は揺らいでいなかったのだ。監督からの信頼、応援してくれる人たちへの思いで、山岡はモチベーションをなんとかつないでいった。結果、チームは残念ながらリーグ7位となり、チャレンジマッチへの参加が確定した。しかし、その時点で山岡の中のバレーに対する“嫌な”気持ちは完全に消えていた。

 絶体絶命からの大逆転

「チャレンジリーグに落ちたくない一心でしたね」
 山岡は当時の心境をこう振り返る。というのも、FC東京は09−10シーズンにプレミア昇格を果たすまで、チャレンジリーグで戦っていた。山岡も入団1年目はチャレンジリーグを経験していた。プレミア昇格後は観客数がチャレンジリーグの500人前後から1500人前後に激増。会社ではより練習に多く時間を割ける勤務体制に変わった。「降格すれば、それらの恵まれた環境がガラッと変わってしまう」――絶対に負けられないという強い決意を持って、山岡はチャレンジマッチに臨んだ。
(写真:ⒸF.C.TOKYO)

 迎えたつくばユナイテッドとの第1戦(4月6日)は、レギュラーシーズン同様、苦しい戦いとなった。試合はつくばペースで進み、FC東京は第1、第2セットを連取された。FC東京はレギュラーシーズンにおいて、2セットを先取された試合は14戦全敗。当然、第2セットを落とした後、FC東京サイドには重苦しい空気が流れた。だが、山岡は「なぜかわからないですが、2セットを連取されても、『勝てる』という感覚があった」という。

 果たしてFC東京は続く第3セットを奪取して踏みとどまると、第4、最終セットを連取して大逆転勝利を収めた。山岡はセッターとして攻撃の組み立てのみならず、ブロックでポイントを挙げるなど、逆転に貢献。逆転できた理由については「もう意地としか言いようがないかもしれないですね」と笑った。

 続く第2戦(4月7日)はセットカウント3−1でつくばユナイテッドを下し、プレミア残留を決めた。「はぁ、終わった」。試合終了の瞬間、山岡は一気に力が抜けたという。喜びよりもホッとする気持ちのほうが大きかった。チャレンジマッチではひとつひとつのプレーに一喜一憂し、以前のようにバレーを楽しんでいる山岡の姿がコートにあった。

 苦境が成長の機会に

「第1戦でリードされても追いついて逆転できたところは、少しは成長したのかなと感じます。この粘り強さは来季につながるんじゃないかなと」
 山岡は苦しいシーズンで得た数少ないチームの手応えを挙げた。また、彼自身も確かな収穫を手にしていた。

「今までにない経験がたくさんできました」
 こう語る27歳のセッターが得た経験のなかで、特に大きかったのがメンタル面のコントロールだ。「セッターは肉体的にも精神的にもチームで一番タフじゃないと務まらない」と考えている。坂本監督も「技術だけでなく精神的なコントロール方法を身に付けることも、いいセッターになっていく条件」と語っている。山岡にとって、バレーをするのが嫌になるほどの苦境に追い込まれたことが、成長を促す機会となったに違いない。

 そんな山岡は来季に向けてどのような目標を設定しているのか。

「チャレンジマッチは絶対に経験したくないですね。来季こそは “4強”を目指したいと考えています」
 レギュラーシーズンで4位以上に入れば、セミファイナルラウンドに進出できる。FC東京の最高成績は11−12シーズンの5位。あと1歩のところまで行ったが、山岡は今季の戦いも踏まえて「4強に入るのは並大抵のことじゃない。個人としてもチームとしてもすべての部分でレベルアップしないといけない」と気を引き締めた。

 チームとしても個人としても、決して充実したシーズンではなかった。しかし、次につなげられる収穫はあった。来季はそれを糧に、山岡は司令塔として、チームとサポーターを未知の領域へと導く。

(第2回へつづく)

山岡祐也(やまおか・ゆうや)プロフィール>
1985年5月17日、高知県生まれ。高知高―順大―FC東京。小学校1年時にバレーを始める。小学校から高校まではアタッカーとしてプレーし、多くの全国大会を経験。高校2年時にはインターハイでベスト16入りを果たした。順天堂大に進学後、現在のポジションであるセッターに転向。大学3年時の東日本インカレでベストセッター賞を受賞した。大学卒業後、FC東京へ入団。2年目からレギュラーとしてプレー。速いトス回しで攻撃を組み立て、高いレシーブ力で守備での貢献も光る。身長176センチ、体重68キロ。背番号10。



(鈴木友多)


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