「みなさん、ありがとぉー」
 チーム最年長の遠藤保仁の甲高い声が、2度、埼玉スタジアム2002の夜空に響き渡った。

 6月4日、サッカー日本代表がオーストラリア代表と土壇場で引き分け、5大会連続となるブラジルW杯出場を決めた直後のインタビューでのひとコマ。

 それにしても苦しい試合だった。引き分けでもブラジル行きが決まるこの試合、日本は序盤から積極的に攻めた。しかし相手GKマーク・シュウォーツァーのファインセーブもあり、再三のチャンスを逃し続けた。
 0−0のまま時計は進み、そのまま試合を終えるのかと思われた後半36分、トミー・オアーのクロスがゴール右上隅に吸い込まれた。事故のような失点だった。

 窮地を救ったのは本田圭佑だった。終了間際、香川真司へのクロスがペナルティエリア内で相手DFマシュー・マッケイのハンドを誘い、ど真ん中にPKを蹴り込んだ。
「このチームは本田のチームだな」
 改めて、そんな印象を強くした。

 日本の攻撃は本田が起点となり、香川らがからむことでゴールへの道筋が見えてくる。本田がタメをつくることで裏を突くのが容易になるのだ。

 チームが前がかりとなった時、バランサーとして絶妙の位置にいるのがボランチの遠藤だ。サッカーにおける地政学上の要衝を、彼は知り尽くしている。
 国際Aマッチ出場129試合は日本では歴代最多。経験を重ねることで、彼のプレーは、さらに深みを増しつつある。

 そんな遠藤に対し、代表監督のアルベルト・ザッケローニは「ピッチのどこにいても慌てることがない」と全幅の信頼を寄せる。
 本田も11年のアジア杯でMVPに輝いた際、「MVPは個人的にはヤット(遠藤)さん。代えの利かない選手。いなかったら優勝できなかったと思う」と称えていた。

 言わずと知れたフリーキックの名手。南アフリカW杯のデンマーク代表戦では低い弾道でゴール右隅に突き刺した。本人は「相手は本田が蹴ることを想定して壁をつくっていたので、僕にとっては蹴りやすかった。まぁ、あれは練習で10本蹴っても1本しか入らないキック」と語っていた。

 天性のキックセンスは生まれ故郷の鹿児島・桜島で磨かれた。通学路には大小さまざまな溶岩が転がっていた。それを蹴りながら登下校していたというのだ。
 遠藤いわく――「かたちによって転がり方が違うんです。どうすれば真っすぐ蹴れるか。回転を与えたり、アウトにかけたり、あれこれ工夫しました。キックの微調整が下手ではないのは、子供の頃、たくさん石ころを蹴ってきたおかげかな」

 遊び心が探究心を育み、それが名人芸のフリーキックにつながったのである。

 所属するガンバ大阪はJ2に降格し、今季は1年でのJ1復帰が遠藤の使命になっている。そして、来年の夏は自身にとって3回目のW杯。戦士の休息は、まだまだ訪れそうにない。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年6月23日号に掲載されたものです>

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