「中田(学)さんと同じチームに行きたくて、学生時代はFC東京からの誘いを2度も断っていたんです」
 山岡祐也は、当時の状況を苦笑しながら振り返った。しかし、目指したチームとは縁がなかった。他の就職先は探していなかった彼の中に「教員免許もあるし、高知に帰ろうかな……」という思いがちらつき始めた。そんな時、FC東京から3度目の誘いを受けた。「3度も誘ってくれるところはない。もう少し、バレーをやろうと思いました」。2008年7月、こうして山岡は当時?・チャレンジリーグに所属していたFC東京に入団した。
(写真:ⒸF.C.TOKYO)
 越えなければいけない壁

 山岡は練習試合などでスタメンセッターを張ることもあったが、FC東京には山内隆宏という正セッターがいた。06年の?1リーグ(現チャレンジリーグ)で新人賞に輝いた実績を持つ不動のレギュラーだ。山岡はまず、山内から正セッターのポジションを勝ち取る必要があったが、なかなか壁は高く、迎えた08−09シーズンのレギュラーリーグ開幕戦(09年1月10日、対きんでん)はベンチスタートとなった。

 ところが、である。ルーキーの出番は、思いがけないかたちで巡ってきた。その開幕戦で山内が第2セット途中に負傷したのだ。

「とにかく緊張したのは覚えているのですが(笑)、プレーの内容はあまり記憶にないんですよ」
 山岡はスクランブルでデビューした瞬間をこう振り返ったが、実際は落ち着いたトスワークを披露し、ストレート勝ちに貢献した。次の試合から、山岡は8戦連続でスタメン出場を果たし、チームも7勝1敗と好調だった。しかし、山内が完全復調して迎えた第10節(同年2月21日、対つくばユナイテッドSun GAIA)から、山岡は再びベンチに回った。

 FC東京は同シーズンのチャレンジマッチ(入れ替え戦)を制し、悲願のプレミアリーグ昇格を果たしだが、大分三好ヴァイセアドラーとの入れ替え戦でも山岡に出場機会は巡ってこなかった。山内がスタメンに復帰した第10節から入れ替え戦までの11試合で出場したのはわずか1試合。山岡は自らの状況をこう悟った。
「山内さんを越えない限り、このチームで試合には出られない」
山内から正セッターのポジションを勝ち取る。これが山岡の入団2年目の目標となった。

 楽しむためのサイクル

 なんとかして試合に出たいと思った山岡は、「いかにアタッカーに信頼されるセッターになるか」をテーマに掲げ、練習や試合に臨んだ。
「いくら質のいいトスを上げても、アタッカーに『アイツのトスは打ちたくない』と思われたらどうしようもない。ですから、その逆で『アイツのトスだったら打ってやろう』と思われるようになりたかったんです」

 山岡はアタッカーとのコミュニケーションを徹底した。その選手が絶対にトスを回してほしい勝負所はどこなのか、アタッカーの心理を丁寧に理解しようとしたのだ。その成果もあり、次第に自身の特徴である速いトス回しがチームに機能するようになっていった。

 また、山岡にとってプラスとなったのが、2年目から坂本康将監督が指揮を執るようになったことだ。坂本はチームづくりを進めるにあたり、レシーブ力の高いセッターを求めていた。
「フェイントボールや、ワンタッチに強いセッターですね。また?リーグでは、ライトからクロスに打ってくるかたちが多い。山岡はレシーブ力が高く、それらを拾うことに山内より長けていました」
 
 高校時代に全国私学高校選抜の上海遠征でリベロを務めたことでもわかるとおり、山岡は守備力に定評がある。本人も「得意なのはトスよりもレシーブ(笑)。リベロにも負けないという自信があります」と語るほどだ。守備力の高いセッターを求める指揮官にとって、山岡はピタリと合うピースだったのだ。

 2年目はリーグ戦全28試合で出場機会を得ると、3年目も22試合(24試合中)、4年目は全21試合に出場した。5年目となった昨季も、28試合中27試合に出場し、正セッターの座を不動にしつつある。坂本は山岡の成長をこう語る。
「最初の頃は『どうしたらいいんだろう』と精神的に余裕がなかったように思います。しかし、今は落ち着きが出てきたんじゃないでしょうか。トスの選択もぶれないようになりましたしね。ゲーム中の安定感の部分は成長していると感じます」
(写真:ⒸF.C.TOKYO)

 その上で、指揮官は課題もこう指摘した。
「まだ体が弱く、体幹がぶれるためにパス(レシーブ)がネット際にきた時に、届くはずのボールでもトスにできないことがある。パスが乱れても確実に攻撃のかたちを整えられるセッターになってほしいですね」

 そんな山岡は今季、「楽しむ」ことにこだわるという。
「楽しくないとバレーをやっている意味もないですし、セッターの自分が楽しいと感じる時はチームもうまく回っている証拠だと思うんです。楽しくプレーするためには試合に勝たないといけない。勝つためにはしっかり練習する。そのサイクルが重要ですね」
 
 大学時代にセッターに転向して、今年で9年目を迎える。彼にとって、セッターの醍醐味とは何なのか?
「相手のリズムを崩すことです。バレーは“リズムのスポーツ”といわれます。味方をいいリズムで動かすことはもちろんですが、自分のトスワークで相手のリズムを崩せた時はそれ以上に『やったな』と感じますね」

 果たして、これから山岡は何度、セッターの醍醐味を味わえるのか。その答えはコートにある。

(おわり)

山岡祐也(やまおか・ゆうや)プロフィール>
1985年5月17日、高知県生まれ。高知高―順大―FC東京。小学校1年時にバレーを始める。小学校から高校まではアタッカーとしてプレーし、多くの全国大会を経験。高校2年時にはインターハイでベスト16入りを果たした。順天堂大に進学後、現在のポジションであるセッターに転向。大学3年時の東日本インカレでベストセッター賞を受賞した。大学卒業後、FC東京へ入団。2年目からレギュラーとしてプレー。速いトス回しで攻撃を組み立て、高いレシーブ力で守備での貢献も光る。身長176センチ、体重68キロ。背番号10。

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(鈴木友多)
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