法政大学野球部は東京六大学野球リーグでは最多の44回、大学日本選手権8回、明治神宮野球大会3回の優勝を誇る。そんな大学球界屈指の名門の正キャッチャーを務めるのが木下拓哉(4年)だ。昨年の六大学野球秋季リーグからレギュラーとしてマスクをかぶるようになった。その秋季リーグではベストナインに選出される活躍を見せ、法大の7季ぶりの優勝に貢献。プロのスカウトからも注目され、今秋のドラフト指名候補として挙げられる期待のキャッチャーである。
 野球で“扇の要”と言われるポジションがキャッチャーだ。「名キャッチャーあるところに覇権あり」とは知将・野村克也の言葉だが、キャッチャーは様々な状況を考えながら、試合を組み立てていく。そのためには相手の情報を把握しておかなければならない。また、データのみならず、実際に目の前でプレーする相手の状態やクセを感じることも重要だ。

 その意味で法大野球部監督の神長英一は、木下に「感性を磨きなさい」とアドバイスしているという。
「スコアブックに載らない相手の情報を感じ取れるかどうか。そういったところでキャッチャーの良し悪しの差異が出ると思うんです。ただホームランを打って、盗塁を刺せる選手がいいキャッチャーかといえば、そうではありません。相手の動向から何かを感じ、味方のピッチャーの出来も分析した上で、最良の選択を行う。相手が嫌なことは何なのか、逆に相手を楽にしてしまうことは何なのかを考えられるかが大事です」

 もともとピッチャー出身だった木下は、自らの経験を生かし、ピッチャーに気持ち良く投げさせるリードを心掛けていた。しかし、正キャッチャーとして試合に出始めた昨年の秋季リーグあたりから、自身のリードを変化させた。木下いわく「余計なボール」を要求しなくなったのだ。
「神長監督から『2ナッシングからでも、ツーワンからでも、ツーツーからでもヒットはヒット。打ち取れると思ったら攻めていい』とアドバイスされたんです。直感というんですかね。以前は『行ける』と思っても行けなかった。ただ今は『行ける』と思って自信を持ってサインを出せるようになりました。そこが変化だと思います」

 木下は全試合でマスクをかぶり、チーム防御率を6大学で唯一の1点台(1.91)に導いた。法大にとって7季ぶりのリーグ優勝は、木下の直感を生かしたリードによってもたらされたといっても過言ではないだろう。

 悔しさだけが残った春

 迎えた今年の春季リーグも優勝に向けて手応えを得ていた。木下はリーグ戦を戦う中で、「いい準備」をして試合に臨めるようになったという。
「試合前に相手チームを映像で研究する以外に、今年は相手のバッティング練習なども観察するようになりました。その時に、自分ならどういう配球をするか、というのを考えながら見られるようになったんです。その成果か、自分でも『相手を抑えている』という感覚がありました」

 結果も順調についてきていた。チームは開幕から8連勝し、これまで5度(慶大、立大、法大、明大、早大)しか達成されていない全勝優勝に王手をかけたのだ。ところが、である。勝ち点で並んでいた明大戦の結果は1勝2敗1分け。勝率では法大が上回ったものの、勝ち点1差で明大に優勝をさらわれた。木下は「春も秋も負けないつもりで、冬の練習に取り組んできた。優勝を逃したことが、自分の中で一番のショック」と悔しそうに振り返った。

 優勝を逃した要因はどこにあったのか。
「明大戦になってから、明らかに失点が増えました。それは自分のリードやピッチャーのクセが研究されていたからだと思います」
 明大戦では4戦中3戦で5点以上を失点している。それ以外の大学はすべて3失点以下に抑えていた。

「最後の最後に研究され、自分も動揺して置かれている状況を把握しきれなくなりました。慎重すぎたのが去年の秋だとすれば、状況を見て大胆に行けるようになったのが今年の春。段階を踏んで成長してきていると言えますが、その中で対策をたてられて何もできなかったのも事実です。秋はそうした時にも踏ん張れるようなキャッチャーになりたいと考えています」

 秋季リーグは大学4年間の集大成だ。優勝すれば、明治神宮大会に出場できるが、木下は「リーグ戦で優勝するのが一番の目標」と語る。そして、こう意気込んだ。
「この秋は個人的にも結果が欲しいシーズンです。春季リーグでは打撃(打率2割5厘、1本塁打、5打点)では貢献できませんでした。その悔しさもありますし、リーグ後のジャパン(大学日本代表)の選考に落選したこともあり、『やってやろう』という気持ちでいます」

 チームとしても個人としても有終の美を飾る――木下は今、それだけを考えて黙々とグラウンドで汗を流し続けている。

(つづく)

木下拓哉(きのした・たくや)プロフィール>
1991年12月18日、高知県生まれ。4つ年上の兄の影響で野球を始め、小学2年で地元の野球少年団に入団。当時はピッチャーとしてプレーした。中高一貫教育の高知中学高等学校に進学。高校時代にピッチャーからライトへコンバートされ、高2の春からキャッチャーを務める。08年、09年と2年連続で夏の甲子園を経験。10年、法政大学に進学した。法大では11年春季リーグから代打で出場機会を得る。12年の秋季リーグはレギュラーとして法大7季ぶりの優勝に貢献し、ベストナインに選出された。強肩と巧みなインサイドワークが武器。一発を狙えるパンチ力も備える。身長183センチ、体重93キロ。右投右打。



(鈴木友多)
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