「この人はすごい……」
 2010年に法政大学野球部へ入部した木下拓哉は、入寮直後、法大と社会人チームのオープン戦を見学していた。木下は試合に出場していた先輩キャッチャーに衝撃を受けた。当時4年生だった廣本拓也(現日本生命)である。
「廣本さんのことは、二神(一人、現阪神)さんからも聞いていました。『廣本っていう選手はすごい。アイツを抜ければ、試合に出られる』と。どんなキャッチャーなんだろうと実際にプレーを見ると、イニング間の練習で行う二塁への送球のほとんどがランナーを刺せる絶妙なボールでした。もう、衝撃でしたね。ショートバウンドのストップも、失敗するイメージがなかった。『この人って、暴投したり、後ろにそらすことがないんやろうか?』と感じるくらい、すべてのかたちがきれいでした」

 大学で痛感した技術不足

 廣本のみならず、3年・原田直輝(現三菱重工名古屋)、2年・土井翔平(現大阪ガス)ら法大のキャッチャーは全員レベルが高かった。リード面、守備技術などで上回る先輩たちの間に割って入り、レギュラーを奪わなければならない。木下は「肩の強さなら勝てる」と持ち前の強肩を武器にレギュラー争いに挑んだ。

 ところが、である。「とにかく強いボールを」とがむしゃらに投げているうちに、木下は自身の送球に違和感を抱くようになっていった。ステップ、投げるフォーム、送球のコース……すべてが噛み合わなくなっていた。
「高校時代は、どちらかというと肩の強さだけで投げていました。でも、力だけでは本当にいいボールがいかない。大学に入って、技術不足を痛感しました」
 木下は当時の心境をこう振り返った。ただ、悲観したわけではなかった。むしろ、周囲のレベルが高い環境は彼に向上心を抱かせた。

 練習では送球フォームやフットワークなど、キャッチャーとしての基本動作を重点的に意識するようになった。木下は「それまでの投げ方を全部変えるくらいの気持ちでした」と振り返る。高校時代はベンチからのサインで走るため、成功が難しいタイミングでも走ってきた。だから何も考えずに投げてもコースにボールが飛んで、ランナーを刺せていた。しかし、大学ではランナー自身が絶対に成功すると思ったタイミングでしか走ってこない。無駄の多い投げ方では、ランナーを刺せなくなっていた。そこで木下が手本にしたのは廣本だった。
「廣本さんはすべての動作が流れるようにきれいだったんです。スローイングはもちろん、ピッチャーの球を捕る前のステップも完璧でした。つまり、ランナーを刺せるかどうかはピッチャーが投げたボールを捕るまでにほぼ決まっている。そこに気づかせてもらえましたね」

 糸を引くようなスローイング

 試行錯誤を繰り返し、しっくりとくる送球にたどりつくには、2年半の時間を費やした。彼がスローイングに手応えを得たのは、3年の夏。社会人チームとのオープン戦を戦っている時だった。

 東京六大学のチームは毎年、春と夏に社会人チームとオープン戦を行っている。大学生にとっては、レベルの高い相手との貴重な実戦機会だ。木下は、12年の春のオープン戦から対戦する社会人のキャッチャーをじっくりと観察した。
「やっぱり、いいキャッチャーは、セカンドベースにボールがスーっと伸びて糸を引くようにいくんです。無駄な力みがないというんですかね。僕は力任せに投げる傾向がありましたから、力まずにサーっと流れるように投げることを意識するようになりました。すると、夏のオープン戦のあたりから徐々に感触がよくなって、何回投げても、暴投するイメージがわかなくなった。『これやな』と。今は自分の肩も生かした強くて、伸びるボールを投げられるようになりました」

 夏のオープン戦で彼がつかんだものは、スローイングの手応えだけではなかった。木下は3年夏まで新人戦にはキャッチャーとしてのプレー機会を与えられたものの、リーグ戦では代打での出場が主だった。リーグ戦でマスクを被らせてもらえない理由として、監督やコーチから「考えられていない」と言われていた。リードや守備位置の指示など、いわゆるインサイドワークのことだ。
「3年の夏のオープン戦で、試合に多く出させてもらえたことで、いろいろなタイプのバッターと対戦できました。『こういうバッターは、こうやったら抑えられる』とイメージできるようになったんです」

 スローイングの技術とインサイドワークの向上――首脳陣も彼の成長を評価し、秋季リーグでは木下を正キャッチャーとして起用した。果たして、木下はその期待に応えた。全11試合に出場し、ベストナインに輝く活躍で法大の7季ぶりの優勝に貢献した。

 充実したシーズンで木下が特に嬉しさを感じたのは、チーム防御率の変化だった。チーム防御率は投手の実力のみならず、試合を組み立てるキャッチャーが配球面でリードして失点を抑えたという証でもある。1学年上の土井が正キャッチャーを務めた春季リーグのチーム防御率は3.00。対して、木下がレギュラーに入った秋季リーグは1.91だった。
「廣本さんがいなくなってからは、『土井さんが一番すごいキャッチャーだ』と思ってやってきました。その人に数字で勝てたというのが本当にうれしかったですね」

 時間はかかったが、木下はキャッチャーとして大きなレベルアップを果たした。そして、秋季リーグ後、彼はある思いを強く抱いた。プロ野球への挑戦である。

 プロへつながる勝負のシーズン

「去年の秋季リーグが終わった時点で、なんとしてもプロに行きたいという気持ちが出てきました。それまでは試合に出ることで精いっぱいでしたが、レギュラーを掴んだことでやっと進路のことを考える余裕ができましたね。プロへ行くためにも、4年の春は結果を残したかったのですが……」

 木下は今年の春季リーグも全12試合でマスクをかぶった。しかし、チームは明治大学との最終戦で優勝を逃し、木下自身も打率2割5厘、1本塁打、5打点と目立った活躍はできなかった。シーズンオフの間はバッティング練習を中心に取り組んできただけに、木下は「打ちたかった」と唇を噛んだ。春季リーグ後には、日米大学野球選手権に臨む日本大学選抜の候補には選ばれたものの、登録メンバーに残ることができなかった。

 現在の木下には何が足りないのか。法大野球部監督の神長英一は「アレンジ力」を挙げた。
「いくら技術が優れたキャッチャーでも、ピッチャーが構えたところに投じてくれなければ、思うようにいきません。ですから、アレンジ力が必要になるんです。誰が見ても調子がいいピッチャーは、誰がリードしてもいい結果が出るもの。木下にはなかなか思い通りにいかない時にも、ピッチャーを助け、良さを引き出せるキャッチャーになってもらいたい。それはつまり、相手にとって嫌なキャッチャーになっていくということでもありますね」

 秋季リーグ開幕まで約1カ月となった。木下は、春に逃した優勝を果たし、個人としても結果を残すことしか考えていない。
「今年はここまで春季リーグ戦、ジャパン(日本大学選抜)の選考なども含めて、本当に不甲斐ない結果しか残せていません。周囲にも『木下はこんなものか』という印象を持たれていると思います。それを見返したい。秋は六大学と言わずに、アマチュアのキャッチャーで一番活躍することを目指してやりたいですね」

 木下がアマ・ナンバーワンの活躍を果たせば、法大は45度目のリーグ制覇に大きく近づく。そして、プロという舞台への扉が開くに違いない。

(おわり)

木下拓哉(きのした・たくや)プロフィール>
1991年12月18日、高知県生まれ。4つ年上の兄の影響で野球を始め、小学2年で地元の野球少年団に入団。当時はピッチャーとしてプレーした。中高一貫教育の高知中学高等学校に進学。高校時代にピッチャーからライトへコンバートされ、高2の春からキャッチャーを務める。08年、09年と2年連続で夏の甲子園を経験。10年、法政大学に進学した。法大では11年春季リーグから代打で出場機会を得る。12年の秋季リーグはレギュラーとして法大7季ぶりの優勝に貢献し、ベストナインに選出された。強肩と巧みなインサイドワークが武器。一発を狙えるパンチ力も備える。身長183センチ、体重93キロ。右投右打。



(鈴木友多)
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