「今日は海に入らなくてもいいかな……」
 2011年3月11日、高校2年だった高橋みなとはその日、朝起きるといつものように波をチェックした。仙台新港から臨む海は、不気味なほど静かだった。比較的近い福島県の海岸では多少、波があるとの情報もあったが、彼女は海でのトレーニングをとりやめた。ちょうど高校のテスト期間明けで、いつもなら波に乗れなかった分を取り戻したい気持ちで溢れているはずだった。普段は「どんな波でも乗りなさい」という母親も、その日は練習中止について反対しなかった。それから数時間後、経験したことのない揺れが仙台の自宅を襲った。「東日本大震災」だ。

 苦難の末に叶えた目標

「地震が発生した時は、家の中でバランスボールに乗ってトレーニングしていました。すぐに母と外に出て、揺れが収まるのを待ちました」
 間もなくして、津波警報が発令された。近所の人たちは、「津波なんてこない」と楽観していたが、常に海で過ごしていた高橋は「絶対に危ない」と直感した。当時、小学生だった弟を母と迎えに行き、荷物を持って海から離れた小学校に避難することにした。その時、彼女が真っ先に車に積み込んだのが、サーフボードだった。

「5月にペルーで世界大会を控えていたんです。18歳以下の大会だったので、出られるのはその年が最後でした。どうしても出場したくて、そのためにはボードが必要になる。無意識に積み込んでいましたね」

 その後、父親も合流した高橋たち家族は約3週間、車内や母の実家などで避難生活を送った。もちろん、サーフィンの練習などできるはずもなかった。
「約1カ月、海に入れませんでした。そんなことは、それまで1度もなかったので、パニックに近い状態でしたね。“なぜ、サーフィンができないんだろう?”と」
 それでも、5月の世界大会への時間は刻一刻と迫っていた。焦る高橋に、関係者と家族から思いがけない提案が出された。「1カ月、バリで練習してきなさい」。避難生活で不自由を強いられている家族を置いて、自分だけ海外に行くことに、彼女は後ろめたさを感じた。だが、周囲の後押しを無駄にもしたくなかった。震災から1カ月後の4月11日、高橋はバリへと飛び立った。バリではそれまでのブランクを埋めるため、波に乗り続けた。結果的に、ペルーでの世界大会は40位に終わった。しかし、必死になって練習に取り組んだことは、決して無駄ではなかった。

 高橋は同年8月の「ASP Oakley Pro Jr ガールズ」(千葉・志田下)で優勝を収めた。彼女が、「最も印象深い」と挙げる大会だ。
「地元の仲間が復興に向けて頑張っている時に、私だけはバリでサーフィンをしていた。その中で、自分が地元のためにできるのは、試合で結果を残して元気づけることだと思っていました。家族も応援に来ている中で実際優勝して、その報告を地元に持ち帰ることができたので、本当にうれしかったですね」

 そして、つづく9月の「JPSA千葉オープン・JWMAプロ・マニューバーラインカップ」でのトライアルに合格し、彼女は悲願だったプロサーファーになった。
「震災はつらい思い出しかありません。ただ、もしサーフィンができなかったあの1カ月がなかったら、必死に練習しなかったかもしれない。命があるから言えることですが、つらい経験を乗り越えたからこそ、今の私があり、プロになれたと思うんです」
 サーフィンができる喜びを噛みしめ、高橋はプロサーファーとして、再びスタートを切った。

 思いがけなかった電話

 目標だったプロ資格を取得した高橋だが、サーフィンだけで活動資金を補うことは難しかった。そこで、彼女はスポーツジムでのアルバイトを始めた。しかし、練習や大会参加などの影響で、ほとんど満足に出勤することができなかった。

 震災の影響で、仙台新港での練習ができなくなっていた高橋は、国内外に遠征するための資金を必要としていた。そんな高橋を見て、先輩の女子プロサーファーが声をかけた。
「こんなオーディションがあるよ」
 先輩から教えられたオーディション、それが第1回マルハンワールドチャレンジャーズだった。高橋はさっそく応募条件である「アスリートエール」に登録し、最終オーディション通過の連絡を待った。しかし、彼女のもとに、書類選考通過の一報は訪れなかった。

 12年になり、高橋は高校を卒業して本格的にプロサーファーとしての生活をスタートさせた。だが、依然として活動資金を十分に確保することはできていなかった。なんとか遠征費をやりくりして海外に向かおうとした際、空港で荷物の重量に対する高額なチャージ料金を払えず、荷物を減らさなければならない時もあった。もちろん、ボードを置いていくわけにはいかない。高橋はキャリーバッグの荷物をボードケースや手持ちの紙袋に詰め込み、キャリーバッグは友人に持って帰ってもらうことで事なきを得た。

 そんなある日、バイトの準備をしていた高橋に、1本の電話が入った。「アスリートエール」を運営するスポーツ・コンサルティング会社「スポーツゲイン」の岩田一美からだった。
「今、お時間ありますか?」
 バイトの時間が迫っていた彼女は、仕事が終わった後に連絡することを約束し、岩田との電話を切った。「何の話だったんだろう? 私、何か悪いことでもしちゃったのかな……」。高橋はバイト中も岩田からの電話のことが気になって仕方がなかった。

 そして、バイト終了後、高橋はすぐ岩田に連絡した。
「第2回マルハンワールドチャレンジャーズの最終オーディション参加が決定しました」
 思いがけない報告だった。というのもアスリートエールへの登録に伴い、第2回MWCにも自動エントリーされていることを把握していなかったのだ。

 さらに、最終オーディションは、参加を予定していた新島での大会の前日だった。オーディションに参加すれば、大会には出場できない。どちらをとるべきか……。
「こんなチャンスは二度とない」
 高橋はしばらく悩んだ末に、オーディションへの参加を決意した。

 12年8月27日、高橋は最終オーディションに臨むに上で、ある思いを抱いていた。
「プロサーファーのイメージを変えたい」
 高橋いわく、プロサーファーはその外見などから「遊びでやっているんじゃないか」「チャラチャラしている」などというイメージを抱かれることが多いという。そのイメージを払しょくしたかった。
「プロとして命懸けで試合に出場し、頑張っている人がいることを伝えたかったんです。私だけのためではなく、プロサーファーという職業をちゃんと知ってもらいたかった」

 オーディションでは、「何を言ったか覚えていない」というほど緊張しながらも、サーフィンの魅力を伝えた。そして運命の結果発表。彼女は、見事、ワールドチャレンジャーズに選ばれ、協賛金100万円を獲得した。
「私がというより、プロサーファーという職業が選ばれたことがすごくうれしかったです」
 高橋はその時の心境を、噛みしめるように振り返った。

 波との出合いは一期一会

 獲得した協賛金は迷うことなく海外遠征の資金に充てた。高橋は、オーディションで海外と日本の練習環境の差を訴えていた。
「外国はすごくパワフルで、いい形の波が多いんです。一方、日本は外国と比べると波が小さく、弱い。ですから、日本の波で練習するだけでは、世界大会では勝てないんです。そして、世界のビーチに行って、レベルの高いサーファーのライディングを目で見て、肌で感じることはとても刺激になります」

 これまでは、海外に練習へ行けたとしても、せいぜい年に1カ国だった。だが、MWCの協賛金を得たことで、高橋は昨年末からの約3カ月を、ハワイ、オーストラリアで過ごすことができた。「本当に、大きな財産です」と彼女は充実の表情を浮かべた。

 彼女は今年8月の「ASP Go Pro junior ガールズ」(千葉・志田下)を制したことで、10月にブラジルで行われるWJC(World Junior Championship)の出場権を得た。現在20歳の高橋にとっては、最後のWJCとなる。海外遠征で得た経験を、ここで生かしたいところだ。
(写真:s.yamamoto)

 そして、高橋が最終的に目指す目標は「人の記憶に残るライディングができるサーファー」になることだ。
「勝っても負けても、見ていた人の印象に強く残るライディングができるようになりたいですね。『あの時の高橋みなとのように自分もなりたい』『あの人、すごく楽しそうにしていたから自分もサーフィンを始めてみたいな』と」

 最後に、サーフィンの魅力を訊いた。
「たとえば、日本で友人になったサーファーと外国で偶然再会することがあるんです。波を求めていれば、サーファーはいつかどこかで会える。海が人をつなげてくれるんです。ただ、同じ波には2度と出合えません。一期一会で出合った波をいかに乗りこなせるかも、サーフィンの魅力のひとつですね」

 生後2週間で海と出合い、波を求め続けてきた。その中で、様々な人と出会い、多大な支えを受けてきた。その人たちの期待に応えるため、目の前にどんな困難が立ちはだかっても彼女は止まるわけにはいかない。プロサーファー・高橋みなとの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

(おわり)



<高橋みなと(たかはし・みなと)>
1993年8月9日、宮城県生まれ。小学4年でサーフィンを始める。地元・仙台新港を拠点に、国内外の大会に出場。2011年、JPSA千葉オープン・JWMAプロ・マニューバーラインカップで4位になり、プロ資格を取得した。昨年に行われた「第2回マルハンワールドチャレンジャーズ」にて協賛金100万円を獲得。「ASP Murasaki Pro Jr」(10年)、「ASP Oakley Pro Jr」(11年)、「ASP ROXY Girls Ikumi Open」(12年)で優勝。今年8月には「ASP Go Pro junior」を制し、自身3度目の「World Jr Championship」(ブラジル)出場権を獲得した。
(写真:s.yamamoto)

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『第3回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、5名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月27日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(文・写真/鈴木友多)
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