2013年6月30日、後楽園ホールに詰めかけた1387人のファンが、主役の登場を待ちわびていた。入場曲『CROWN OF WINNER』が流れると、そのボルテージは一気にヒートアップした。エレキギターがかき鳴らす爆音とともにやって来たのは、関本大介。大日本プロレスの2大タイトルのひとつBJW認定世界ストロングヘビー級3代目王者である。ゆっくりとリングに向かう関本に、観客は期待感を持って、手拍子や歓声を上げて迎えた。丸太のように太い腕は52センチ、岩のように膨れ上がった胸板は130センチという筋肉の鎧を身に纏う男の姿は、古代ローマのコロッセオへと歩みを進めるグラディエーターのようだった。


 BJW認定世界ストロングヘビー級王座は、今年3月まで全日本プロレスの征矢学が所持していた。佐々木義人が昨年新設したばかりのタイトル。歴史こそ浅いが、他団体に奪われたままでは団体の面子が立たない。そこで大日本の顔である関本が立ち上がり、3月1日の後楽園大会で彼は外敵に奪われた至宝を奪還した。以降、その座を不動のものにしつつある。岡林裕二、佐々木、大森隆男と、次々と襲い掛かる内外からの刺客からベルトを守ってきた。

 4度目の防衛戦となった6月30日の河上隆一との試合は、まさに死闘と呼ぶにふさわしい大熱戦だった。ストロングスタイルのトーナメントRISINGを制して勢いに乗る河上の挑戦に、関本は真っ向から受けて立った。河上のエルボーを何度も食らい、関本の意識は朦朧としていた。チャンスと見た河上はロープの反動を利用して勢いをつけた打撃で、王者を仕留めようとした。王座陥落――。そんなムードも漂いかけたその瞬間、関本はまるで本能が反応したかのようにラリアットで河上をなぎ倒した。そして試合時間が19分を過ぎたところで決着がついた。フィニッシュホールドは関本の十八番であるジャーマンスープレックスホールド。死闘を制した関本は、フラフラになりながらも挑戦者を称え、リング上で観客に力強く誓った。「オレがストロングヘビーの絶対王者になりますから」。観衆もスタンディグオベーションでそれに応えた。

 新たな挑戦者も力で圧倒

 それまでの相手は、いずれも関本と同系統のパワー系のレスラーばかりだった。しかし、5度目以降の防衛戦の相手に名乗りを挙げた挑戦者たちは、スピードやテクニックを武器とするタイプのレスラーだった。まずは7月26日の後楽園ホールで「勝っても負けても、この挑戦が最後」という覚悟で関本の持つベルトを奪いにきたのは、忍だった。身長173センチ、体重78キロと、レスラーとしては小柄で細身だが、そのパフォーマンスは豪快だった。

 迎え討つ関本も、いつも通りの正攻法のファイトスタイルをとった。忍の勢いに押されつつあったが、力勝負で上回った。最後は観客の悲鳴が聞こえるジャーマンスープレックスホールドで息の根を止めた。敗れた忍は宣言通りに今後はストロングヘビーには挑まないことを改めて明言した。「それぐらい懸けてやらないと勝てない相手だった。でもオレのすべてを出しても勝てなかった……」と忍は悔しがった。

 6度目の防衛戦は8月27日に後楽園ホールで行われ、この日のメインカードだった。対戦相手は関本が「身体能力が高く、華やかな選手」と評した円華。スピードとテクニックを持つ円華は、力勝負では勝てないと踏んで関本の右腕を徹底的に攻撃した。それでもパワーで関本は円華を圧倒。空中殺法に対しては、そのままキャッチして、コーナーポストへ叩きつけた。関節技を極めにくれば、片手で担ぎ上げ、アルゼンチンバックブリーカーに持っていき、形勢逆転。相手の背骨とともに、闘争心を折りにいった。円華も必死に粘ったが、最後は関本のジャーマンスープレックスホールドが決まり、王座を死守した。

 宣言通り、絶対王者としての地位を固めつつある関本。本人はベルトへのこだわりはないと言うが、「いつまでも強くありたい」との思いがある以上は、必然的に強さの称号であるチャンピオンベルトを守り続けることになるだろう。今月14日には北海道・札幌テイセンホールで高岩竜一の挑戦を受ける。高岩は新日本プロレス、ZERO-ONE(現ZERO1)で活躍してきた老練なファイターだ。「高岩さんは僕にとって、プロレスの先生のひとりでもある。“関本大介はここまで強くなりました”と見せつけたい」と関本。勝って“恩返し”をするつもりだ。

 引く手あまたの怪力レスラー

 関本は大日本というインディー団体に属しているが、その存在は団体の枠を超えて、評価されている。9月には老舗の全日本プロレスから武藤敬司、船木誠勝らスター選手が離脱し、新たに結成されたWRESTLE-1(W−1)の旗揚げ興行にも出場した。試合当日まで“X”として公表されてはいなかったが、当日、会場で関本の名がコールされると、東京ドームシティホールの観客は大いに沸いた。さらには19日から開幕するPRO-WRESTLING NOAHのグローバルリーグにも参戦するなど、その人気はメジャー団体からも声がかかるほど。今やインディーで一番熱いプロレスラーと言っても過言ではない。

 関本自身は他団体への出場について「相手が変わるだけで、自分はいつものプロレスをするだけ」と、特別な意識はないという。黒のリングコスチュームのカラー同様、彼はどの場所に行こうが、何色にも染まらない。

 ラリアット、逆水平チョップ、ボディスラム、ブレーンバスター、フライングボディプレス、逆エビ固め、アルゼンチンバックブリーカー、ジャーマンスープレックスホールド……。彼が繰り出す技は、スタンダードでシンプルなものが多い。ただ、技のひとつひとつに“説得力”がある。技が決まった時の音や、相手の表情に技の重厚さがヒシヒシと伝わってくるのだ。どの技も必殺技たりえる破壊力を持っている。

 中でも強靭な背筋を生かして相手を抱え上げ、そのまま反り返ってフォールを奪うジャーマンスープレックスホールドには自信を持っている。若手時代に指導を受けていた先輩レスラーの山川竜司(現在は引退)に初めて褒められ、プロレスの世界で生き残る自信となった技でもある。フィニッシュホールドは、今では関本の代名詞となっている。

 プロレスを始めて10年以上経った今も「プロレスが楽しくて、大好き」と語り、骨の髄までプロレスラーである関本だが、実はかつては白球を追いかけていた野球少年だった。しかも甲子園を目指して中学からは地元大阪を離れて高知へ越境留学した。野球の名門である明徳義塾中学・高校に入るほどの関本が、なぜプロレスの世界へと足を踏み入れたのか。それは彼にとってのヒーローはプロレスラーだったからだ。

(第2回につづく)

関本大介(せきもと・だいすけ)プロフィール>
1980年2月9日、大阪府生まれ。小学3年で野球をはじめ、中学・高校は高知の明徳義塾へ進んだ。高校在学時、チームは4度甲子園に出場したが、ベンチ入りはかなわなかった。高校卒業後、大日本プロレスに入団。99年8月にデビューすると、01年1月にMEN’SテイオーとのタッグでBJW認定タッグ王座に史上最年少(19歳11カ月)で輝いた。11年3月には岡林裕二と組み、征矢学&真田聖也に挑戦し、全日本のアジアタッグ王座を奪取した。同年の8月には、ZERO1の火祭りリーグ戦を制し、NWAプレミアムヘビー級王者となる。今年3月にBJW認定世界ヘビー級王座のベルト獲得し、現在6度の防衛に成功している。07年にプロレス大賞技能賞を、11年には岡林と最優秀タッグチーム賞を受賞しており、所属の大日本のみならず他団体にも活躍の場を広げているインディー屈指のレスラー。身長175センチ、体重120キロ。



(文・写真/杉浦泰介)


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