田中蕗菜は2010年、同年のアジア競技大会の代表候補に選ばれた。しかし、選考後に発表された代表9名のなかに、彼女の名はなかった。アジア大会はセパタクロー界において、キングスカップと並ぶ最高峰の大会。それだけに田中は「悔しかったですね」と、胸の内を語り、そしてこう続けた。「あの時に落選してよかったと今は思っているんです。落ちたことで、今までやってきた練習方法などを見直しました。すると、翌年からプレーの感覚が変わったんです」
 それは、彼女が一段階レベルアップしたことを意味していた。

(写真:高須力)
 必要だった“本当の自信”

 田中は「練習に対する考え方が“量”より“質”に変わった」という。アジア大会直前までは、とにかく量をこなす練習方法だった。しかし、そのハードな練習の成果を、試合で発揮できたと感じることは少なかった。ゆえに、「今までの練習の仕方は正しかったのかな」と疑問を抱いたのだ。
「確かにやったという自信にはなるけど、やはりプレーに表れないと本当の自信にならない。いくら練習しても、結局、試合でダメな部分が見えてくると、それはなかなか自信につながりませんでした」

 また、ちょうどその頃に起きた環境の変化も田中に大きな影響を及ぼしていた。それまでアルバイトとして所属していた会社の正社員に採用されたのだ。実は以前から社員登用の打診を受けていたというだが、セパタクローの活動時間を確保するために断っていた。しかし、彼女はアジア大会代表落選を「いい区切り」と考え、正社員になることを決心したのだ。当然仕事量は増え、競技の練習時間は少なくなった。その中で、1回の練習に対する取り組み方に変化が表れたという。
「ただガムシャラにやるより、短時間で集中して行える内容の練習をするようになりました。1回、1回、考えながらボールを蹴るようになりました。それからですね。プレーの感覚が変わったのは」

 いったい、何が変わったのか。
「トスの質です。簡単にいうと球の回転の仕方ですね。トスを以前よりも安定して上げられるようになったと思います」
 トスの質が安定することで、より幅の広い攻撃が可能となり、余裕を持って試合を進められるようにもなった。細かいことを考えながらボールを蹴る。4年前に味わった悔しさが、田中をセパタクロー選手として一皮むけさせのだ。

 大事なのは“待つ”こと

 今年は最強国・タイと初めて対戦する機会もあった。タイは競技発祥の国で、セパタクローは国技である。路上でも競技を楽しむ人々がいるほど競技が盛んだ。そんな“セパタクロー大国”のタイと戦うことで、田中は世界との差の大きさを痛感した。
「まずフェイントですね。普通に強いボールを蹴るのか、ネット際に落とすフェイントなのかの見分けがつかないんです。フェイントへの対応は私個人としての課題でしたので、重点的に取り組み、改善していたのですが、タイの選手のレベルの高さは想像以上でした」
 世界トップクラスとの差を埋めるために、田中は更なるフェイントへの対応力向上を挙げた。
(写真:高須力)

 セパタクローでは、ネットに対して逆三角形のかたちで3人が並ぶ。トサーはアタッカーとともにネットに近い位置でプレーするために、フェイントへの対応力が重要になってくるのだ。田中は、過去に韓国代表と対戦した際、フェイント攻撃で「ぼこぼこにされた」という。
「私の場合は、フェイントで前に落とされたボールに、間に合っているのに取れないことが多い。触っているのに拾いきれないんです」

 その後、フェイントに対応する練習を繰り返し、レベルアップに努めた。しかし、「取れる時もあれば、取れない時もある。なぜ取れているのかという感覚をなかなかつかみ切れずにいた」という。

 そんな田中が「あ、こういうことなんだ」と、ある感覚をつかんだのは、この8月に日本代表として「ISTAF Super Series India 2013」に出場した時だ。そこで、彼女は他国のトサーがフェイントに対応するプレーを注意深く観察した。すると、強豪国の選手たちと自分には、違いがあることに気が付いた。他国の選手は、フェイントに「待って」対応していたのだ。

「この競技は『待つ』ということがすごく大事なんです。でも、私は速く動けるものの、待つことに欠けていた。『こういう球がくる』と判断したら、すぐに動き出してしまい、適切なポジショニングができていなかったんです。他国の選手は素早く判断しながら、状況に合わせて反応していると感じました。ですから自分も『ボールには比較的楽に追いつけているので、自分が思っているより、ゆっくり拾いにいけばいいのでは』と考えたんです。それからはフェイントへの対応がすごくスムーズになりましたね」

 やればやるほど、それまで見えていなかったモノが見えてくる。田中は「それがセパタクローをやめられない理由」と笑った。

 痛感したメンタルの重要性

 田中には目標にしている選手がいる。同じトサーの青木沙和だ。アタッカーの奥千春とともに、代表を牽引しているベテランである。
「沙和さんはチームに安定を与えてくれる存在です。とにかくプレーがブレない。それは、技術の高さのみならず、メンタルの強さにも影響していると思いますね。特にトサーはどういう状況であっても安定したプレーを求められます。トサーが焦ったり、弱気になったりしてアタッカーへのトスがズレてしまうと決めたい場面で点を取れず、試合の流れを悪くしてしまいかねない。『決めていれば波に乗れたのに』ということも少なくないんです」
(写真:高須力)

 田中には、今も忘れられない試合がある。2011年9月に行われたキングス杯(タイ)。日本はディヴィジョン1の団体戦で、予選を全勝で通過した。しかし、優勝決定戦では予選で勝っていたラオス代表に敗れ、準優勝に終わった。「その大会は、チームも自分もすごく調子がよかったんです。しかし、ラオスとの優勝決定戦では思うようなプレーができませんでした。なぜかびびってしまって、トスをあげたりするタイミングが狂った。それをいつも通りに戻すことができず、トスが小さくなってしまってアタッカーをいい状態で打たせることができなかった。あとひとつ勝てば、優勝できたので、すごく悔しくて、もどしかったですね。『なぜ、最後の最後でいつも通りにプレーできなかったんだろう』と。メンタルの重要性を強く感じました」

 メンタルの強さ――それが青木との決定的な違いだと、田中は考えている。
「精神面と技術面が充実すれば、トサーとしてもっとうまくゲームメイクができると思うんです。つまり、アタッカーをイメージ通りにコントロールする。それができれば、すごく気持ちいいでしょうね。沙和さんはその域に達していると感じます」

 練習で身に付けた技術を、試合で確実に発揮できる確率を上げる。そうすれば、トサーとしての幅が広がり、憧れに追いつく。そして、「世界で勝つ」ことにも近づくはずだ。

 選手、そして伝道師として

 田中は第一線で活躍する傍ら、競技の普及にも力を入れている。「第2回マルハンワールドチャレンジャーズ(MWC)」は多くの人に競技を広めるために、願ってもないイベントだった。最終オーディション出場が決まると、すぐに日本セパタクロー協会へ連絡し、当日のプレゼンテーションについてアイデアを練った。そこで浮かんだのが協会が制作したプロモーションビデオの活用だった。
「私はトサーなので、アタッカーのようなアクロバティックなプレーを見せられない。ですから、競技の魅力を凝縮していて、かっこいい映像を使おうと考えたんです」

 前日のリハーサルでは、「しゃべりすぎてしまいました(苦笑)」とプレゼン時間をオーバーしてしまった。しかし、当日は用意したPV、スピーチを含めて制限時間の5分以内にきっちりと収めた。スピーチでは、セパタクロー界への支援を会場に訴えた。

「MWCに挑戦しようと思った理由は、私個人を支援して欲しいと思ったからではありません。セパタクローはチームの強さが勝敗をわけます。1人のスキルだけが高くても、世界で勝つことはできません。真剣に競技に取り組んでいる以上、世界大会で金メダルをとりたいと強く思っています。その一方で、世界で金メダルをとることの難しさも痛感しています。決して、私自身がその目標を諦めたわけではありませんが、今後のセパタクロー界のためにも、今だけではなく、これから先のことも考えていきたいと思っています。将来、日本が金メダルをとる為に、そして競技がオリンピック種目に加わった際に、世界に通用するチームを作るため、若手の育成、競技人口の拡大は必要不可欠です」

 協賛金はセパタクローイベント「蹴」(「セパタクローを日本でも広めたい!」を目的に、競技と音楽を融合させたイベント)を日本全国で開催し、競技の魅力を知ってもらうきっかけ作りの資金にすると説明。また、興味を持った人がすぐに挑戦できるよう講習会等も積極的に実施していく考えを明かした。そして、最後にこう語った。
「私はセパタクローが大好きです。その気持ちは誰にも負けません。今回の結果に関係なく、これからもセパタクロー界のさらなる飛躍の為に、そして応援してくださるたくさんの方々の為に頑張っていきたいと思います」

 結果は協賛金100万円に加え、審査員の川上直子賞の30万円を獲得した。「選ばれるとは思っていませんでした。しかも、2つも賞をいただけるなんて、『まさか』でしたね」。田中は受賞の瞬間をそう振り返った。

 協賛金はプレゼンで語った通り、セパタクローイベント「蹴」のツアーを行うための資金に充てた。今年は東京、大阪、沖縄を周った。沖縄では「沖縄国際映画祭」の中で、競技を披露し、大観衆にセパタクローを紹介したという。大阪では、テレビ局の放送枠を協賛金で購入し、タイ代表と親善試合を行った模様を放送した。すると、イベントに参加していた選手たちのブログへのアクセス数が急増。放送したテレビ局や、セパタクロー協会にも競技に興味を持った人からの問い合わせが殺到しているという。「MWCのおかげで、競技を勢いづけるきっかけづくりはできたかな」と彼女は笑った。

 愛するセパタクローのため――田中蕗菜は、戦手としても、伝道師としても、ボールを蹴り続けていく。

(おわり)

(次回は車椅子卓球・中出将男選手を紹介します。11月20日更新予定です)


<田中蕗菜(たなか・ふきな)>
1986年12月29日、東京都生まれ。旧姓=増田。小学6年時、テレビでセパタクローの存在を知る。小中高はバレーボール部でセッターとしてプレー。日本体育大学1年時にセパタクローを始める。ポジションはトサー。大学卒業後は、くにたちキャッツアイに所属している。全日本選手権を2度、全日本オープン選手権は1度制している。大学3年時(08年)に日本代表初選出。キングスカップに6大会連続出場し、3度のディヴィジョン1準優勝を経験。身長156センチ。

【12月、駒沢体育館で日本一決定戦開催】

第24回全日本セパタクロー選手権大会 12月21〜22日
会場:駒沢体育館
入場無料

『第3回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、5名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月27日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(文・写真/鈴木友多)
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