二宮: 与田さんには新人時代にもインタビューしたことがありますから、もう初めて会ってから20年以上になるんですね。時が経つのは早いものです。今回は「そば雲海 黒麹」を用意しました。グラスを片手に、野球談議に花を咲かせたいと思っています。
与田: 「そば焼酎〜、雲海〜」のCMソングが印象的ですよね。実は今日は、二宮さんと雲海酒造さんのそば焼酎をいただくと聞いて、家で妻とこのCMソングを何度も口ずさんでいたんです(笑)。

 ルーツは九州

二宮: 与田さんは出身は千葉ですが、もともとの生まれは九州だとか。
与田: そうなんです。雲海酒造さんのある宮崎は母方の出身地。父も熊本出身なので、5歳で北九州市から千葉の君津市に移り住んでも、家の中の会話はずっと九州なまりでした。だから学校に行くと、言っていることが通じなくて大変でしたよ(苦笑)。

二宮: 宮崎に縁があるとは知りませんでした。では今回は、その宮崎で造られた「そば雲海 黒麹」のSoba&Sodaで乾杯しましょう!
与田: いただきます! そば焼酎のソーダ割り、初めて飲みましたが、おいしいですね。実はそば焼酎自体、あまり飲んだ記憶がなくて、どんな味かなと思っていたのですが、サッパリしていてクセがない。これは周りのお酒好きにも勧めたいですね。

二宮: このSoba&Sodaは飲みやすいので、どのゲストにも好評をいただいています。
与田: ポピュラーなロックや水割りでもおいしいのでしょうが、好みに合わせて、いろんな飲み方ができるところが焼酎の良さですね。独特のにおいが気になる人もいるようですけど、そば焼酎は香りも爽やかです。

二宮: 与田さんは体格も立派だし、お酒が強そうに見えます。
与田: いやいや、実はお酒は強くないんです(苦笑)。アマチュア時代は、野球部の宴会で周りがどんどん飲むのでついていくだけで大変でしたよ。プロになると野球が仕事ですし、1年目からリリーフで毎日準備しなくてはいけない立場になりました。だから、お酒はたしなむ程度で楽しんでいましたね。

 抑えにしか分からない空気感

二宮: 年末ですから、今年のプロ野球を振り返りましょう。まずは3月にWBCがありました。与田さんも投手コーチとして侍ジャパンを支えましたね。コーチ就任にあたっては、どういういきさつがあったのでしょうか。
与田: 声をかけていただいたのは光栄でしたが、なぜ僕になったのか驚きもありました。それまで監督の山本浩二さんとは現場でお話する程度で、特に接点があったわけではありません。4年前の原辰徳監督の下でコーチをした時も同様で、打診を受けた時にはビックリしました。

二宮: 監督の山本浩二さんも、投手総合コーチの東尾修さんもWBCの経験がない。今回に関しては4年前にもコーチをした実績が買われたのではないでしょうか。短期決戦ではいろんなことが起こります。2009年の大会では連覇を達成したものの、舞台裏ではベンチにいる山田久志投手コーチとブルペンとの連絡がうまくいかなかったり、いろいろあったそうですね。
与田: アハハハ。山田さんにはよく叱られましたよ。選手への準備のさせ方やタイミング、指導者の心構えまで、いろいろと教えていただきました。山田さんを間近で見ていて感心したのは、腹のくくり方が違うこと。現役時代、あれだけの成績を残し、日本シリーズの大舞台にも立った実績がなせる業でしょう。しびれるような場面でも天を見上げ、ピッチャーの起用をじっと考えて「よしっ、よしっ」とひとりつぶやいている。選択肢がいくつもある中から決断を下すのは、一見良さそうに見えて、実は怖いことでもあるんです。どっちにすれば正解か分からないから迷う。それを「これでいいんだ」と自分で言い聞かせているように映りました。

二宮: 前回は決勝トーナメントに入ってダルビッシュ有をクローザーに回しましたね。あの時のメンバーには藤川球児投手、馬原孝浩投手と専門職の抑えがいました。結果的には優勝できたとはいえ、ダルビッシュは決勝の9回には同点打を許しています。この決断はかなりリスクを伴うものだったのでは?
与田: もちろん、当初は球児を絶対的な抑えとして考えていました。もし調子が悪い場合には馬原を代役に立てる予定だったんです。やはり、ピッチャーには役割があって、その持ち場に慣れた人間に託すべきだと、ずっと思っていました。ただ、米国に渡ってメジャーリーグのチームと練習試合をしていると、変化球の精度が問題になった。球児はフォークボールのストライク、ボールがはっきりしてうまく操れない状況だったんです。

二宮: 特に藤川投手の場合は基本の球種はストレートとフォークですから、変化球が決まらないと苦しくなる。
与田: 決勝トーナメントに入ると、負けたら終わり。失敗は許されません。球児のストレートであっても、国際大会のレベルではものすごく速いわけではない。となると、変化球でバッターを崩せないと打ち取るのは難しくなります。短期決戦では、役割よりもその時の状態を優先しなくてはいけない。修正して良くなるのを待っている時間がないんです。そこで、あの時、一番、変化球を使って際どいコースで勝負できるピッチャーとしてダルビッシュに最後を託すことになりました。

二宮: 逆に今回の代表では専門職の抑えがひとりもいませんでした。最終的に状態を見極めて起用法を判断するにせよ、経験者がいないとブルペンの準備の仕方などを選手同士でアドバイスができない。その点は難しかったのでは?
与田: 今の12球団ではクローザーが世代交代の過渡期に入っている印象を改めて持ちましたね。前年(12年)のセーブ王はセ・リーグが岩瀬仁紀、パ・リーグは武田久。どちらもベテランで、3月に調子を上げるのは厳しいだろうと招集を断念せざるを得なかった。そこで若手のクローザー経験者を探そうと、オフのキューバ戦では山口俊を呼びました。個人的には山口は、しっかり役割を決めてやれば力を発揮する選手だとみています。せめて宮崎での候補合宿に呼んで見極める方向でも良かったかなと思っています。

二宮: 今回のピッチングスタッフはスターターが多く、リリーフが少なかった。やはり長いイニングで勝負する先発と、1球が命取りになるリリーフでは適性が異なります。その点で、ややバランスが偏っていた印象を受けますが……。
与田: そうかもしれませんね。先発からリリーフに回ると「絶対に打たれてはいけない」という考え方に陥りやすい。でも、リリーフで投げている人間は、そこまで追い込まれていないんです。僕も抑えの経験があるから分かりますが、どんなピンチを迎えても「打たれたって知らないよ」という感覚が出てくるんです。もちろん「絶対に打たれてはいけない」という事の重大性は誰よりも理解しているのに、ある種の開き直りができる。すると、おもしろいもので、アンパイアの仕草やバッターやランナー、守っている野手の動きにフッと視線が行って冷静になっていきます。

二宮: 修羅場を経験した人間にしか分からない境地ですね。
与田: 中日に入って抑えを始めた頃、落合博満さんから、こんなアドバイスをいただきました。「ツヨシ、相手のバッターをよく見ろ。フーフー言っているぞ」。確かにピンチの時にバッターを見ると、相手も「打たなきゃいけない」と緊張している。「なんだ、アイツらも怖いんだ」と思ったら、精神的に落ち着いてくる。もちろん、結果的に打たれて負けることもありますが、そういった大ピンチの瞬間に生まれる空気感をおもしろいと思えるかどうかもリリーフには必要な要素でしょう。

 野外ブルペンは客観的に試合が見える

二宮: WBCに話を戻すと、議論を呼んだのは準決勝のプエルトリコ代表戦でのダブルスチール失敗です。走らなかった二塁走者の井端弘和選手のミスなのか、前のランナーを確認せずに飛び出してしまった内川聖一選手のミスなのか、作戦を徹底できなかったベンチのミスなのか……。現場にいたコーチはもちろん、評論家の方に聞いても、さまざまな見解が出てきます。与田さんは担当外ですが、あのシーンは現場でどうとらえましたか。
与田: 今、振り返って一言で言うと、理論とルールの違いがあったと感じています。理論的には野球は何が起こるか分かりませんから、目の前の状況に応じてプレーしなくてはなりません。たとえサインが出ていても、想定外のことも頭に入れておかなくてはいけないんです。ただ、チームにはルールがある。どんな結果になろうと、絶対に守るべきものであれば、それには従わなくてはいけない。これは僕たちコーチングスタッフの反省点ですが、ひとつのサインに対して理論的に対応するのか、ルールとして必ず遂行するのか、全員の方向性を徹底できていたのだろうか。少なくともチーム内のミーティングでは、そういう話をしてこなかった。ここに一番の問題があったように思います。

二宮: 代表チームは寄せ集めゆえにチームの決まりを明確にしておかないと、肝心なところでミスが出る。そのことを象徴するシーンだったとも言えますね。
与田: そうですね。それから、もうひとつ僕がブルペンから見ていて気になったのはダブルスチールを失敗した時のベンチや選手の雰囲気です。まるで試合が終わったような空気が漂っていました。確かにアウトになったのは痛かった。でも、まだ2死二塁で、バッターは4番の阿部慎之助。一発が出れば同点、タイムリーが出れば1点差の場面ですよ。
 4年前のWBCを思い出してください。決勝で土壇場で同点に追いつかれても、日本ベンチに“終わった”という雰囲気は全くありませんでした。延長10回に2死で打席に入ったイチローが追い込まれても、“打ってくれるんじゃないか”という期待感を持っていましたよ。この違いは大きかったように思います。

二宮: なるほど。それは両大会の現場に携わった与田さんならではの視点ですね。
与田: ブルペンコーチをしていると、チームの中にいながら、外から野球が見える。特に米国の球場はブルペンが室内にありませんから、戦いの当事者でありながら、ある程度、客観的に試合を見られるんです。ブルペンでは基本的にはピッチャーの準備を見ていますけど、横目で試合の流れもよく分かる。これは09年も今回も強く感じ、勉強になった点ですね。

二宮: その意味では今回のWBCは開幕前から“勝てる”という雰囲気づくりがうまくできていなかったのではないでしょうか。
与田: 選手たちも一生懸命だったし、チーム内に緊張感がなかったわけではありませんが、負けてしまえば何を言われても仕方がないですからね。個人的にも何が足りなかったのか未だに自問自答しています。ただ、ひとつ挙げれば、チームのスタートであるメンバー選考の段階から、もう少しうまくできなかったものかとの思いがありますね。

二宮: というのは?
与田: メジャーリーガーに打診して断られたという報道が出て、最初の時点でチームの求心力が低下したように感じたんです。僕は解説の仕事でメジャーリーグを何度も取材していましたから、リストアップしている選手たちは参加は厳しいだろうとみていました。ダルビッシュも岩隈久志も青木宣親もメジャー2年目で大事な時期を迎えます。出たくても出られない状況にあることは明らかでした。それなら、もし水面下で打診したとしても公にしないほうが良かった。打診して辞退したことが明るみに出れば、代表チームにも選手にもマイナスイメージがつく。
 だから、スタッフ会議では「“今回はメジャーリーガーには頼らない。日本の選手たちだけで行く”と早く宣言してチームづくりを進めたほうがいいのではないか」と意見を述べさせてもらいました。ところが、メディアからは打診したメジャーリーガーの名前がどんどん出てくる。情報が次から次へと漏れることに「これで大丈夫なのだろうか」という気持ちになりましたね。

 田中24連勝、陰の立役者

二宮: レギュラーシーズンに目を移すと、今年は“マー君の年”だったと言えるでしょう。東北楽天の田中将大投手が無傷の24連勝。しかも、リーグ優勝も、クライマックスシリーズ制覇も、日本一の瞬間も胴上げ投手になりました。開幕前のWBCで不調だったとは、今では考えられないですね。
与田: WBCでの田中はフォームが固まっていませんでした。そのため、右バッターのアウトローにストレートが決まらず、甘く入るから打たれてしまう。試行錯誤した結果、外のストレート勝負を諦め、縦のカーブを使って、インコースのストレートと組み立てるかたちに変えました。そこから徐々に調子が上がっていきましたね。加えて、代表のブルペンキャッチャーに楽天時代の先輩だった中谷仁が巨人から派遣されていたのも大きかった。彼はいつもキャッチボール、ブルペンで田中の相手をして、いろいろと相談相手になってくれたんです。復調には中谷の存在が欠かせなかったと感謝しています。

二宮: もし日本が決勝に進めば、田中投手が先発予定だったとか。
与田: 彼が投げられなかったのは残念ですけど、本人としては状態を上げてシーズンに突入できた。新人の則本昂大が開幕投手も務め、ローテーションの柱として一本立ちしたのも田中にとってはプラスに働いたことでしょう。計算のできるピッチャーがもうひとりいることで、田中を先発で無理に回さなくても良くなりましたから。

二宮: シーズンが進むにつれ、リードを許しても味方が逆転したり、自然と“田中が投げれば負けない”とのムードが漂っていましたね。まさに球場の空気を支配していた。
与田: 終盤の田中を見て強く感じたのは、「相手の動きを止めてしまうピッチャーになったな」ということ。彼がマウンドに立つと、相手チームはそれだけで圧倒されているように見えるんです。1球1球を見ると失投もあるのに、バッターがとらえきれない。競った展開になっても、相手が信じられないようなミスをして楽天に得点が入る。田中が投げるだけで、対戦相手が固まってしまうような雰囲気をつくっていたんです。

二宮: 球団はもちろん、星野仙一監督にとっても初の日本一です。これまで監督として3度の日本シリーズはすべて敗退。短期決戦に弱いとのレッテルを貼られてきました。中日時代は星野監督の下でもプレーしていますが、変化を感じた部分はありましたか。
与田: 今年の星野さんはギャンブラーになりましたね。田中を最後の締めくくり役に徹底して使ったり、則本をリリーフに回したり、リスクはあっても、それにすべてを賭けた。短期決戦では2人をフル回転させるという方針がブレなかったですよね。攻撃面に関してもアンドリュー・ジョーンズ、ケーシー・マギーの両外国人を中軸に据え、打順をいじらなかった。

二宮: 今までの星野さんは短期決戦でもレギュラーシーズンで頑張った選手を使い続けたり、情に流されやすいとの指摘がありました。でも、今季に関しては戦い方をガラリと変えましたね。
与田: 守りに入らなかったですよね。打てる手は全部打つんだという攻めの姿勢を感じましたよ。そして、手を打った後はドシッと構える。昔は闘将として激しさを前面に押し出すスタイルでしたが、今は逆に何があっても動じない。そこに、むしろ若い頃にはなかった迫力と怖さを感じるんです。

(後編につづく)

<与田剛(よだ・つよし)プロフィール>
1965年12月4日、福岡県生まれ、千葉県出身。木更津中央高、亜細亜大、NTT東京を経て、1990年にドラフト1位で中日に入団。当時の日本最速となる157キロの剛速球を武器に、1年目で4勝5敗31セーブの成績を収め、新人王と最優秀救援投手賞に輝く。96年途中、千葉ロッテに移籍。98年には日本ハムにテスト入団し、再起をかけ、右肘を手術。リハビリの末、99年には1620日ぶりに1軍のマウンドに立ったものの、自由契約に。00年、野村監督の下、阪神にテスト入団し、同年限りで引退。その後、NHK解説者として『サンデースポーツ』のメインキャスターを務めるなど活躍中。09年にはWBCで日本代表の投手コーチとして世界一に貢献。今年3月のWBCでも再び侍ジャパンの投手コーチを務めた。

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

本格焼酎「そば雲海」の黒麹仕込み「そば雲海 黒麹」。伝統の黒麹と九州山地の清冽な水で丹精込めて造り上げた、爽やかさの中に、すっきりと落ち着いた香り。そしてまろやかでコクのある味わいが特徴です。ソーダで割ることで華やかでスパイシーな香りと心地よい酸味が広がります。
提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
炉端ダイニング ぜん
東京都中央区日本橋小伝馬町13−1 
TEL:03-5651-3331
営業時間:
平日昼 11:30〜14:00(L.O.13:45)   
平日夜 17:00〜23:00(L.O.22:15)
土曜、日曜、祝日定休

☆プレゼント☆
 与田剛さんの直筆サインボールを本格焼酎「そば雲海 黒麹」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様へプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「与田剛さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は来年1月9日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、与田剛さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成・写真:石田洋之)
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