「人なつっこい子だなぁ」
 上田晃平が高校3年となった春、南宇和高校に新米教師として赴任し、野球部部長に就任した近藤輝幸(現・新居浜東高野球部監督)は、上田の第一印象をこう語った。
「野球の能力が高いことはすぐにわかりました。練習でも自主練習の時間はチームから離れて、自らが課したノルマを黙々とこなしていましたし、将来が楽しみな選手だなと思いました」
 だが、一方でこうも語っている。
「小さな町でしたから、お山の大将になりがちなんです。『自分の力を見せつけたい』という気持ちが強過ぎて、ピッチングが一人よがりになることもありました」
 近藤は上田のいいところも悪いところもわかっていた。そんな近藤を上田は慕っていた。
「僕が一人で練習しているところを、いろいろと手伝ってくれたり、悩みを聞いてもらって支えていただいたのが近藤先生でした」
 実際に指導してもらったのはわずか1年だった。だが、濃密な時間を過ごしたのだろう。2人は今でも連絡を取り合う仲だ。

 高校時代の上田について、近藤が最も印象深く残っているのは、夏の県予選前のある出来事だという。その日、監督から背番号が発表された。実力からすれば、上田はエースナンバーを受け取ってもおかしくはなかった。だが、渡されたのは10番だった。すると、メンバー発表後、ひとり監督のもとへ向かっていく上田の姿があった。それを見た近藤は、上田が不満をぶつけに行ったのだとばかり思ったという。

「ピッチャーなら誰もがエースナンバーを背負いたいはずです。ですから、上田はなぜ自分が10番なのか、不満を言いに行ったのかと思ったんです」
 だが、実際はまったく違った。上田は同級生でただひとりベンチから外れた選手を、どうにかして入れてほしい、と監督に頼み込んだのだ。

「外れた選手は3番手のピッチャーだったのですが、腰やヒジを痛めて、なかなか練習ができていなかった。だから外されるのも仕方なかったんです。でも、上田は言わずにはいられなかったんでしょう。『3年全員をベンチに入れてください』と監督に頭を下げたんです。普段はちょっと“お山の大将”的なところもあって誤解をされやすいのですが、本当はチーム思いの優しい子なんですよ」

 厚かった3回戦の壁

 7月、上田にとって高校最後の夏を迎えた。1回戦、南宇和は今治東を5−1で破り、幸先いいスタートを切った。先発した上田は、13奪三振1失点で完投。「完封できると思っていたので、1点取られたのは悔しかった」と語るほど、調子は上々だった。続く2回戦は打線が爆発した。ホームランを含む14安打で8得点。終盤に追い上げられたものの、序盤の大量得点で逃げ切った。

 そして迎えた3回戦。中盤までは1点を争う投手戦となった。初回、上田は1点を失ったが、その裏すぐに味方が同点に追いついた。さらに南宇和は3回裏にも貴重な追加点を挙げ、1点を勝ち越した。上田も2回以降はゼロに抑え、6回を終えた時点で南宇和が2−1とリードしていた。

「このままいけば……」
 上田はそう考えていた。だが、徐々にボールに球威が失われていった。実は上田の身体は万全の状態ではなかった。
「よく足をつるんですけど、その試合でも暑さもあって、足がつったりしていたんです。とにかく、ボールを投げるのに必死でした」

 球威の衰えをカバーしようとしたのだろう。きわどいコースを狙いにいったが、ことごとくボールとみなされ、連続四球で満塁とすると、それまで無安打に抑えていた打者にセンター前への2点タイムリーを打たれた。さらに味方のエラーも重なり、1点を失うと、8、9回にも追加点を許した。終わってみれば2−7という差での敗戦。2年連続で3回戦の壁に跳ね返された。

 結局、一度も全国の舞台を踏むことなく、上田の高校3年間は幕を閉じた。だが、上田はそれなりに納得していた。
「大学生の今の自分からすれば、もっとやるべきことはあったと思います。でも、当時は自分なりに一生懸命練習しました。結果を出すことはできませんでしたが、身体やピッチングの土台をつくることができた。それが今に活かされているのだと感じています」

 そして近藤は、こう語っている。
「当時のチームは個性が強い選手が多かったのですが、実力的に一番トップだった上田がうぬぼれることなく、そして腐れることなく一生懸命にやったからこそ、チームがまとまっていたんじゃないかと思うんです」

 この年の夏、甲子園で春に続いて優勝したのは沖縄代表の興南高だった。そのエース島袋洋奨が翌年、自分とチームメイトになるなどとは、この時の上田には知る由もなかった。

(第5回につづく)

上田晃平(うえだ・こうへい)
1992年5月10日、愛媛県生まれ。小学校でソフトボールを始め、中学校では軟式野球部に所属。南宇和高校時代には2年時からエースとして活躍した。2011年、中央大学に進学。同年秋にリーグ戦初登板を果たすと、2年春には初勝利を挙げる。秋は先発を務め、駒澤大戦で初完投初完封勝利を収めるなど、2勝をマーク。今春も2勝(1敗)を挙げるも、夏にヒジを故障し、秋はリリーフでの3試合にとどまった。リーグ戦通算成績は13試合5勝2敗。177センチ、72キロ。右投右打。



(文・写真/斎藤寿子)
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