天野優の生活には、生まれた時から卓球があった。両親が実業団でプレーしており、実家の近辺には練習場もあった。天野は5歳の時に、両親に教えてもらうかたちで卓球を始め、和歌山銀行卓球クラブ(和銀クラブ)にも入団。平日は自宅、土日は和銀クラブで練習する卓球漬けの日々を送った。その中で、天野は試合をすることが何より好きだった。「負ければ悔しいですけど、勝った時は本当に嬉しい。その瞬間があるから、今も競技を続けているんだろうと思います」。小学1年の時から全国大会に出場するなど、実力の高さを示していった。
 和銀クラブでは大きな出会いもあった。佐藤建剛(現明徳義塾卓球部総監督)、利香(同女子監督)夫妻である。佐藤(旧姓=袁)建剛は中国出身で、現役時代は同国ナショナルチームでもプレーした。佐藤利香も史上最年少(17歳1カ月)で全日本選手権を制し、2度、五輪に出場した名プレーヤーだ。2人とも実業団の和歌山銀行に所属しており、和銀クラブの子供たちに指導することもあった。

「みんなと同じことをしなくてもいいから、自分の卓球を強くして勝てるようにしよう」
 これは、天野が佐藤(建)からかけられた言葉だ。天野は小学校低学年の頃、フォアハンドのショットを苦手としており、周囲からも「フォアでしっかり打ちなさい」と指摘されていた。だが、彼女にはフォアの強打ではなく、ピッチの速さで勝負するという考えがあった。そんな時に、励ましてくれたのが佐藤(建)だったのだ。天野は「全部を否定するのではなくて、いいところを伸ばしていこうとしてくれる」という佐藤(建)の指導法が大好きだった。

 同様に天野を小学生の時から見ていた佐藤(利)は、当時の彼女の印象をこう語った。
「他の選手より、何としてもボールをコートに入れるんだという執念がありました。また、私たちが『こういうプレーが必要だよ』と言ったことはしっかり実行しようとする。信じたものを、ぶれることなくやり通す気持ちの強さが見えましたね」
そんな佐藤夫妻の指導もあって、天野はメキメキと実力をつけていった。

 全日本選手権カブの部(10歳以下)、全国ホープス卓球大会(小学生以下の団体戦大会)で優勝と輝かしい実績を誇る彼女は、他県の中学からもスカウトを受けた。しかし、「佐藤さんたちのところへ行きたかった」と、02年から佐藤夫妻が指導する明徳義塾中学への入学を選択。故郷を離れ、尊敬する師の下でプレーすることを決意した。

 “ごまかし”の卓球

 明徳義塾ではまず、生活環境の変化に苦労した。寮に入り、洗濯、掃除などは自分でやらなければならなかったからだ。天野は「卓球をやるよりも大変でしたね(笑)」と振り返った。佐藤(利)女子監督は、「『お母さんはこういう大変なことをやってくれていたんだな』と感謝する気持ちが、頑張るパワーになるんです」と家事の効果を語る。家事に限らず、同校卓球部では、「心の指導」を重視していた。

「自分は卓球を強くなるため、成長するためにここへ来たという信念を持つこと。あと負けても這い上がるという執念ですね。競技スポーツは極端に言えば優勝以外は負けです。ですから、負けても、負けてもまた起き上がり、何が足りなくて、何が必要なのかを追求していく。そういう強い心に成長させてあげたかったんです」
 佐藤(利)は、指導方針の意図をこう説明した。しかし、いくら指導者が口酸っぱく言っても、受け止める側が理解しようとしなければ、効果は望めない。その点で天野は恩師曰く「吸収力が非常に高かった」という。指摘されたことを、彼女は真摯に受け止めることができるタイプだった。

 だが、こと卓球の基礎に関しては「まだ足りないところがある」と、佐藤は感じていた。天野はサーブで崩して得点を奪うかたちが得意だった。一方で、回転をかけられたり、粘ってラリーに持ち込まれる展開を苦手としていた。佐藤(利)は、この特徴を「ごまかし」と表現した。
「小さい頃から卓球を経験している選手は、ちょっとした勝ち方を知っているんです。でも、卓球は回転の競技です。回転に対しての理解がなければ、いいボールは打てません。またボールの緩急も重要です。ラリー戦でのフットワークなどにも、天野は課題がありましたね」
 これらの基礎は時間をかけて、地道に身につけていくものだ。天野は明徳義塾に入学するまで「ランニングやダッシュなどの走り込み、腹筋、背筋もほとんどやったことがなかった」という。まずは、基礎的な体力と技術を向上させることが、重要だった。

 そんな中でも「勝ち方を知っている」天野は、中学時代も全国大会で好成績を残した。全日本選手権カデットの部(14歳以下)でベスト4(05年)、全国中学校卓球大会ベスト8(06年、07年)、全国中学選抜大会団体戦優勝(07年)。特に選抜ではキャプテンとしてチームを引っ張り、本人も「中学時代で一番印象に残っている」と笑顔を見せた。しかし、彼女は勝利を重ねる中で、不安も感じていたという。

「中学と高校とでは、卓球の質がまた変わります。対戦相手の体格が大きくなってきて、パワーもついてくる。大人の卓球にどんどん近づいていくというんですかね。そうなると、ごまかしでは勝てなくなっていくと考えていました」

 その不安は、的中してしまう。天野は高校2年のインターハイ予選で、シングルス、ダブルス、団体戦と全てのカテゴリーで全国大会出場を逃したのだ。それが彼女にとって、大きな転機となった。

(第3回へつづく)

<天野優(あまの・ゆう)>
1992年11月25日、和歌山県生まれ。両親の影響で5歳から卓球を始める。2002年、全日本選手権(カブの部)で優勝。04年には、和歌山銀行卓球クラブのメンバーとして全国ホープス卓球大会を制した。中学から高知・明徳義塾へ進学。07年に全国中学選抜大会の学校対抗優勝に貢献。高校時代には、全国高校選手権学校対抗、国民体育大会での二冠を達成した。11年、サンリツに入社。12年には全日本実業団選手権大会優勝(サンリツ)、全日本社会人選手権シングルスで3位に入った。昨季は後期日本卓球リーグで、サンリツの3年半ぶりの優勝に貢献した。戦型は前陣速攻。右シェークフォア裏ソフト・バック表ソフト。



(文・写真/鈴木友多)
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