「人よりスピードが速いわけでも、すごい変化球があるわけでもない」
 澤田圭佑はそう自己分析する。では、彼のピッチングを支えてきたものとは――。安定したコントロールを欠かすことはできない。リトルリーグ時代からコントロールに苦労したことがないと言う澤田。それは彼の負けず嫌いな性格が生み出した力だった。
 小学校入学前から、一番の遊びは野球だったという澤田は、小学生になると地元のリトルリーグに入った。6年の時には、エースで4番を張り、1つ上の兄とバッテリーを組んだ。その兄とのやりとりを、澤田はこう語る。
「練習の時、兄貴が『構えたところに投げないと、オレは捕らん』と言うんです。自分も負けず嫌いなものだから、絶対に兄貴が構えたところに投げてやるって、むきになっていましたね。それが良かったのかもしれません」

 リトルリーグには中学1年の夏まで在籍することができる。しかし、澤田は兄がシニアリーグに移ったのを機に、自分も一緒にリトルリーグを辞めた。シニアでも澤田兄弟はチームの中心となり、澤田が中学2年、兄が3年の時にはチームを初の全国大会出場に導いた。全国ではベスト8に進出した。

 無論、中学3年の澤田の元には、強豪校から進学の誘いがいくつも舞い込んできた。その中で澤田が選んだのが、大阪桐蔭だった。実際に練習を見て、それまで味わったことのなかったレベルの高さに惚れ込んだのだ。入学当時は「自分が18人のメンバーに入れる自信はなかった。3年間、球拾いかもしれないと覚悟していた」という澤田だが、1年の秋にベンチ入りを果たし、戦力となった。

 ベンチ外メンバーの存在

「一番大事なのは3年間、一生懸命にやること」
 大阪桐蔭に進学を決めた時、両親やシニアリーグ時代の監督に言われた通り、澤田は努力を惜しまなかった。そして、ベンチ入りした自分たちの練習を手伝ってくれるチームメイトへの感謝の気持ちを忘れたことはない。だから一度たりとも「しんどいから辞めたい」などと思ったことはなかった。

 だが、たった一度だけ甲子園を諦めかけたことがあった。2年の夏のことだ。その年、大阪桐蔭は大阪大会を順当に勝ち上がり、決勝に進出した。甲子園まであと1勝。相手は春夏通じて一度も甲子園に出場していない東大阪大柏原。6回を終えた時点で、6−2とリードしていたのは大阪桐蔭だった。

 ところが、終盤に流れが変わった。7回裏、先発した2年生エース藤浪晋太郎が2点を失い、降板。投手陣唯一の3年、中野悠佑がリリーフしたものの、その回さらに1点を失って1点差に詰め寄られると、8回裏には同点とされてしまう。そして6−6で迎えた9回裏、三塁打を打たれると、大阪桐蔭は2者連続敬遠で満塁策をとる。その結末は――死球押し出しのサヨナラ負けだった。

「勝っていたら、甲子園だったのにな……」
「ほんまに勝ちたかったわ」
 その日の夜、澤田は寮で同部屋の藤浪とそんな会話を交わしたという。
「ショックは大きかったですね。これだけ練習してきて勝てなかったのに、自分たちの代でどうやって甲子園に行けばいいんだ、という気持ちでした。決勝で勝つイメージがなくなったというか、とにかくどうしたらいいかわからないというとまどいがありました」

 翌日、新チームが早くもスタートした。頭が整理しきれないまま、澤田は藤浪と一緒にいつもの時間にグラウンドへと向かった。すると、目の前の光景に言葉を失った。ベンチから外れていた同級生が既に練習の準備を整えて待っていたのだ。

「いつでも練習が始められる状態になっているのを見て、『オレらベンチに入っているメンバーが、もう次の夏のことなんか考えていたらダメだ』と思いました」
 澤田は緩んでいた気持ちが、グッと引き締まるのを感じた。

「ベンチに入っていないメンバー全員が、『いつでもオマエらのことを抜いてやるぞ』という感じで必死になって練習するんです。だから、自分たちもそんな1年先の夏のことなんか考えている余裕はない、と気づかされました。僕たちの学年は、本当にみんな仲が良かったし、切磋琢磨していた。ベンチ外のメンバーの意識の高さこそが、他のチームとは違う、大阪桐蔭の強みだったと思います」
 翌年の快挙は、ここから始まったのだ。

(最終回につづく)

澤田圭佑(さわだ・けいすけ)
1994年4月27日、愛媛県生まれ。就学前から野球を始め、リトルリーグ、シニアリーグでは1つ上の兄とバッテリーを組んで全国大会に出場した。大阪桐蔭高校時代は1年秋からベンチ入りし、2年秋からは主にリリーフとして活躍。3年時には藤浪晋太郎(阪神)らとともに甲子園春夏連覇を達成した。自身も春は準々決勝の浦和学院戦で甲子園初先発初勝利を挙げ、夏は3回戦の濟々黌(熊本)戦で2失点完投勝利を収めた。昨年、立教大学に進学。春からリーグ戦に登板し、チーム最多の19試合で6勝4敗、防御率1.73の好成績を挙げた。今年はエースとして、99年秋以来のリーグ優勝を目指す。右投右打、178センチ、88キロ。

(文・写真/斎藤寿子)




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