「兄ちゃんばっかり、ずるい。僕にも教えて!」
 そう言って、4つ上の兄にライバル心を燃やしたのが、長曽我部竜也の野球人生のスタートだった。父・大介は当時のことをこう語る。
「長男が小学校に入ってソフトボールをやり始めたんです。それで私が教えていたら、まだ幼稚園の年中くらいの竜也が『僕もやりたい』って言って来たんです。お兄ちゃんにやきもちをやいたんでしょうね。ブカブカの大きなグローブをはめて、一緒にやっていましたよ(笑)。負けたくない一心からか、ボールに対してはまったく怖がらなかったですね」
 父・大介は当時のことを思い出したのだろう。電話の向こうで、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「野球に対してはとにかく厳しかった。まるで『巨人の星』の星一徹のような感じです」と長曽我部が言えば、本人も「いやぁ、厳しかったと思いますよ。もう星一徹そのものでしたから(笑)」と語るほど、父・大介の厳しさは相当なものだった。長曽我部が学校から帰宅すると、「おう、お疲れさん」という言葉とともに父親から渡されるのはバットだった。そして「はい、頑張れよ」と言って送り出され、自宅の前で1、2時間の素振りが始まる。それが小学校時代からの長曽我部の日課となっていた。

 しかも、である。ソフトボールチームからリトルリーグ、そしてボーイズリーグへと長曽我部がチームを移るたびに、父親も指導者として移る。チームの練習でも、帰宅してからも、四六時中、父親から厳しい声が飛んでくるのだ。果たして、野球を辞めたいと思ったことはなかったのか――。
「辛いことはたくさんありましたが、辞めたいと思ったことは一度もないですね。やっぱり野球は楽しかったですから」
 そして、長曽我部はこう続けた。
「それに、父があれだけ厳しくしてくれたからこそ、今の僕がある。すごく感謝しています」
 彼は父親の思いをわかっていたのだろう。父・大介の異常なまでの厳しさは、野球への情熱の裏返しでもあった。

 感じていた厳しさの中にあるもの

 実は、父・大介は高校時代に挫折したことをきっかけに、長い間、野球から遠ざかっていた時期があった。大介が進学したのは、甲子園常連校で、全国でもトップクラスの名門・松山商業。中学時代の大介は本人いわく“根拠のない自信”があり、意気揚々と野球部の門を叩いたという。ところが、軟式出身ということもあり、既に中学時代からボーイズリーグなどで硬式に慣れている選手たちとの実力差は想像以上だった。さらに、今では考えられないほど練習は過酷で、大介には耐えることができなかった。

「当時の監督は、大きい選手を好んでいました。だから身長183センチの僕は、練習に入れてもらっていたんです。ところが、技術がないもんだから、全然練習についていけない。いや、もう全然ダメでした」
 1年の秋季大会前、大介は逃げるようにして野球部を退部したのである。その時に母親から言われた言葉は、今も彼の心に深く刻まれている。「オマエは言い訳して逃げているだけ」――。
「結局は自分がついていけなかっただけなんです。なのに、当時の私は先輩にやられた、とか何とか言って、言い訳ばかりしていました」

 その後、自分の気持ちにフタをするかのように、大介は野球から遠ざかった。プロ野球も高校野球も、「野球」とつくものには一切触れなかったという。そんな彼を再び野球の世界へと引き戻したのは、息子たちだった。
「長男が小学校の時に『ソフトボールをしたい』と言って来たんです。特に反対はしなかったものの、最初は練習も一切観に行きませんでした。でも、息子はやっぱり父親の私に教えて欲しそうにするわけですよ。それに応えてあげたくなったんです」
 すると、次男も一緒になってやるようになった。冒頭の「お兄ちゃんばかりずるい! 僕にも教えて」が、それである。

「今では野球が大好きになりました。これも息子たちのおかげです。2人には本当に感謝しているんです」
 一方、長曽我部はこんなふうに語っている。
「特に言葉で言われたことはありません。でも、ここまで一緒にやってくれるということは、それだけ自分に託してくれているのかな、というのは感じていました」
 だからこそ、いくら厳しくても、長曽我部は野球を辞めたいと思ったことはないし、今も続けているのである。

(第3回につづく)

長曽我部竜也(ちょうそかべ・たつや)
1992年7月19日、愛媛県生まれ。4歳上の兄の影響で幼稚園の時からソフトボールを始める。小学2年の途中から地元のリトルリーグに、小学6年の途中からボーイズリーグに入る。新田高校では3年夏に県大会で4強入り。亜細亜大学では3年春からショートのレギュラーをつかみ、26打数10安打、打率3割8分5厘で首位打者に輝く。4年となった今年は副将を務め、チームの主力として活躍。春は打率3割3厘、15打点で、戦後史上初の6季連続となる23度目の優勝に大きく貢献した。170センチ、65キロ。右投左打。

(文・写真/斎藤寿子)


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